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「おいサカナ、ほんとにどうしちまったんだよ――って」
二人を乗せていたキングコボルトは、虚空に溶けるように消滅していった。サカナの召喚魔術が魔力切れを起こしてしまったのだろう。
ザッツはそのまま床に落下して体を打ち付けてしまうのだが、サカナはふんわりと浮いて着地した。
「痛てて……」
すっかり油断していたザッツに、サカナは無言で手を差し伸べた。
「おっ、サカナのくせに気が利くじゃねーの」
ザッツはその手をとって立ち上がった。
「……いや、今のお前はサカナじゃないんだったか」
「ええ、わたしはザッツたちの知ってるサカナじゃない。…だけど違うとも言い切れない」
「それって、どういうことなの?」
ニナが犬のように身震いをして、まとわりついた肉片を飛ばしながら近づいてきた。
「説明するには、ちょっと時間が足りないわね。地上に降りてから初めて記憶が蘇ったけど、活性化したエンジェルソウルのおかげみたいなところあるし」
「地上に降りて? エンジェルソウル? ……何言ってんのか、オレちゃんにはさっぱり分かんねえぞ」
そこでニナが口を挟んだ。
「あははっ、おにーさんは想像力がないんだねえ」
「まさか、天国が存在するとか言うんじゃねえだろうな?」
「そうそうっ、雲の上には楽園があってさ。サカナちゃんはそこに住んでる神様なんだよ」
サカナの表情が曇った。
「神様なんて大層なものじゃない。…それにあんなところ、楽園なんかじゃないから」
「ご、ごめん」
「わたしはいずれ、かの地に復讐しなきゃいけない。ニナちゃんと同じように、その気持ちは決して消えることはないから。…そのためにわたしは地上に降りてきた。彼らが怯えている、地の底に眠るという『悪魔』を探しにね」
「なんだか、スケールの大きな話だな」
「ザッツたちには――あなたたちの住む世界には、まったく関係の無い話よ」
「できれば、そうであって欲しいけどな」
人々の生活を脅かす各地のダンジョン。そして毒にも薬にもなる鉱血病。その元となる種子は天上から降ってくるのだ。それを考えれば、この世界に関係がないとは言い切れないはずだ。
「だから、わたしに残された時間で関係のあることを話そうと思う」
サカナに生えていた純白の片翼が、光の粒子となって消えていく。
彼女が纏っていた神々しい光もまた、次第に収まってきた。
「わたしもある意味では病気なのかもしれない。…だけど、ダンジョンシードによるものでは決してないわ。だから、ザッツがやってた方法で治そうとしても無駄だから」
それは、ルディオラに対して行ったものを指すのだろう。
ダンジョンシードだけを砕くことで、鉱血病を治す方法だ。
「もし本気で治そうとしてるなら覚悟することね。この地上世界においてはきっと『未知』の領域だから」
「そいつは面倒だなあ。さっさとライツ村に送り返しちまうか」
「そんな軽口叩いちゃって。…本当はすごく面倒見がいいくせにさ」
「……希望を持たせるようなこと言って、出来なかったら後でばつが悪いからだよ。そして『悪魔』探しとやらは、マジでお断りだかんな」
「ふふ、ちょっとは期待してるんだよ? だってわたし、ザッツのこと信頼してるみたいだから」
「みたいって」
「今のわたしは、ザッツたちが知ってるサカナじゃないけど――『地上人として生きるわたし』も、わたしの一部であることには変わりないからさ」
サカナは挑発的な表情を浮かべて、ザッツに近づき。
「……!?」
青年を愛おしそうに抱きしめた。
これにはニナも目を丸くし、そして輝かせている。
「その『わたし』はあなたを好いているみたい。…強く言えないようだけどね」
背丈の低いサカナは、上目遣いでザッツを見ている。
「だから、わたしが眠っている間――『わたし』のこと、よろしくね?」
小悪魔的な笑みを浮かべて、彼女はそう言った。
それは打算ゆえの行動か、本心からの行動なのか。ザッツはその真贋を見抜くことが出来ずに、ひたすら悶々としていた。
「もう、限界、みたい」
サカナはゆっくりと目を閉じていく。
