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理容店KIRISAKI  作者: 秋山 楓
第3話 決別

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第1章 決意

 気絶している人間は夢を見ない。と、天宮は今までそう思っていた。


 それは実体験だ。霧咲里緒と初めて顔を合わせたその瞬間に気を失い、次に目を開けたのは店の中だった。天宮宗太にとって、その二時間は完全に失われている。


 しかし今回、その認識は完全に覆された。


 眩い光が虹彩を刺激したのと同時に、徐々に意識が戻っていくのを感じた。まるで水底で寝転んでいて、そのまま水面へ浮かび上がっていくかのよう。身体を寝かせたまま、自然に目が覚めるのを天宮はじっと待つ。


 ただ意識は取り戻しても、覚醒は訪れなかった。


 変な感覚だ。起きているはずなのに、五感のすべてが中途半端だ。視界は明度だけが鮮明であり、耳に入る音は妙に遠く聞こえる。一番の謎は、身体がまったく動かないことだ。


 待つしかない。自由になるまで、じっと。

 故に考える時間はたくさんあった。


 王子探偵事務所で王子創平の死体を発見し、真理子の能力で右手が肉塊へと変わり果てた。自分は痛みのあまり昏倒してしまったのだろう。そこから一時的に記憶は飛ぶが、聞こえてくる音や会話からして、救急車で運ばれたに違いない。分からないのは今の時間だけだ。


 怒鳴り声が聞こえた。呼びかける声も聞こえた。知っている声に、涙が混じっているのも分かった。


 震動する身体。鳴り響くサイレン。仄かに熱を発する右手。


 病院に担ぎ込まれ、傷の処置をされている間、天宮はずっと夢とうつつの間を行ったり来たりしていた。


 手術が終わり、病室で寝かされる。ようやく周りが静かになった。

 記憶が蘇ってくる。そんなに昔のことじゃない。わずか数時間前だ。


 王子創平の首には、赤い痣のようなものがあった。素人の目から見ても分かる。あれはワイヤーのような細い糸で絞められた痕だった。


 いつ? 真理子が事務所を出て帰ってくるまでの間だろう。その時間は十分にあった。


 どうやって? 王子創平はすべての感情が削がれた状態だった。たとえ真正面からゆっくり糸を巻きつけたところで、抵抗すらしなかったに違いない。詳しいことは里緒に聞けば分かるはず。


 誰が? 何のために?


 決まっている。連続殺人犯だ。天宮がぶっ殺すと誓った、あのクズだ。王子創平の眼球が奪われていたのだから間違いない。


 記憶はさらに遡る。


 里緒と出会ったあの夜、セナが殺された現場へ行ったのは、あれが初めてだった。怖かったのだ。彼女が犯人とどう対面し、どんな屈辱を味わい、どんな気持ちで死んでいったか、想像してしまうのを。


 王子創平の死を目の当たりにした天宮は、たっぷりとある時間の中で、嫌でもセナの死を思い描いてしまった。


 きっと辛かっただろう。きっと苦しかっただろう。きっと怖かっただろう。

 計り知れない絶望とともに、幼い少女の命は奪われた。


 許せない。許さない。絶対に殺してやる。

 殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺殺殺殺コロスコロスコロス―――。


「…………」


 薄暗い部屋の中、天宮は知らない天井を見つめていた。

 消毒液の匂いが鼻腔を刺激する。聴こえるのは無音だけ。

 病室のベッドで横たわる天宮は、ゆっくりと右腕を上げた。


「あぁ……お前と同じになっちまったな。セナ」


 目の前に掲げられた右手には五指がなかった。それどころか手の平もない。先端が丸まったただの棒のような腕に、白い包帯が巻かれてるだけだ。当然のことながら、何も掴めないその右腕が妙に軽かった。


 残っている左手で目頭を覆う。それが涙を拭う行為であることに気づいた。


「悲しいの? 天宮君」


 耳元で声がした。首を横に傾ける。銀髪喪服の女が立っていた。


 面会時間をとうに過ぎた深夜だというのに、どうしてこの女は病室にいるのだろう。いや、そもそも患者が意識不明の場合は医者や家族以外は面会謝絶のはずだ。赤の他人である里緒が病室に入れるはずはない。


 しかし天宮は驚かなかった。むしろ、ここに里緒がいて当然だと思った。


「違う。悔しいんだ」

「そう……」


 沈むような声。人を小馬鹿にした普段の陽気さは感じ取れなかった。

 ほとんど輪郭でしか捉えられない女に向かって、天宮は説明を求める。


「あれからどうなった? どれくらい時間が経った?」

「一日と少しよ。王子探偵事務所の窓ガラスが割れて、通行人が警察を呼んだの。で、事務所内で倒れている貴方と真理子ちゃん、そして王子創平の遺体を発見。貴方たちはすぐに救急車で運ばれたわ」

