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城塞都市の中心から南東方面へくだっていくと、赤い屋根の大きな建物が視界に入ってきた。テリーヌの目的地、キルドライグ王立図書館だ。高度の都合で見下ろすことはできないが、それは六角形をしている。
「そろそろ、降りますか? ここまでくれば、あたしも迷いませんから」
「降りる必要はない、こっちじゃ」
図書館に隣接した建物の屋根に回り込んでいくと、そこには都合よく出入りできそうな窓が取り付けられている。変わっているのがその窓に、外から錠前がつけられていることだ。ユズはコートから取り出した鍵を使って錠を外すと、窓を開いて中に入っていく。
「え、えっと」
「この先の部屋は、私に割り当てられた司書室となっておる。開けっ放しは物騒なんでな。この錠前は私がつけた」
「あの、もしかして司書の仕事をするときは、いつもこのルートを行ったり来たりしてるんですか」
「どうしてそう思う?」
「ここから先生の家までは高低差があまりないこと。そして、帰り道に使えなければ外から鍵をかけるのが面倒だということ。その二点が理由です」
「ほう。なかなかやるな、百点をやるとしよう」
司書室に足を踏み入れると、テリーヌの予想に反して本は一冊も見当たらなかった。ユズは中央のストーブに近づくと、ヘパイストスの種火を入れて火を灯した。
「そっちできちんと雪を弾いておけ。書物というのはデリケートじゃからな。湿気を筆頭に嫌いなものが多い」
「はい」
「それと、目当ての本があったらここで読むがいい。咎められたら私の名を出せば大抵の職員は大人しくなる」
ユズの職員としての立場がどれだけ強いのか分からないが、普段の奇人変人ぶりを考えれば近寄りがたい存在に違いない、とテリーヌは思う。
「お主、失礼なこと考えてないか」
「い、いえ、そんなことは」
「あるじゃろ。お主は分かりやすすぎる。…お節介から言うが、少しは感情を隠す訓練も積むことだ。キルドライグ領は善良な国民も多いが、他がそうであるとは限らん。旅を考えているのであれば、人に騙されないよう心せよ」
「うう……、そんなに分かりやすいですかね」
「思い当たる点がなければそこまでじゃな。…さて、私は急用を思い出したから少し席を外す。そうじゃな、お主が調べたいものであれば、理学―生物カテゴリ始まりの棚から三番目、中央付近を漁るといい。ではな」
ユズは窓から外に出ると、錠前をしっかりかけて姿を消した。
「急用って何だったんだろ。…いや、あたしは本を探しにいこう」
テリーヌは満を持して、中央に続く扉を開けた。
「……」
部屋から一歩踏み出せば、フロアの壁に沿って円形に配されている書架にテリーヌは圧倒される。建物を垂直に貫く吹き抜けから、図書館は五階建てであることが分かった。二階建ての屋根から侵入したので、現在は三階部分に居ることになる。
「こんな場所が、あったんだ」
ここから目当ての本を探すのは、砂漠に落ちている一粒の砂を探すくらい難しいかもしれない、と漠然な思いをテリーヌは抱いた。
それでも図書館にあるからには、書物が分類分けされて蔵められているわけで、まずは目当てのカテゴリの棚を探すことにした。
「理学―生物カテゴリ……」
本棚に沿って歩いていくと、そのカテゴリの書架は幸運にも同じ階に存在した。
「カテゴリ始まりの棚から三番目」
書物がぎっしり詰まった棚を、三つ数えて。
「中央付近」
本棚の中央を見れば。
「うわっ……、『ドラゴン図鑑』とか『ドラゴンの生態』だとか、ユズ先生の言った通りの場所にある」
ピタリと場所を言い当てていたことに、テリーヌはちょっぴり恐怖を覚えながら。
「まあ、司書なら当然か。…ええと、どれを持っていこうかな」
テリーヌは適当に書物を取り出しては、ペラペラとページをめくり始める。
少女が知りたいことは漠然としていたが、ドラゴンの生態から飼育方法、そして卵の入手法について記載されているものを選んでは、脇に抱え込んでいく。
そんな作業中の出来事だった。
「おねえちゃん」
テリーヌは、誰かに話しかけられていた。
そちらに目を向けると、栗色髪の幼い女の子がテリーヌを見上げていた。ぬいぐるみを両腕で抱えて、一見すると迷子のようにも見える。
「えっと」
「……やっぱりちがう、おねえちゃんじゃない」
自分を他の誰かと勘違いしていたのか、とテリーヌは思う。
「どうしたの? 迷子になっちゃったのかな」
「キアは、まいごじゃない」
キアと名乗った少女は、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「きょうは、おかあさんがおうちにいない。だから、としょかんにいる。おかあさんのおともだちといっしょだから、へいき」
「それなのに、そんな顔をしてるのは、どうして?」
「いなくなっちゃうから」
まったく容量を得ないキアの言葉に、テリーヌは困ってしまう。
「いなくなっちゃうって、どういうことかな?」
「わからない。おかあさんはてんごくにいっちゃうことだって。…えっと、おねえちゃんは、なまえは?」
