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「ただいま」
テリーヌは帰宅するなり、自分の部屋に入っていった。
そして、その日に出された宿題に取り掛かった。
「おかえり、晩ご飯はできてるよ。…おや、アンタにしては珍しく先に宿題をやろうって気になったのかい?」
声をかけてきたのは、テリーヌの母親だった。
テリーヌと同じく褐色の肌に、紫色の髪を後ろで束ねた、まだまだ精力的な女性だ。
「うん、明日は休みだから、図書館に行こうと思ってさ」
「えっ」
母親はテリーヌに近づくと、彼女の額に手を当てた。
「風邪ひいてるわけじゃないよ。お母さんってほんとに失礼なんだから」
「ごめん、初雪でちょっとおかしくなっちまったのかと思ったよ。それにしても図書館か。ユズ先生の授業に、何か感銘でも受けたのかい?」
「ん、まあ、ちょっとだけ」
テリーヌは母親に悟られないように、いつもの調子で誤魔化した。
「キルドライグ領とドラゴンの関係について興味を持ってね。図書館でもうちょっと詳しく調べようと思ってるの」
「ふむ、アンタがドラゴンに興味を持つなんて珍しいね?」
それは違う、とテリーヌは思った。
ドラゴンが欲しくてたまらないと感じているからこそ、意識的に避けていた。そんなものは必要ないと母親を、そして自分を誤魔化してきた。
しかし、そんな我慢ももう限界だった。
「アタシも国家騎士になってれば、ドラゴンを飼えたんだけどね。そのときはアンタが小さかったから、そういうワケにもいかなかった。騎士のお仕事は忙しいと聞いていたからね」
テリーヌは、母親がこれまで女手ひとつで自身を育ててきたことを知っている。
だからこそ金銭的にも時間的にも、苦しい生活が続いたであろうことは容易に想像がつく。ゆえにドラゴンを飼いたいなんて無理は言えなかった。
「それで、ドラゴンについてどんなことを学んだんだい?」
「お母さんこそ、興味あるんじゃない」
「あははっ、アンタが赤ん坊の頃から夢だったんだよ。キルドライグに住むことになってから、ずっと飼いたいと思ってて実現しなかったことなんだから」
「そう、だよね」
テリーヌの宿題を進める手が、そこで止まった。
ふと思ってしまったことを、確かめたくて仕方なくなったのだ。
「お母さん」
「どうした、そんな切なそうな顔して。…ははーん、分かったぞ恋の悩みだな! 学校で好きな子でも出来たか? ほら、お母さんに教えてみな」
「ち、違うよ。…訊きにくいことではあるけどさ」
テリーヌは、真剣な表情を浮かべて、母親の目をしっかりと見た。
「お母さんはさ、あたしのこと――産んでよかったと思ってる?」
そう問いかけたテリーヌの脳裏に、教室の生徒たちの顔が浮かんでくる。
両親に恵まれた彼らは、皆一様に幸せそうだった。それはきっと、愛されている証拠なんだと思った。
「ううん、そんなことを考えるような年頃かあ。気づけばもう、おまえを産んで十五年。アタシも歳を取るワケだ」
テリーヌの母親は、我が子を引き寄せるとそのまま抱きしめた。
「テリーヌが不満だっていうなら、苦労かけちまってるってことだな。すまないね」
「不満とか、苦労とかは、…ないよ」
「強がってるの丸分かりだよ。アタシとおんなじで分かりやすいヤツなんだからな。…まあ、アンタを産んで後悔なんてしてないさ」
それから、テリーヌの頭を撫でている。
「アタシはアンタを愛してるよ、それはアタシの生きがいでもあるからね」
テリーヌは目頭が熱くなった。
そして、言葉に出して貰わなくては、愛されている確信が持てなかった自分を恥じた。
「し、宿題を終わらせちゃうね。…そしたら、ドラゴンについて学んだことを話してあげる」
涙を見られるのが恥ずかしくなったテリーヌは、震えた声でそう言って机に向かいはじめた。
「そいつは楽しみだ。お母さんは湯でも沸かして待ってるよ」
テリーヌの母親――ルディオラは、目を細めながら部屋を後にした。
夕食はカリカリに炒られたベーコン、ざく切りにされたジャガイモと玉ねぎの炒め物、そして目玉焼きがひとつのプレートに乗せられていた。コップに注がれているのは東国ヤアマトから仕入れられた安い緑茶だ。
貧しくてもこれだけ食べられるのは、衣食住の福祉が充実しているキルドライグならではの特色だろう。
「それで、キルドライグ領はドラゴンと因縁のある土地だったみたい」
テリーヌはベーコンをフォークで刺して、それを口に運びながら言った。
「遡ると魔獣大戦や、ミステア連合国家が生まれた頃になってしまうのだけど、大陸西北の大地――今のキルドライグ領のことね――の開拓と統治を任された、ドルアルド・キルドライグが目下最大の脅威と位置付けたのが、この地に住むドラゴンたちだったんだ」
「学がないから、アタシにはサッパリだねえ」
「で、彼はドラゴンを倒すための自警団を作るんだけど、これが後の国家騎士になっていくみたいなの。竜族の堅牢な鱗に攻撃を通すための技術が、『法技』の元になっているとか」
「うんうん」
「で、ドラゴンの侵入を阻止するために城壁を築いたのが、四代目領主のカフカ・キルドライグで――そこからドラゴンを狩るのではなく、利用しようと考えたのが五代目領主のレグレ・キルドライグだね。彼の功績によって、ドラゴンを誰でも手懐けられるようになって、今の運送業界の礎を築いたと言われているの」