「そうか」


 意識を失っている間、いろいろ考えていた体内時間とほぼ一致した。


「真理子は無事なのか?」

「無事……とは言い難いわね。ただ怪我もなかったし、入院もしていない。身寄りがすぐに駆けつけて来れる家柄ではないから、今は私の店で預かってるんだけど……」

「?」


 言葉に詰まった里緒の態度を訝しげに思ったが、すぐに汲み取れた。


 最愛の兄の亡骸を間近で目撃したのだ。肉体的な損傷はなくとも、心に重大な傷を負ってしまったのかもしれない。


「けど貴方の行動は無駄じゃないわ。少なからず真理子ちゃんの心の負担は減ったと思う」

「俺が何をしたのか、見てきたみたいに言うんだな」

「その右手を見れば容易に想像できるわ」


 それは真理子の能力を知っていたら、だろう。普通に考えれば、あの状況で天宮が右手を失う理由など想像もできまい。


「その後は特に進展もなし。手術が終わった貴方は、ずっとこの病室で眠っていたわ。面会謝絶で、刑事さんすら入れなかったみたい。だから私はこうやって無断で訪れたの」

「犯人は?」

「捕まっていない。手掛かりがあるかどうかも、まだ私の耳には入っていないわ。ただ長谷川さんも言ってたけど、王子創平の眼球が奪われていたことから、犯人は……」

「あぁ、分かってる」


 自然と怒りが込み上げてきた。無いはずの右手が疼く。


 ふと天宮は疑問を抱いた。どうして里緒は、病院に忍び込んでまで自分に会いに来たのだ? 情報を与えてくれるのはありがたいが、それは面会できるようになってからでも……むしろ退院してからでもよかったのに。


 天宮の心中を読み取ったのか、里緒は神妙な面持ちで口を開いた。


「天宮君。この事件からは手を引きなさい」

「…………は?」


 何を言われたのか、すぐには理解できなかった。


 手を引く? 意味が分からない。諦める理由が思い当たらない。たとえ協力関係を破棄されようとも、天宮は殺人犯を殺すことに命を捧げると誓ったのだから。


「やはり一般人の貴方には危険すぎた。相手は呪家をも殺す凶悪犯。たとえ追い詰めたとしても、返り討ちに遭うのが関の山だと思うの。ここは警察に任せた方が無難だわ。いつかは必ず捕まるから」

「いつかって、いつだよ」

「…………」


 噛みつくような声で言う天宮に、里緒は押し黙った。


 確かに犯人はいずれ捕まるだろう。日本の警察は優秀だ。五人も殺しておいて、まったく検挙されないなんてことは滅多にない。そうなれば遅かれ早かれ死刑台へ送ることはできる。


 けど、それではダメなのだ。この手で殺人犯の息を止めてやらなければ、胸の内で燃え盛る太陽のような憎しみは晴れないのだから。


「元々覚悟はできている。返り討ちに遭ったって、それが結末なら諦めるさ。この右手も……犯人を殴る力が半減して残念だ、くらいにしか思っていない」

「本当に?」

「…………」


 まるで本心を見定めるような問い掛けに、今度は天宮が黙り込んだ。


「殺す殺すと口では粋がっているけど、心のどこかでは未だ日常生活に未練があるんじゃないのかしら?」

「……なんでそう思うんだ?」

「私は他人の感情が視えるから」


 この上なく説得力のある言葉だった。


 もしかしたら里緒には、天宮自身にも自覚できていない感情が視えているのかもしれない。心の中を覗かれているようで、天宮は無意識のうちに左手で胸を押さえていた。


「はっきり言って、貴方はまだ子供。嫌だ嫌だと駄々をこねれば、どこかの誰かが何とかしてくれると思っている」

「違う。俺が全部やる。犯人を殺すのは俺だ!」

「だから本当に分かってるの? 殺すのは貴方。捕まるのも貴方。裁かれるのも貴方。責任を負うのも貴方。親を悲しませるのも貴方。全部とはそういう意味よ」

「――ッ!?」


 分かっている。頭では理解できている。

 でも、本当か? 本当にすべてを背負うつもりで行動していたのか?

 ……途端に自信がなくなってきた。


「じゃあ俺にどうしろっていうんだよ。セナを殺された怒りはどこにぶつければいいんだ!」

「何も諦めろとは言っていないわ。貴方が本当の覚悟を見せてくれれば、引き続き私は協力してあげる」

「……俺の覚悟なんて、どうやって証明すればいい?」

「脱走しなさい」


 その声はとても冷ややかだった。


「貴方が持っているものをすべて捨てて、病院から抜け出すの。もしその覚悟すらないというのであれば、もう二度と私を頼らないでほしい。遊び感覚の子供と一緒に殺人事件の捜査なんてしたくない」


 冷酷、なのだろう。他の人が聞けば、あまりの身勝手さに呆れてしまうかもしれない。


 しかし天宮にとっては、不思議と親切心に溢れている言葉だと感じた。里緒の立場からしたら、天宮を同行させるメリットは皆無なのだ。にもかかわらず、選択肢を与えてくれる。これが優しさでなければ、何だというのか。


「幸いにも貴方のお母さんが持ってきた服がそこにあるわ。さすがに病人服で出歩くわけにはいかないものね」


 面会人用の椅子へ視線を移すと、里緒が背を向けた。


「店で待っているわ」


 それはまるで、天宮が病院を抜け出すのを確信しているような言い方だった。


 私物を確認している間にも、里緒は姿を消してしまう。もちろん幽霊ではないため、扉から堂々と出て行ったのだが、そもそも彼女はどうやって忍び込んだのか。まあ、そんなことはどうでもいいのだが。


 一人残された天宮は考える。いや、考えるまでもなかった。

 決意は最初から決まっていた。


 それからの行動は早かった。私服に着替え、ここが何階なのか窓の外を見て確認し、鈍った身体を解すようにストレッチをする。里緒が去ってから病室に留まっていた時間は、ものの十分にも満たなかった。

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