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理容店KIRISAKI  作者: 秋山 楓
プロローグ
2/22

第2章 理容店KIRISAKI

「ん……くっ……」


 自らの呻き声をきっかけに、失っていた意識を取り戻した。閉じられた瞼の裏は橙色に染まっていることから、周囲が一定以上の明るさを保っていることが分かる。


 ゆっくりと目を開く。頭上からは明度の高い白色光が降り注いでおり、暗闇に目が慣れてしまった天宮は、鼻の頭に皺を寄せてしばらく細目を保っていた。視覚が機能しないためか、鼻の奥を突く柑橘系の匂いが妙に意識に浸透してきた。


 次第に目が慣れ、気持ちのいい昼寝を妨害されたような不機嫌顔で目を見開いた。

 目覚めた天宮が最初に目にしたものは、驚くべきことに、自分自身の姿だった。


「…………は?」


 咄嗟に間抜けな声が漏れるも、それが鏡であることはすぐに理解できた。椅子に座っている彼の正面には、人一人が丸々収まってしまうほど巨大な鏡がある。その鏡を通じて、天宮は自分自身の置かれている状況を少しずつ把握していく。


「ここは……床屋か?」


 呟いてみてから、確信できた。天宮が普段から利用している店とは物の配置が違うものの、目の前の鏡や洗面台、シャンプーやリンス、きれいに積まれた白いタオルなどが、ここが床屋……もしくは理容店と呼ばれる店であると物語っている。天宮はまるで、椅子に座って理容師の登場を今か今かと待ちわびている客のようだった。


 ただ少しだけ違和感を抱き、すぐに気づく。


 この店には窓が無いのだ。故に空の色で今の時間帯を知ることはできず、仕方なく鏡に映った時計で時刻を確認する。


(十二時前……か。家から出た時は十時過ぎだったから、二時間近く眠っていたのか)


 ただしアナログ時計では、午前か午後かを表してはくれないが。

 しかしそこまで思考が追い付く前に、突如湧き出てきた恐怖感により、天宮は背筋を震わせた。頭の中が、絶対的な警告で埋め尽くされる。


(俺は……あれから一体、どうなったんだ?)


 思い出した瞬間から、全身の汗腺から汗が噴き出るような嫌悪感を覚えた。


 天宮の恋人、青山セナの殺害現場を訪れ立ちつくしていると、前方からハサミを持った銀髪の女が歩いてきた。そして天宮の前で止まると、意味不明なことを言いながら、ハサミを斜めに振り下ろして袈裟斬った。その瞬間、天宮は意識を失ったのだ。


 次に目覚めたのは、理髪店の真ん中、この場所だ。

 つまり得体の知れないあの女は、天宮を何らかの方法で気絶させた後、ここまで運んできたのだろう。

 なぜ、どうやって、などの疑問は真っ赤に鳴り響く警報によって瞬時にかき消される。


 ――逃げなくては。


 いつまたあのハサミ女がやってくるとも限らない。天宮は壁際にある扉を確認した後、脱獄囚が如く椅子から勢いよく跳びはねた。

 が――その時ようやく、逃走がすでに失敗していることに気がつく。


「なっ――」


 思わず絶句してしまった。


 両手両脚が動かない。それもそのはず、天宮の四肢は椅子から伸びた鎖のような物で縛りつけられていたからだ。力一杯もがくも、ギシギシと耳に障る金属音が生まれるだけで、手脚は完全に椅子に固定されてしまっている。平均高校生並みの腕力しかない天宮には鎖を引きちぎるなどの芸当ができるはずもなく、まるで椅子と同化してしまったように、その身体を無理やり揺らすだけだ。


 あらかた粘ってみたものの、鎖が切れる様子はない。混乱の果て、逃げられないという恐怖心が徐々に身体へと浸透していくその時だった。


 天宮の抵抗が終わるのを見計らったように、後方の壁がゆっくりと開いた。

 天宮は一切の身動きをやめ、鏡越しに扉を睨む。

 中から現れたのは、記憶が途切れる直前に相対していた、あの銀髪の女だった。


「あらぁ、おはよう」


 天宮が目覚めていることを確認した女は、薄気味悪い笑みを浮かべながら、ペットを宥めるような口調でそう言った。その言い方があまりに胡散臭く、天宮はさらに目を細め警戒心を高めたことを表す。相手が正面に来たのなら、唾でも吐きかけん姿勢だ。


