36
小太りの男性が、闘技場の奥から必死に駆け寄ってくる。
焦りの表情が隠し切れていない、オーナーのグラジオその人だった。
彼の後ろからすっかり上機嫌のシレットと、安堵の表情を浮かべているサカナが続いている。
「ミ、ミカド様」
グラジオは、ミカドに耳打ちを始める。
「このままですと、『鮮血注ぐ黄金の湖』の経営は破綻――貴方が所望なさった、ダンジョンシードの研究が続けられなくなりますぞ」
「拙者の負けでござる。然るにそれは仕方なきことよ」
「あ、あれが白日の下に晒されれば、わたくしの立場も危うい」
「言いたいことがあるならば、はっきりと口にしたらいいでござる」
「そこを――ミカドのお力で口封じを、とお思いまして」
内緒話を耳ざとく聞き取ったシレットは、眉根を潜める。
ミカドはひとつ、大きく息を吐いた。
「お主は先の試合を見ていなかったのか。…拙者があのおなごに勝てる道理はないでござるよ」
「ですが、我々の手持ちの駒を合わせ、総力戦を仕掛ければ」
「ふむ」
ミカドは考えるような仕草を取り、
「潮でござるな」
懐の中に手をいれて、七色に光る小さな結晶を取り出した。
「ミ、ミカド様、何を」
「それはお主が一番分かっているはずでござろう。お主は負けたのだ。…否、あの権力者を闘技場に招いてしまったことが、すでに失態と言わざるを得ない」
ミカドが何かを手に持ったまま、グラジオに近づいていく。
黒服の側近たちが、彼の行く手を阻む。
「もう少し出来る護衛を用意しておくべきでござった」
「ぐわっ」
「ぎえっ」
ミカドは黒服たちを、一瞬にして『気の刃』で切り伏せてしまった。
気の流れが見えぬ者は、勝手に血を噴き出して倒れているようにしか見えない。
ともあれ。
場外で行われる惨劇に、会場はもちろん騒然となった。
『S』ランクの闘士が、オーナーに対して牙を剥いているのである。
これから何かが起きるだろうことは、闘技場に居る誰もが予感していた。
「あれは――ダンジョンシードだ」
喧騒の中で、成り行きを見守っていたザッツが言った。
「いや、ダンジョンシードはあんな色してねえはずだ。…基本的には、属性に対応した色をしているはずなのに、あれはいったいなんだ?」
天より降り、地に落ちたダンジョンシードは、六属性いずれかの属性を帯びている。そして火なら赤、水なら青など、属性に対応した色を持っているはずなのだ。
「『れべる2』を人に植え付けるのは、これが初めてであるな」
ミカドは、グラジオの首根っこを掴んで引き寄せる。
「き、貴様まさか」
「そのまさかよ。ごく稀にしか見られぬこの上位の迷宮種を――貴殿で試してやろうと思うてな」
「よ、よせっ」
「これがこの地での、最後の実験になるでござる」
ミカドは躊躇うことなく、彼の首下に押し込む形でダンジョンシードを突き入れた。
「ぐぼぁっ!?」
グラジオは苦しそうに呻きながら、自らの首元を掻きむしっている。
「ぎざ、ぎざまぁ……っ」
「力で道理を押し通したいなら、お主がその力で闘技場を護るがよろしい。制御できればの話でござるがな」
「ご、んごご、許ざ、許ざんぞ……っ!」
激情に駆られたグラジオは、ミカドを掴みかかろうとするが、かすりもしない。
豪快に顔を地面に叩きつけた彼は、言葉にならない声で喚きながら、体を掻きむしっている。
「あ、あづい、がらだが」
「『E』の狩人と同じく、ぐらじお殿の気も活性化しておいた。存分に力を振るうといいでござろう。拙者としても良い『れぽーと』が書けるよう、『れべる2』がもたらす恩恵には期待しておる故」
「ぐわああああああああああっ!」
グラジオが絶叫する。
すると彼の体から、肉腫が次々と湧き出していく。
「きゃああああああっ」
「いやああああああっ」
