第2章 準備
作戦会議を開く前に、天宮は水分補給をしてトイレを済ませた。
正直、眠気と空腹が限界に近かった。思い返せば、昼飯は怜生が買ってきたコンビニ弁当しか食べていないし、睡眠に至ってはネットカフェで仮眠を取ったくらいだ。その仮眠というのも慎吾への怒りで興奮しすぎて、頭が休めたかどうかも怪しいものだが。
だが、ようやくセナの仇を討てる悦びで自らを奮い立たせる。脳内では未だかつてないほどのアドレナリンが生み出されているため、空腹や眠気などは大して気にならなかった。心配事があるとすれば、真理子のことだ。
「真理子……」
無意識のうちに呟き、彼女の顔を思い浮かべていた。
無事だろうか。個人的な復讐に巻き込んでしまい、本当に申し訳なく思う。
様々な想いが天宮の中で交錯していた。
「改めて確認するわね。長谷川さんの要求を受ける方向で話を進めていいのよね?」
台所の椅子に腰を掛けると、里緒が訊ねてきた。
要求というのはつまり、長谷川の家から持ち出した人体の一部を持って、一人で会いに行くということだ。そして長谷川の言葉通りなら、天宮はその場で――殺される。
しかし恐ろしくはなかった。むしろ歓喜したくらいだ。
「俺は奴を殺したい。奴も俺を殺したい。これ以上の利害一致はないだろ」
それに要求を拒否したら真理子が殺されてしまう。それだけは絶対に避けなければ。
仕方がないわね。とでも言わんばかりに、里緒は深く息をついた。
「なぁ、里緒。どうして長谷川は自分の能力を素直に話したんだ? 黙っていた方が、もっと優位に事を進められたと思うんだが」
「あれはたぶん王子創平と同じ手法よ。ある程度自分の情報を開示して、こちらの思考を縛り付けようとしたんだと思う」
「根拠はあるのか?」
「第一子である長谷川さんが、無意識下で他人を操る『だけ』とは思えないわぁ。だって私自身がそうなんだもの」
「なるほどな」
理に適っているし、説得力があった。
確かに無意識を操るだけでは、真理子に鍵を開けさせることなどできないだろう。現状、どんな方法を使ったのか、天宮には想像すらできないが。
「逆に可能なのか? 一人だけならまだしも、周囲にいるすべての人間を操って殺人現場を見せないようにするなんて。同じ呪家としての意見が欲しい」
「同じにされても困るわぁ」
脳と右手では使い勝手が違うのだろうが、それでも一般人の天宮よりは共感できる部分があるはずだ。
「そうねぇ……申し訳ないけど、やっぱり確実なことは言えないわ。だから今から私が話すことは、すべて憶測。鵜呑みにしないで」
「分かった」
「まず最初に天宮君の疑問だけど、『可能』と結論付けた方がいいわね。何事も最悪の想定をしておいた方が無難だもの。そして長谷川さんが話したことは、すべて『本当』。やっぱり嘘を織り交ぜるよりも、正しい情報を一部だけ渡した方が信憑性が増すと思うの」
「……そうか」
「それに私たちが今こうして会話していることからも、決して抗う術のない能力ってわけでもない。もし完全に他人を操れるのなら、わざわざ取り引きをするまでもなく、いきなり店に来て三人とも殺せばいいだけだもの。右手さえ封じてしまえば、私も怜生もただの一般人ですからね」
「でも長谷川にはそれができない」
「そう。ヒントは『無意識』という単語ね。常に長谷川さんの能力に意識を割いていれば、操られることはないと思うわ。ただ言葉通りに受け止めるなら、自分が意識できないところは無理そう。例えば知らないうちにお漏らしさせられちゃうとか」
最後のは冗談だとしても、天宮の中で再び疑問が浮上した。