 女は鏡越しに天宮と視線を合わしながら、後ろ手で扉を閉めた。


 銀髪喪服というのはそれだけで異様な姿だが、煌々と白色光が照らす室内だと、それが一層際立って見える。明るさとは無縁な漆黒の喪服のはずなのに、光を乱反射させる銀髪が暗闇色と複雑に絡み合い、見る者の目を混乱に陥れる。現に天宮も、彼女を見た瞬間、二・三度瞬きをしてしまったほどだ。


 じっと睨むだけで口を開かない天宮に対して、女は困ったように眉を寄せた。


「そう警戒しないでほしいわぁ。私はあなたに危害を加えるつもりはない」


 と言われても、全然説得力がなかった。通りすがりの人間を昏倒させ、気絶している間に他の場所へと運び、逃げられないように鎖で繋ぎ止めておく。警戒しない方がおかしい。


「そうだわ。自己紹介でもすれば、少しは気を楽にしてもらえるかもしれないわねぇ。どうかしら、天宮宗太君」

「な……なんで俺の名前を知ってるんだ!」

「貴方のことは、セナちゃんからよぉく聴いていたわよ。とはいっても、彼女とはそんな頻繁に会っていた間柄でもないのだけれど」


 自分の名前だけではなく、セナのことも知っており、なおかつ自分らの関係もこの女は知っているようだった。


 そこまでして、天宮はようやく手紙の内容を思い出す。セナが会ってほしかった人物は、確か理容師だったはずだ。


 鏡に映った後方の女を睨みつけながら、天宮は疑い半分の目で睨みつけた。


「あんたが、手紙に書いてあった霧咲って人なのか?」

「ご名答ぉ。初めまして、私の名前は霧咲里緒。『理容店KIRISAKI』の店主を務めています。私のことは、気安く里緒って呼び捨てにしてくれても構わないわぁ。以後よろしくねぇ、天宮君」


 妖艶に微笑んだ銀髪の女は、鏡越しに天宮に一礼した。


 妙に甘ったるい口調が少しばかり癇に障るのだが、天宮の警戒心は徐々に薄れていく。変な女だが、コイツがセナが懇意にしていた相手で間違いなさそうだ。


 ただいつも床屋でくつろいでいるほど、リラックスはできない。手錠を掛けられている現状、軟禁されているのとほぼ変わりがないのだから。


「あんたがセナの遠い親戚だってことは分かった。で、なんで俺は椅子に拘束されてるんだ?」

「あぁ、それには特に理由はないわよぉ。しいて言えば、天宮君が錯乱して暴れ出したりしたら怖いなぁ、って思って」


 ほんのちょっと手違いがあった、くらいの軽さで里緒は謝罪した。

 口元を隠し、上品な笑いを見せながら、里緒は天宮の手錠を外す。自由にはなったが、先ほど無理やり引っ張った際、金具が食い込んだ場所が痛かった。

 手首周りに異常がないのを確認していると、里緒が隣の席へ座った。


「この度はご愁傷様でした。まさかセナちゃんが亡くなるなんて……」

「…………」


 言ってることは正しいが、天宮は少し不愉快に思う。この霧咲里緒だって、セナとは無関係ではなかったはずだ。なのに彼女の死を悼む里緒の態度は、まさに赤の他人のような無関心さがあるような気がしたからだ。


「一つ、訊きたいことがある」


 本当は気になることはもっとたくさんあったが、目的の本筋だけは早くしっかりと確認しておきたい。天宮が霧咲里緒の元へ訪れた理由を。


「どうしてセナは、あんたに会ってほしいなんて手紙を俺に遺したんだ? それにもしものことがあったらなんて、それじゃまるで……」


 通り魔に殺されるわけじゃなくても、まるで自分の死期が近いことを予期していたみたいじゃないか。

 そう言いたかったが、途中で言葉を飲み込んだ。予言めいたセナの言葉をこの女に問い詰めたところで、正しい答えが返ってくるとは到底思えなかったからだ。


「そうね。私の方にも、貴方が訪れたらよろしくしてあげてって、セナちゃんから言われていたわ」

「よろしく?」


 その割には通りすがりに昏倒させられたり、手錠を掛けられ拘束させられたりと、あまり友好的な初対面ではなかったような気もするが。そういえば、どうして自分は意識を失ったのだろう。何か変な薬でもかがされたんだろうか?