グラジオはみるみるうちに巨大な肉塊の魔物となってしまった。
「ば、化け物」
肥満な体系はそのままに。
人間であろうと掴んで潰すことができそうな腕、自重で押しつぶされそうなのにその体躯をがっちりと支えている強靭な足。
そして、ダンジョンボスと比べても、遜色ないほどのプレッシャーを放っている。
「グ、グラジオ様」
「あんなんありかよっ」
「に、逃げろ」
「シレット様、こちらへ」
必然。
地下闘技場はパニック状態と化し、
「Ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh……ッ!」
駄目押しに『グラジオだったもの』は暴走を始めた。
手当たり次第、蠢くものを狙い、襲っている。
「くくく……やはり、耐えられなかったでござるな」
ミカドは淡々と呟いた。
この結果を予想していたと言わんばかりに。
「おい、おまえっ」
シレットはふんぞり返りながら、ミカドに話しかけた。
「こうなると分かっててやっただろ!」
「左様でござる。…壊れる定めにあれば、盛大に壊してやろう、とな」
「狙いはそれだけじゃないなっ、どさくさに紛れて雲隠れするつもりだろ!」
「分かっているなら話は早い。では拙者はこれにて失礼」
「逃がすワケないだろ、アンフィ頼むぞ!」
ミカドが去ろうと歩み始める。
もちろん、逃がすわけにはいかないと、アンフィリテが立ちはだかる。
「拙者に構っていて、果たしてそれで良いのかな?」
「貴方はきっとこの国にとって――この世界にとって、危険な存在であると私は判断します。だからこそ、此処で逃すわけにはいきません」
「お主の剣は『守り』の剣だ。先ほど見せた『未知』なる力も扱いに慣れていないのでござろう。果たして拙者を追いかけながら、存分にその力を振るえるでござろうか」
ミカドは、視線を肉塊の化け物へ向けた。
「それにお主たちは、逃げ惑う国民をなんとかするべきではないのか。地下闘技場を仕切る者はあのザマ。此処は既に、無秩序に支配された領域でござる」
「そこまで計算してるってことか」
「この場においては、最大の権力者はお主なのであろう。まずはあの脅威を排除するか、リーヴァルト民の避難誘導を先にすることだ。…それとも、賭け試合に耽るような低俗な輩は、助けるに値しない国民ということでござるか?」
「そういうところ責められると弱いんだよなあ。…いいよ、勝手にしなよ。アンフィ、こんなやつ放っておいてアレなんとかするよ」
「……了解しました」
アンフィリテは道を空けた。
ミカドは悠々とその横を通っていく。
「だけど、ひとつだけ言っておこう」
「ほう」
おちゃらけた調子から打って変わって、シレットは真剣な表情を浮かべていた。
「この国でまた何かする気なら、私は絶対におまえを追い詰めるからな!」
「結構。いずれ国を治める立場になるなら、その意気を忘れぬことだ」
ミカドはふっと笑いながら、上階に繋がる扉からどこかへ行ってしまった。
「さて、アンフィリテは避難誘導を頼むよ」
「シレット様は?」
「外に出て援軍を呼んでくる。あんなやつ、まともに戦って倒せるとは思えないよ」
「……」
「本当は、私ひとりで戦ってみたいんだけどね!」
「ご自重ください」
「ところで、カナちゃんはどこいったの?」
シレットは苦い顔になった。
ミカドに夢中で、完全にサカナの存在を失念していた。
「きゃあああっ!」
鈍臭いサカナは、あろうことかグラジオの前で転倒していた。
「Gyuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu……ッ!」
肉塊の大足が、彼女を踏みつぶそうと持ち上がった。
「カナちゃん!」
「ここからでは!」