「うんうん」
「……お母さん、ちゃんと聞いてるの?」
「うんうん」
「……」
「ああ、久々にドラゴンステーキが食べたいねえ。月末にお金が入ったら奮発して食べにいくかい?」
「勉強ができるって、幸せなことなのかもしれない」
「そうだよテリーヌ。アタシが小さかった頃はもっと苦労したんだぜ。毎日食べるものにだって困ってたし、学びなんてしているヒマは無かったんだ」
「……想像、できないよ」
「しなくったっていいさ。ヒトってのは、自分の人生を駆け抜けることで精一杯なんだからよ。生まれや境遇はみんな違うが、誰だって心の豊かさを求めて必死でもがいてやがる。それはアンタも同じだろ。…本当は勉強が苦手で嫌なくせに、必死で付いていってるだろ?」
「わ、分かるの……」
テリーヌは、自分の母親がそれを見抜いていたことに驚いた。
学校で学んだことは、いずれ人生において役に立つ。そんな漠然とした理由で自分を納得させて、無理やり勉学に励んでいたからだ。心の奥底ではきっと納得していなかったのだと思うし、だからこそ人よりも勉強に苦労を覚えた。興味が持てないものを考えることは、頭が痛くなってくるのだ。
「アンタは、アタシの娘なんだよ。それぐらいお見通しさ」
「ごめん、なさい」
「なんで謝るんだい」
「お母さんに学費を払ってもらってるのに、勉強が嫌になってるってことが、申し訳なくって」
それに。
あの教室に行くと、テリーヌは劣等感を覚えて辛かった。
「やりたくないなら、やめちまっていいんだぜ。…アンタは国家騎士になりたいんだろ」
「うん。ドラゴンを手に入れて、お母さんを少しでも楽させたい」
「もっと自分勝手に生きていいんだよ。アタシは、アンタが幸せになってくれればそれでいいんだからさ。子供ってのは親の道具じゃねえんだ。後悔しない人生を送ってくれよ」
ルディオラは、緑茶を一口飲んで息をついた。
「ただまあ、国家騎士になるには十八にならないといけないだろ。学校に通わねえなら、三年間もヒマができちまうワケになる。だらだらと過ごしてもいいが、これはオススメしないね。これはうまいこと言葉にできねえんだが、腐った時期が続くと生きてるって実感がないっつーかさ。…子供のころに檻で一週間過ごしてたときは、それだけで気力がなくなっちまってたよ」
「お母さん、そんな目に遭ってたの……」
「生きるのに必死だったってことさ――って、話が逸れちまったな。テリーヌはなんか、やりたいことあるのかい?」
「……えっと」
テリーヌはそれを言うことを一瞬戸惑ったが――すぐに決意を固めた。
「あたしは、すぐにドラゴンが欲しい」
「それは、国家騎士にならずに――ということかい?」
少女は首を縦に振った。
「なるほど、それで図書館か。ドラゴンの生態を調べて、卵を取りに行くつもりだね?」
「うん」
「辞めておきな、なんて言ったらさっきの言葉と違えるね。自分勝手に生きろって言っておいて、止めるワケにはいかないだろう」
ルディオラは頭を掻いた。
「アンタを失いたくないって、アタシの気持ちも少しは分かっておくれよ」
「……分かってる」
「ま、国家騎士を目指して武芸を磨いてたんだから、ドラゴンに勝てなくても逃げるくらいはできるだろ。それぐらいは信じるさ。頭を使うより体を動かすほうが、アンタは得意みたいだからね」
テリーヌは国家騎士になるために、日々トレーニングを積んでいる身だ。
かつて異国の闘士だったという母親ルディオラによって、徹底的に武芸を叩き込まれた少女は――その才能を遺憾なく発揮して、国家騎士団主催の武闘大会で好成績を収めるほどに成長した。屋根の上を渡るという通学を可能にしているのも、これによるところが大きい。
「それで、ドラゴンを手に入れたら、どうするつもりだい?」
「それは――」
「お父さんを、探しにいくつもりかい?」
テリーヌは目を見張る。
「まいったな、お母さんはなんでもお見通しなんだね」
「学がなくったって、思うことはできるんだよ」
ルディオラは、テリーヌに父親は生きているということを伝えていた。
「お父さんは十五年前に生きてたが、いまはどうしてるか知らない。それだけはもう一度言っておくよ」
「でも、お父さんのことは話してくれなかったよね。…お母さん、そろそろ教えて欲しいよ」
そこでルディオラの表情は険しくなった。
「それはまだ駄目だ。いくらガサツなアタシでも――お父さんのことは、気軽に話していいことじゃあない」
「どうしてなの? そこまであたしに隠す理由って、なんなの……」
「これは冗談じゃねえからな。…テリーヌの命に、関わることかもしれないんだよ」
「……っ」
命に関わるほどの問題って、なんなのだろう――と。
ますます父親の存在は、テリーヌの頭を悩ませることとなった。
「だったら、いつなら教えてくれる?」
「……」
「いつだったら、あたしにお父さんのことを話してくれるの?」
「そうだな」
ルディオラは深呼吸をひとつした。
「テリーヌが無事にドラゴンを手に入れて――いざお父さんを探しに行こうと、思い至ったときだ」