 記憶が蘇るにつれ、この霧咲里緒に対しての不信感が高まりはしたものの、即座に拒むまでには至らなかった。青山セナという共通の知り合いが、天宮の警戒心を薄れさせていた。


「この店、『理容店KIRISAKI』って知らないかしらぁ?」

「?」


 意図は分からなかったが、黙って首を振った。セナの手紙を読んで、初めて聞いた名前の理容店だった。


「ま、そうね。知る人ぞ知る名店ってことは、知らない人は知らないものだものねぇ」

「有名な散髪屋なのか?」


 にしては暇そうにしているなと思いつつも、そういえば今は深夜十二時だった。

 何気なく時計を眺めていると、隣に座っていた里緒が動いた。何を思ったのか、抜身のハサミを手にし、天宮の後ろに立つ。


 ポジションとしては普通の床屋だが、状況が状況だけに、警戒心を高めないわけにはいかない。背後の女は理容師とは程遠い喪服姿であり、何より出会いがしらの不気味な佇まいと被ったからだ。信用できるはずがない。


「お、俺は髪を切る気はないんだが?」


 動揺はしながらも、普通に言葉にできたのは奇跡か。先ほどから警戒はしながらも、何故か危機感は抱くことはない。奇妙な感覚だった。


「この店ではね、なにもお客さんの髪だけを切っているわけじゃないのよぉ」

「髪だけじゃ……ない?」


 疑問の声を上げ、天宮は軽く首を回した。


 しかし鼻先が触れそうなほど近くに里緒の顔があることに気がつき、瞬時に顔を赤らめる。初めて間近で顔を見たが、この霧咲里緒という人物は相当の美人だ。二十代半ばに見えるも、化粧気は少なく、それでいてあまり肌の荒が見当たらない。元々整った顔立ちでもあるため、喪服や銀髪などといった奇抜な恰好を正当な化粧に回せば、今よりもさらに美しく映えるだろう。まあそれは天宮の子供っぽい考え方なのだが。


「私はね、他人とはちょっと異なる不思議な能力を有しているのよぉ」

「不思議な能力?」

「そうよぉ。ハサミを使って相手の感情を『切り取る』ことができるの」

「感情を……『切り取る』?」


 相手の言葉をしっかりと認識する意味でオウム返ししてみたが、まったくもって理解不能だった。眉根を歪めて鏡に映る里緒に視線を向けるも、彼女の笑顔は変化しない。嘘を言っているようには見えないが、しかし天宮をからかっている可能性は十分にある。


 天宮がそれ以上の言葉に窮していると、里緒が得意気な面持ちで口を開いた。


「口で説明するのも難しいわ。体験してもらうのが一番」


 そう言って、里緒はおもむろにハサミを振り上げた。

 唐突な行為に、天宮は身を強張らせる。フラッシュバックしたのは二時間前の出来事。また意識を奪われる恐怖が全身を襲った。


「ま、待て! 何もしないでくれ!」

「そうはいかないわぁ。だってこれは、セナちゃんに頼まれたことなんだもの」

「セナの……」


 一瞬の出来事。恋人の名前に一瞬だけ意識が囚われているうちに、事は終わった。

 里緒は手にしていたハサミを横に薙ぐ。天宮の頭上で、微弱な風が吹いた。たったそれだけだった。


「さぁて、終わったわよ」

「終わった?」


 何をされ、何が終わったのか。

 訳が分からず、天宮は自分の頭に異常がないか手で探る。しかし切り傷ができているわけでもなければ、変に髪が短くなっているわけでもない。一通り頭全体に触れてから、天宮は珍獣を見るような眼で里緒を睨んだ。