だとしたら、長谷川は何故自分の能力を暴露したのか。こちらが何も知らなければ、奴自身が言っていた通り、天宮に対して透明人間みたいに振る舞えたはずなのに。能力の開示は、デメリットしかないように思える。
つまり、あるのだ。天宮を確実に葬り去ることのできる別の方法が。
その事実に行き当たり、天宮の中で言い知れない不安が募っていった。
何か良い案を出してもらおうと思い、里緒の方を見る。しかし彼女もまた、天宮と同じように深刻な顔をしていた。
「どうしたんだ?」
「いえ、ちょっと変だなと思って」
「変?」
「ええ。今まで回収してきた、被害者の残留思念について考えていたのよ」
セナのダイイングメッセージで犯人を特定できたため、残留思念のことは天宮の頭からすっぽり抜け落ちていた。
「犯人に襲われる直前まで、被害者は感情らしい感情を抱いてなかったって件よ。無意識を操るだけなら、感情を失うことなんてないはず。あれは意識そのものがない状態だった」
「確か夢遊病患者のようだったって話だよな?」
「夢を見ている人間の感情は、ちょうどあんな感じになると思うわ」
じゃあ被害者は夢を見ていた? 長谷川の能力は他人に夢を見せること? もしくは意識を奪う……相手を強制的に眠らせられること? 無意識を操るというのはハッタリか?
――ダメだ。何を考えても辻褄が合っているような気がしてくる。もしかして長谷川は、こちらの精神力を削ぐために自分の能力を開示したのか? と勘ぐってしまいそうだった。
「根を詰めすぎちゃダメよ。こんなところで体力を消耗してちゃ、貴方、殺されるわ」
「ああ、分かってる」
それからしばらく会話がなかった。
長谷川の能力は何なのか。五人も殺した殺人犯に、どうやって立ち向かえばいいのか。
あらゆる状況を想定している間にも、運命の時間はやってくる。
固定電話が鳴り響いた。
里緒と視線を交わした天宮は、一度だけ力強く頷いてから受話器を取った。
『無駄話はしない。私は君を殺したい。君は私を殺したい。それで十分だな?』
「同意するのは吐き気がするが、その通りだ」
『よろしい』
長谷川の指示はいたって簡単だった。
被害者の部位をすべてを持って、深夜二時に指定した公園まで一人で来ること。
それだけだった。あとは天宮の携帯番号を教え、適当な憎まれ口を叩き合いながら通話は終わった。細かい指示は、また後でするらしい。
「あの児童公園かぁ。この辺りだと、周りの民家が一番少ない所なのよねぇ。やっぱり目撃者が出ないように能力を使うと、それだけ集中力が下がるのかしら。真理子ちゃんと遺体の交換だけでなく、ついでに天宮君も殺さなくちゃいけないし」
「ついでなんかで殺されてたまるか」
もちろん、ついでじゃなくても殺されるつもりなど毛頭ないが。
時計を見てみる。深夜二時までは、まだ五時間近くもあった。
「少し寝ておきなさい。体力を温存するのは重要よ」
「ああ、そうする。けど、その前に頼みたいことがある」
「あら、何かしらぁ?」
「何か武器が欲しい。できれば片手で扱えそうな刃物とか」
今朝、慎吾に返り討ちにされたことが響いていた。正面からだったとはいえ、不意を突いても一太刀すら入れることができなかった。やはり右手を失ったハンデは大きい。
長谷川も武装するなとは言っていなかったし、天宮が武器を所持してくることは百も承知のはず。一振りで負傷させられる程度の物は持っていきたい。
「分かった。あとで俺のバタフライナイフを貸そう」
怜生の申し出に、天宮は頭を下げた。
「それと、もう一つ。長谷川を前にしたら、冷静でいられなくなるかもしれない。今のうちに『怒り』を切り取っておいてくれないか?」
「ええ、お安い御用よ」
笑顔で頷いた後、里緒はハサミを大きく振り上げた。