彼女の力が抜けていくのが分かったザッツは、抱きしめ返して倒れないようにしてやった。
「いやあ、お熱いねっ! 見てるこっちが火照ってきちゃいそうだったよっ」
「もしかしたら、こいつはニナ以上に爆弾かもしれないな」
「まーた人を爆弾に喩えてさっ、そんなにボンキュッボンがいいわけ」
「なんだそれ、どこの言葉だよ。…って、なんだこの振動は?」
吹き抜けの上が何やら騒がしい。
ザッツたちがそちらに目を向けると、
「いよう少年待たせたなっ、このシレットとリーヴァルト軍が悪しき魔物を成敗致す――ってあれ、もう終わっちゃってた?」
大軍を引き連れてやってきたシレットと、アンフィリテが見下ろしていた。
「どうやら、そのようですね」
「あっちゃあ、もっと刺激的な戦ができると思ってたのに。…仕方ない、プランBに移行するよっ」
「そんなものありましたか?」
「今決めたのっ、はいみんなで屋敷内の捜索に入る! たぶんダンジョンシードの貯蔵室と鉱血病の実験室があるから、ブツの確保と彼らの保護をよろしく!」
「あの、怪我人や奴隷の救助は」
「あ、忘れてたっ――いや、そんなこと指揮官が何も言わなくても臨機応変に対応するの! さあ散った散った!」
パンパンとシレットが手を離すと、彼女直属の部隊はグラジオの屋敷内に散っていく。
「じゃあ私は、カナちゃんのところに行ってこよう。…って、そこのカレシ! なんでカナちゃんに抱きついてんのっ、そんな淫らな行為は私が許さないぞお!」
「そんな大声で何言ってんだよっ、誤解されるからやめろ!」
「ん……」
すっかり意識を失っていたサカナは、そこで目覚める。
そして自身が置かれている状況を確認する。
「きゃっ……!?」
「おわっ!」
サカナは、ザッツを突き飛ばして離れた。
思春期真っ盛りと言わんばかりに、顔を赤くしている。
いつもの彼女に戻ったのだと、ザッツとニナは安堵の表情を浮かべていた。
「ひ、人前でなにすんのっ、ほ、ほんとにヘンタイなんだから!」
「……」
「な、なに」
「やっぱ好いてるよーには見えねえなあ。…やっぱ嘘だなありゃ!」
「???」
困惑しているサカナに、ニナが飛びかかってくる。
「サカナちゃん!」
「ひゃあっ」
そのまま抱きついて、押し倒してしまった。
「元のサカナちゃんだよお。元に戻って良かったあ」
「え、え」
そこにシレットが歩いてやってきた。
「カナちゃん……、カレシに加えてカノジョまで作ってしまうなんて……、私との関係はどうなるのっ!」
話がややこしくなってきたところで、ザッツは姦しいやり取りを遠目に、考えの整理を始めた。
「鉱血病の原因、ダンジョンシードの正体、サカナは上の世界からやってきた異邦人――この闘技場は金にならなかったが、得られるものは大きかったのかもしれねえな」
ザッツは今日の出来事を振り返りながら、今にも崩れそうな天井を見上げていた。
遥か空の上に存在するという、天上人たちが住むといわれる都。
「スケールのでけえ、話だけどよ」
御伽噺にでもありそうな、果てにある『未知』に――思いを馳せつつも、視線を下ろす。
「今は――自分の手に届くものを、大事にしなきゃいけねえよ」
ザッツは、失わずにすんだモノを見つめて、目を細めた。
「上様、報告に戻ったでござる」
「おや、ミカド自ら来るなんて珍しいこともあるもんだ。…あと、その上様っていうの辞めてくれない?」
そこは、ひたすら暗い空間だった。
どこかの地下室か、はたまた閉ざされた屋内か判断がつかない。石造りの壁に覆われ、その一面は本棚になっており、様々な書物がぎゅうぎゅうに詰められている。真ん中に置かれた机には、本や薬瓶などが乱雑に置かれていた。床には足場がないほど木箱が積まれ、開かれているひとつの中を確認すれば、何に使うのか分からない素材がぎっしり詰まっていた。
その部屋に便宜的に名をつけるのであれば、それは研究室でもよいし、ただの倉庫としてもよいだろう。
「これは失礼。…祖国ヤアマトにおける習わしでしてな。他の部下にならって『ますたあ』と呼ぶべきでござろうか」
「ボクたちに上も下もないよ。それに『マスター』と呼ばせているのはボクの召喚魔術だけさ。部下というよりは道具に近い」