「理解できないって顔してるわね。そう、それが普通の反応よぉ。噂を聞きつけて初めてこの店に来るお客さんも、みんな似たようなリアクションするのよねぇ。けど、難しく考えないでいいわ。いえ、難しく考えてはダメ。ただ単純に、不必要に突出してしまった人間の想いを抑制できるって解釈して」


 耳元で囁く里緒の言葉は甘く、まるで夢の世界へと誘う子守唄のようだった。

 しかし天宮の頭脳が受け入れる印象は正反対だ。掛け算をできない人間が微分を使って数式を解く努力をしているように、混乱のブラックホールへと招き入られてしまう。


「感情はね、髪の毛みたいなものなのよぉ。喜怒哀楽を筆頭に、不安や希望や憎しみ、両手の指では収まらないほどの多種多様性があるけれど、根本はみな同じ。その人の感性や理性、知性に影響されて、伸びたり縮んだりするの。私のハサミはね、そんな伸びすぎてしまった感情を短くすることができるのよ」


 天宮から離れた里緒は、嬉しそうにハサミを動かした。どうやらそれはただのパフォーマンスのようで、今は実際に天宮の感情に影響があったようには感じられなかった。


 しかし――そんな馬鹿な、と天宮は思う。

 ただの変哲もないハサミで、人間の感情などという抽象的な物を切る?

 そんなSFやファンタジックな能力が、この現実世界に存在するはずは……ない。


「否定する? それもいいわ。けど君は、物理的にはあり得ない現象が起こり得ることをすでに知っている」


 ドキリと鼓動が弾んだ。同時にセナの顔が思い浮かぶ。

 それを振り払うかのように、天宮は里緒に問うた。


「感情を切り取るって言うんなら、俺のどんな感情を切ったんだ? あまり変わり映えしたような気はしないけど」

「そうね。貴方をここへ連れてきた時に、猜疑心を少しと……」


 あぁ、道理で。と、天宮はなんとなく納得してしまった。

 里緒の『感情を切り取る』という能力が真実だと仮定すると、軟禁された状態でパニックにならなかったのも頷けた。


「今は貴方の悲しみを切り落としたわ」

「悲しみ?」

「そう、それがセナちゃんからのお願いだったからねぇ」


 その一言ですべて理解できた。


 死期が近いと悟ったセナは、天宮が悲しまないよう、里緒に依頼した。そのため、遺された手紙には店の場所以外には何も書かれていなかったのだろう。もし詳細に記したとしても信じなかっただろうし、何よりセナを失った悲しみを忘れたくはないと、天宮は頑として拒否したはずだ。


 最期の最期まで自分のことを想ってくれていたセナに対して、天宮は感謝の涙を流した。


「当然だけど、料金は頂かないわよぉ。他ならぬセナちゃんの頼みだからねぇ」

「そういえばこれも商売だったんだよな。……ありがとう」


 おそらく、今の天宮の心境のような客を相手取って商売をしているのだろう。強引だったとはいえ、里緒もまたセナの意を汲み取ってくれた。感謝の言葉を述べながら、天宮は溢れ出る涙を拭きとった。


 だがしかし、悲しみが晴れて心が爽やかになったかといえば、そうではない。

 いや、確かに一度は気分が晴れた。つっかえていたわだかまりが取れ、心が軽くなったようだった。

 ただ悲しみという感情が取り除かれ、それで終わりではない。空いた場所は空白となり、残っていた別の感情がその穴を埋める。


 満たされたのは復讐心だった。犯人への殺意、憎しみ、怒り。

 それら負の感情が、停滞していた天宮の思考を加速させる。


「なぁ。どうしてセナは……殺されたんだと思う?」


 先ほどは、どうせ正解が返ってこないと諦めていた質問だ。


 病気でもなければ、自殺でもない。言ってしまえば、完全で完璧に偶発的な事故。セナが未来予知でもしていなければ、あんな手紙を遺せるはずがない。


 感情の波に押され、欲求不満になった天宮はどんな回答でもいいから他人の意見を欲したかった。


「もしかして、天宮君は犯人への復讐を企んでいるのかしら?」

「…………」


 図星だったので否定はしなかった。しかし誰だって恋人を殺されれば、悲しみの海に沈み、そして怒りの矛先は殺意と変わって犯人へと向けられるだろう。里緒の指摘は一般論からしてももっともだと思う反面、だからこそ復讐は虚しいことだと諭されたくはない。今さら禅問答を説く気はない。