「あたしは、テリーヌよ」
「ん。テリーヌおねえちゃんとは、はじめてあったけど、いなくなっちゃうとおもう。…キアのおねえちゃんとおんなじように」
キアの姉は亡くなっている、ということだろうか。
そして、テリーヌも同じことになると――キアは言いたいのだろうか。
「大丈夫よ、人間はそう簡単に天国には行けないの」
「ほかのおねえちゃんも、そんなこといってた」
「他のって」
「でも、みんなこのまちから、いなくなっちゃった。…キアにはわかるの。かぜがおしえてくれるから」
風魔力の使い手は、空間把握能力に長けている。
ふと、ユズの言っていたことを、テリーヌは思い出していた。
「えっと、キアちゃん」
「うん」
「キアちゃんが言う、いなくなっちゃう子って、どんな感じなのか教えてくれる?」
「わかった。…キアのおねえちゃんも、そうなんだけど」
そこでキアの話したことは、テリーヌにとって信じられない事柄であった。
「……」
テリーヌはユズの司書室に戻ってくると、先ほど選んだドラゴンに関係する書物を開いて読んでいた。
「……そんな、ことが」
しかし、目が滑ってばかりで、まったく内容が入ってこない。
キアの言っていたことが、頭の中でぐるぐると回っていて、集中の妨げになっているのだ。
「お母さんの言っていたことと、関係してるのかな」
テリーヌの命に、関わることかもしれないんだよ。
父親のことを訊ねると、テリーヌの母はそう返していた。
「はあ、だめだ。…やっぱりあたしには、難しくて分からないよ」
「ほほう、難しいか」
「わっ!?」
ユズがいつの間にか部屋に居たことに、テリーヌは気づいていなかった。
「先生、いつの間に入ってきてたんですか、脅かさないでくださいよ!」
「脅かしたつもりはないぞ。しかし、ずいぶんと難航してるみたいじゃな。…して、それは恋の悩みか?」
「いや、本の内容が、難しくって」
「ほほう、お主は本を上下逆にして読めるのか」
「げっ」
いつの間にか逆さに持っていた書物を、テリーヌはすぐ正しい方向に直した。
「いろいろと抜けておるな。やはりお主に卵狩りはきついかもしれぬ」
「だ、大丈夫ですよ。ちょっと図書館で気になったことがあっただけです。…それでユズ先生、後ろの男の人は誰なんですか?」
部屋の中には、ユズの他にもうひとりの人物がいた。
吊り上がった目が特徴的な三白眼の男性だった。フードの隙間から緑髪が覗いている。マフラーや手袋で全身の露出を隠している。そして薬でもやっているのか、小刻みに震えていた。一言で形容するならば、
「怪しい」
そうなる。
「ひょっとして、ユズ先生のカレシですか」
「たわけめ。仮にそうだとしても、教え子に弱みを握らせる破滅主義などではないわ」
「先生にとっては、恋人の存在が弱みなんですか……」
「お主ら若者は、教師の恋路を在学中弄り倒す生物だと知っておるからな」
「……」
何かトラウマがあるのか、それともそのような存在が身近に居たのか。
地雷を踏むかもしれないので、テリーヌは追求をやめておいた。
「それで、こっちの怪しいヤツなんじゃがな」
「ただ寒いだけだ。別に怪しいヤツでもなんでもねえ」
男が震えていたのは、寒さに起因しているらしい。
これだけ着込んでなお寒いとは、筋金入りの寒がりだとテリーヌは思った。
「こいつの名はルーヴァスという。卵狩りを生業としておるから、何かと役に立つはずじゃ」
「ドラゴンの卵が欲しいっていう、お嬢ちゃんがキミか」
ルーヴァスと呼ばれた男は、テリーヌの顔を覗き込んだ。
「大丈夫かよ。…ユズの教え子にしては、バカっぽいな」
「なっ」
「成績はいいんじゃが、どうも抜けておるのが玉に瑕でな」
「人を見かけで判断しないでください、あたしはこれでもキルドライグの武術大会でベスト8に入ってるんですよ!」
「威勢はいいな、臆病でないよりはマシだが」
男はテリーヌの額を指でツンツンと小突いた。
「相手は人間じゃねえ。食うか食われるかの大自然で生き抜いているドラゴン様だぞ。奴らに対抗するすべを人類が身につけたといえど、弱くなったってことは決してねえ」
「それぐらい、分かってます」
「そうか」
ルーヴァスは視線をユズに向けた。
「難しそうか?」
「そうだな。まず卵狩りっていうのは一人でやるもんじゃねえ。竜車を最低限引ける、小型のドラゴンでさえもだ。武芸に多少秀でていても、イロハを教えたところじゃどうにもならん。丸焼きにされておっ死ぬぜ」
「また馬鹿にしてっ」
テリーヌは机を叩いて憤った。
「あたしは、弱くない!」
「これだから発情期のメスは怖いんだ。ちょっとしたことで怒りやがる。…いちおう言っておくが、馬鹿にしてるつもりは毛頭ない。熟練の騎士でさえ、ベテランの卵狩りでも、繁殖期のドラゴンほどおっかねえもんはねえんだよ」
「……だったら、あたしがドラゴンを手に入れるのは、無理ってことですか」
「無理ってことはねえ、難しいってだけだ」
ルーヴァスは、少し考え込んでから言う。
「ドラゴンから奪うのが難しいなら、人間から奪うとすっか」