間に合わない。
シレットとアンフィリテがそう思ったときだった。
「相変わらず、逃げるのがへたっぴだなあ!」
「ザッツ!」
ザッツが勢いよく飛び出してくると、サカナを抱えて離脱した。
大足が地面を叩きつけると、砂塵と風圧が広がって、地下闘技場をぐらぐらと揺らしていた。
「あ、ありがと」
「もっと心を込めて言ってみな」
「……もう、言わない」
「だったら少しは逃げる努力でもしろや! 毎回助けられるわけじゃねーんだぞ!」
「だ、だって、狙われやすいんだもの」
「言い訳すんじゃねーよ、そんな目立つ服着てるせいじゃねーのか」
「う、うるさい!」
「あの、夫婦喧嘩はそこまでにして貰えますか」
「「夫婦喧嘩じゃない!」」
アンフィリテは、いつの間にかザッツたち二人の前に居た。
「アンフィリテのねーちん久しぶり。…あんまり会いたくなかったけど、アンタらのおかげで助かったぜ」
「覗きのことなら水に流しますよ。風呂だけに」
「……」
「礼ならシレット様に仰ってください。いまは外と連絡を取りに向かってるので居ませんが」
「なんかアンタ、ちょっと柔らかくなったな」
「貴方は相変わらずのようですね。ずっとそうして、嫌らしい手つきで抱えているおつもりですか」
ザッツはお姫様だっこの要領で、サカナをずっと抱えている状態だ。
言われて気づいたサカナは、顔を真っ赤にしている。
「ザ、ザッツ、降ろしてよ」
「駄目だ」
「それは私からもオススメしません」
「なんで!?」
「来るぞ!」
肉塊の魔物が、その巨大な剛腕で――地面を撫でるように薙ぎ払った。
リーチに入っていたザッツたちは、大きく跳躍して攻撃範囲から逃れることに成功した。
「完全にロックオンされちまってるぞ、サカナてめえなんかやったのか!?」
「し、知らないよっ」
「ですが、非常に都合がよろしい。私はこのまま避難している者たちの誘導に向かいます」
「おう」
「で、貴方がたは『これ』の足止めをして頂きたい」
「分かった」
そこでザッツは、大声をあげた。
「はあああ!? 無理に決まってんだろーが! アイツの動きはとろくさいが、サカナを何故か狙ってやがるし、こいつが逃げきれなかったんだぞ!」
動きがとろくても、大股で距離は稼がれ、地響きに足は取られる。
現に、サカナは窮地に追い込まれていた。
「何とかしてください、こいつを外に出すわけにはいきませんので――では!」
「あっ、戦線離脱しやがった! ふざけんじゃねえ!」
アンフィリテが遠く離れていく。
ザッツはその背中を目で追ってから、ひとつため息をついた。
「信頼されてるんだろうけどなあ、こっちは試合終えたばっかりなんだぞ――跳んだり跳ねたりするぐらいには回復できたがよ」
「ザ、ザッツ」
「なんだよ」
「おろして」
「駄目だ」
「わたしだって、戦えるよっ」
「お前は荷物で居ろっての」
「やだっ」
サカナの目は、決意に満ちていた。
「荷物でいるだけじゃ、いやっ」
ザッツは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「言ってなかっただろうけどな。荷物扱いは嫌だっつってたダチが昔居てよ。そいつが、オレちゃんの目の前でやられちまったコトがあんだよ」
リングの上に逃げていた二人を狙い、肉塊の魔物は再び大足で狙ってきた。
勢いよく客席の方へと飛んで難を逃れ、そこでサカナをゆっくりと下ろした。
「同じことしやがったら、マジでオレちゃん許さねえぞ」
「……わかってる」
二人は肉塊の魔物を見据えた。
ザッツは背負っていた波状槌を手に、サカナは黄金のブレスレットを赤く光らせ。
「さて、こいつをなんとかして――さっさとニナのやつを助けてやろうぜ」
「う、うんっ」