 天宮は黙ったまま里緒を睨んだ。


「そう。じゃあまた明日いらっしゃいな」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味よ。明日のこの時間、この店に来てくれれば君の復讐を手助けしてあげられるわぁ」


 言い回しは不可解だったが、一つだけ理解できたことがある。

 この霧咲里緒という女は、連続殺人事件について何か知っている?

 ただ驚きのあまり椅子から乗り出したものの、深く問い詰めるまでには至らなかった。情報を欲する欲求不満よりも、生じたのは疑問だ。


「あんたは……何を知っているんだ?」

「貴方よりも多くのこと」


 人差し指を立てた里緒は、まるで内緒話でもするかのように唇へと当てた。

 その仕草を、他言無用でお願いするわ、と天宮は解釈した。


「頼む! なんでもいいから教えてくれ! 俺は奴を……」


 殺す! その決意は、いつの間にか天宮の唇に移動していた里緒の人差し指で遮られた。


「慌てないでぇ。手助けするとは言ったけど、それは明日の話。今日はどうあっても帰りなさいな。時間も時間だし」


 少しだけ赤面していた天宮は、拗ねたようにそっぽを向いた。

 どうやら今日はどう頼み込んだところで教えてくれそうになさそうだ。ならば相手の機嫌を損ねないよう、今は強引に出ない方がいい。自分のわがままがすべて通ると思っているほど、天宮も子供ではない。


「じゃあ訊くけど、どうして明日なんだ? 今教えられない理由はなんだ?」

「貴方の覚悟を決めさせるため。たとえ私が与えた情報で復讐を果たしたとして、それから日常生活へ戻れるとは思えないわぁ。そのための期間。しっかり考えて、覚悟を決めてらっしゃい」

「構わない。そんな時間はいらない。俺にはもう覚悟はできている」

「私が構うのよ。どんな結果が出るにせよ、私のせいにされちゃ困るからねぇ」


 言ってることはもっともだ。そして里緒の持っている情報は、多かれ少なかれ、殺人犯に通じていることは確実だろう。初対面の天宮の身を案じるよりも、自分への責任を逃れようとしているところが、情報の真実性を如実に物語っている。


「また明日、同じ時間にこの店に来ればいいんだな?」


 だからこそ天宮は身を引いた。慌てたところで、良い結果は何も生まれない。

 餌のお預けをくらった獰猛な犬のような天宮を前にして、里緒はニタリと嗤った。


「えぇ。なんなら、迎えに行きましょうか? 貴方と会った場所まで」

「いらない。地図はあるし、帰り道で覚える」

「そ。ならいいわ」


 そう言って、里緒が離れていく。

 何をするのかと思えば、ただ天宮をお見送りするだけのようだった。


「レーオ、お客様のお帰りよ。扉を開けてちょうだい」


 部屋の端の向けて呼びかけたようだ。そして天宮は驚く。そこに人が立っていたからだ。並べられた観葉植物の向こう側で、背の高い痩躯の男がこちらを見下ろしていた。


 ここが理髪店と知った時点で、観葉植物の向こう側が待合席だとは気付いていたが、まさか人が座っているとは思わなかった。鉢と鉢は密接されているとはいえ、目を凝らせば葉と葉の間から向こう側を窺える。それでも天宮が人の存在に露ほども気付かなかったということは、男は身じろぎ一つ、呼吸すらも最小限に抑え、まるで置物のように居座っていたということだ。