ミカドがかしずいている相手は、机の横に置かれている安楽椅子に腰掛けていた。
紫色の髪と、鋭利なアホ毛が特徴的な青年だった。
貴族が好みそうな煌びやかな外套を身にまとい、手の中で薬瓶を弄んでいる。
「ボクに恩義があるのは分かるけどさ、そこまで身を粉にして仕えてくれなくてもいいんだ。気まぐれで助けてしまったものだしね」
「そうでないと、拙者の気が済まないのでな」
「まあいいや、それで闘技場の件で来たんだよね。ミカドが来たってことは、ついに駄目になっちゃったかな♪」
「に、ござる」
「ふーん。しょうがないなあ。…ま、けっこう持った方なんじゃないかな。アースアルムの病院に潜伏したときも、ふとしたきっかけで瓦解しちゃったし」
「運び出すのに苦労したのでござるが、こちらがダンジョンシードの研究結果をまとめた『れぽーと』にござる」
ミカドは青年に羊皮紙の束を手渡した。
「『れべる2』も試してみたでござるが――人選が失敗でござったな、あれを実用段階に至らせるためには、相応の人間が必要でござった」
「高い生命力を備えた人間、か。…上級アンデッドで代用できればいいんだけど、さすがに用意するのが難しいな」
「それに関しては、闘技場にて興味深い人間を見つけたでござる」
「ほほう」
「いや、あの者は自らのことを『化生』と言ったか? それにしては、気脈をみても人間そのものとしか思えなかった。…だが、気を光線のように飛ばすほどの生命力を持った者を見たのは、これが初めてでござる」
「それは『レベル2』を試す価値がありそうだ。もしかしたらダンジョンシードのルーツも探れるかもしれない」
「興味深いといえば、もう一人居りましたな。こちらは研究に使えるかは、怪しいところでござるが」
「と、言うと?」
「金稼ぎにやってきたぱーてぃの一人で、見た目はただのおなごだったでござるが――ひどく歪な鉱血病の波長を観測できたのでござる」
「それは、『レベル1』や『レベル2』ではないと言うことかな?」
「左様でござる。ダンジョンシードの『できそこない』と形容するべきか。…いや、なかなか感覚の話を表現するというのは難しい」
「ミカドは物書きではなく、武士なんだ。しょうがないさ♪」
「かたじけない。…それで、ぐらじお殿に確保をお願いしたのでござるが、おなごの連れがなかなかやる。というのも、りーう"ぁると領領主の娘と知り合いだったのでござるよ」
「あちゃあ、そこで足がついたって感じか」
「うむ」
「それで確保するどころか、闘技場も解体させられるハメになったわけか。なかなかの運命力を持ち合わせているというか。…だからニンゲンっていうのは、面白いんだけどね♪」
「それで、彼らの気を染みこませたものが、これになるでござる」
ミカドは次に、水の入ったボトルのようなものを二つ手渡した。
「ん、ボクの召喚魔術たちに追わせてマークしてみよう。面白そうだったら、ちょっかい出しに行ってみたりして」
「お主も物好きでござるな」
「こんなところに篭ってると運動したくなってくるものさ。長い時を生きていると尚更ね。…と、闘技場のことはこんなものかな?」
「うむ、報告は以上でござる」
やることは済んだと、ミカドは踵を返した。
「では拙者はこれにて」
「おや、せっかく来たのだし、チェスでもしていかないかい?」
「いや、さすがにダンジョンシードの搬入先を突き止められるのはまずいでござろう。移動の利は『人類』に先んじて、転移魔術式があるでござるからな。先手を打てるのであれば打つべきでござる」
「勤勉だねえ。ボクだったら、壊されても時間がかけて復活させればいいと思ってる派なんだけどな」
「だからちぇすが下手なのでござるよ。…では上様、行ってくるでござる」
「あっ、上様はやめてよね」
「そうでござった。これは失敬――では行ってくるでござるよ、あるごのーつ殿」
ミカドは部屋から出ていくと、赤い魔法陣の上に乗って、光の粒子と共にどこかへ消えてしまった。
「ボクってそんなチェス下手かな。…ま、いっか。勝っても負けても、ボクは面白い見世物を観測し続けられるだけで楽しいし♪」
アルゴノーツと呼ばれた青年は、無邪気な笑顔を浮かべ、チェス盤の上にあったコマをひとつ弾いていた。