「ああ、心配しないで。彼は私の弟、霧咲怜生よ」


 身元を説明され、天宮は再び長身の男を見上げた。そうする間にも、怜生は挨拶などする様子もなく、さっさと姉の指示通りに扉を開けに歩く。


「ま、今の態度で分かると思うけど、人見知りで無愛想な愚弟よ。ちなみにシスコン」


 最後のは別にいらなかった。


 怜生の姿は、姉の里緒に比べれば幾分か普通だった。藍色のセーターの上に薄手のダウンジャケットを羽織っており、下は色褪せしたダボダボのジーンズだ。学業にそれほど力を入れていない大学生、と言えばしっくりくる。ただ姉が理容師のはずなのに、その頭は目も当てられないほどの惨状だった。無造作に伸ばされた髪は、一本一本がまるで自由意思を持っているかのように、毛先があっちこっちを向いてしまっている。寝癖が頭全体で起きたようなものだった。


 そして彼の首からは、何故か一眼レフカメラがぶら下げられていた。歩く振動で腹の辺りで揺れるカメラを抑えつけ、霧咲怜生は無言のまま扉を開けた。


 天宮は立ち上がる。長時間座っていたことで身体の節々が固くなってはいたが、それ以外に不自然な痛みなどはなかった。

 腕や脚を適度に回しながら、出入り口へと向かう。


「あぁ、そうそう。一つだけ教えといてもいいかなぁ」

「……何をだ?」


 敷居を跨いだところで呼び止められた。

 頭上に差す霧咲怜生の威圧感にビビりながら、天宮は振り返った。


「セナちゃんが殺された理由」


 店内で天宮を見送る里緒は、右手を振った。

 しかしその動作は、グッバイの意味ではなかった。


「彼女も私と同様、右手に不思議な能力を持っていなかったかしらぁ」


 それが別れの言葉だった。

 扉が閉められる。天宮は呆然としながら、扉に掛かっている『close』の札を凝視することしかできなかった。


「……え?」


 内側から聞こえた鍵を掛ける音とともに、天宮の思考も再度動き出す。問い詰めようとも、もう遅い。鍵の掛ける音は、今日はもう店じまい。すべてはまた明日。という意味を強く代弁していた。


 強行突破は無理だと判断した以上、意識は頭の中へと向かう。


 確かにセナも……不思議な能力を持っていた。天宮が里緒の能力を聞いたとき、完全否定できなかった理由はそれだ。天宮は過去、青山セナという人物から、世の物理法則では説明できない現象が存在することを聞いている。そしてそれを目の当たりにも。


 そう、セナも右手だった。不思議な右手だと、本人も言っていた。

 しかしそれを知っているのは天宮と、セナの家族だけだと彼女は言っていたはずなのに。

 それをどうして霧咲里緒は知っていた?


 そこまで考えて、天宮は無理やり思考を止めた。

 考えることに意味はない。明日、また明日だ。明日、アイツの知っていることを絶対に全部聞き出してやる。


 決意を胸に秘め、天宮は踵を返した。


 店を出てから、どうしてこの理髪店には窓がないのか、その理由を天宮は知った。扉のすぐ前は、コンクリートの上り階段になっている。両側はレンガ造りの壁。つまりこの店は、地下にあるのだ。


 階段を上る。地上の風景は、天宮もよく見知った商店街だった。


 ただもちろん、今現在はどの店もシャッターが下ろされ、営業はしていない。等間隔に並ぶ街灯の明かりだけが、普段は賑わう商店街の為れ果てを演じている。まだ現役の店は多く存在している商店街だが、時間帯が時間帯だけに、そこには幻影にも似た儚さが漂っていた。


「看板もないのか。これでよく営業できるよな」


 店から上ってきた天宮は、そう漏らした。


 呉服屋と八百屋の間に、ぽっかりと開いている空間。何か目印でもなければ、この先に理髪店があるなどとは絶対に気づかないだろう。むしろ従業員以外立ち入り禁止かと勘違いされるか、たとえ理髪店だと知っていても、明かりもない不気味な雰囲気に足踏みさせられることだろう。


「知る人ぞ知る名店……か」


『理容店KIRISAKI』。

 不思議な店で、奇妙な店主だった。

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