心理学で社会問題を斬る!
「認知的不協和」と呼ばれる心理学理論があります。どのようなものかというと、矛盾する認知が同時に二つ存在した場合、人間は非常にストレスを感じます。そこで、片方の認知を変更することで解決を図ろうとする、という理論です。
ちょっと難しいですね。実際に見てみましょう。
・認知A タバコを吸いたい。
・認知B タバコを吸うと肺がんのリスクが上がる。だから吸いたくない。
これが、認知が矛盾した状態です。この状態は二律背反ですから、非常にストレッシブな状態にあります。そこで片方を変えてそれを解決しようとします。この場合だと、Aを「タバコを吸わない」に変更して揃えるのがどう考えても正解です。ところが、タバコは非常に常習性が強く、なかなか止められません。Aを変えられないとなると、Bを変えなければいけません。間違った選択をしてしまうのですね。間違った結果……
・認知A タバコを吸いたい。
・認知B タバコを吸っても必ず肺がんになるわけではない。だから吸ってもいい。
と、こうなってしまうのです。さて、ここからがポイントなのですが、このBを変えるという選択は消極的な理由で選んだものなので、「この選択は正しかったのだ」と、様々な方法で正しい選択肢だと思い込もうとするのです。
例えば、「気分がすっきりして仕事がはかどる」。しかし、喫煙後は作業能率が落ちることが実験で証明されています。そもそも(少々心理学から離れて脳医学の世界になりますが)、タバコを常習することで、快楽物質ドーパミンが脳内に放出される状態に脳が慣れてしまっており、正常な状態がむしろ物足りなくなっているだけなのです。だからイライラして気分がすっきりしないのですね。
また、認知的不協和を間違った選択で解決してしまった人は、往々にしてその矛盾を指摘してくる人間に、批判的な感情を抱きます。あなたが愛煙家だとした場合、私に今「嫌煙厨」というレッテルを貼りませんでしたか? 貼ったなら、あなたは「攻撃されている」と思いこんで、戦闘モードに入ってしまったのです。
認知的不協和は色んなことに応用できます。児童虐待を理解するには、認知的不協和の概念が大変重要になってきます。
その前に、大事なワンクッションを置きましょう。弱者の気持ちが理解できない人間には二種類あります。ひとつは、自分が恵まれているので、苦境が想像できないパターン。かつて、千代の富士は捻挫した力士に対し、「捻挫ぐらい何だ!」と、故障を気遣うどころかそれを甘えと厳しく非難しました。しかし、いざ自分が捻挫してみると、「こんなに辛いものだとは思わなかった」と、己の無知を反省したそうです。
もう一つのパターンは、認知的不協和で認知が歪んでいるパターンです。自分も恵まれていないのに、「日本は良い国だ。だからあなたは幸福だ」という同調圧力に屈して歪んでしまい、同じく苦境にある人の悲鳴を甘えと攻撃してしまうのです。
では、前知識も持っていただいたところで、認知的不協和による虐待の構図を見てみましょう。
・A 私は愛されている実感がない。
・B 世間の常識では「子を愛さない親はいない」と言っている。
この場合、Bを書き換えて、「・B だから私は愛されていない」という結論になるのが正しい認知です。しかし、無知と歪んだ認知によって形成されてしまった「子を愛さない親はいない」という同調圧力が強すぎるために、Bを書き換えることが許されず、「・A 私は愛されている」と、間違った方向に進んでしまうのです。
一度間違った方向に行くと、ドミノ倒しのように間違いをどんどん犯すようになります。先ほど述べた、「同じく苦境にある人の悲鳴を甘えと攻撃してしまう」ようになるのですね。虐待の連鎖は、こうして起こります。
これでまだ信じていただけない向きには、以下の資料を提供します。かつてアメリカで二万人を対象に精神異常を調べたところ、実に九十五%(!)に何らかの異常が見られました。実は、精神的に不健康な方が「普通」なのです。しかし、普通だから良いわけでは当然なくて、治していかなくてはいけないのです。
この認知的不協和、ブラック企業がのさばっているシステムも暴けます。
スパイっていますよね? 彼らは仕事の厳しさに反して、基本的に薄給です。ヴォルフガング・ロッツという、幸運にも社会的に表に出ることを許されて引退した元大物スパイが実在するのですが、新人のテストをした際、名刺代も出してもらえなかった新人が、ハンカチを名刺代わりにしていたのを見て、「名刺代ぐらいは出してもらうように」とアドバイスしたそうです。とにかく、これぐらいけち臭い業界なのですが、これは認知的不協和の悪用です。
・A 私は辛い仕事をしている。
・B なのに私の待遇は悪い。
これが、
・A 私は辛い仕事をしている。
・B だけどやり甲斐がある。
こうなってしまうのですね。これ、実はそのまんまブラック企業で働く人間の心理状態です。「辞めたくても辞められないんだ!」という声もあるでしょうが、これについては次で説明します。
続いて、今流行りの「生活保護バッシング」。これも、認知的不協和の行わせていることです。
・A 私は恵まれていない。
・B 世の中には恵まれた人間がいる。
これが、
・A 私も恵まれるべきだ。
・B 世の中には恵まれた人間がいる。
にならず、「仕事を選り好みすることは贅沢だ」という同調圧力によって、
・A 私は恵まれていない。
・B 他人も不幸になるべきだ。
と、こうなってしまうのです。自分の立場を良くするより、他人を引きずり下ろす方に発想がいってしまうのですね。こうなると、最低限の生活を保障されているに過ぎない生活保護が贅沢に見えてしまい、激しい攻撃感情に駆られてしまうのです。
ストライキや退職は、労働者に認められた権利なのですが、これらをすると当然給料がもらえません。そのために本来生活保護がなければいけないのですが、貧困からくる認知的不協和で生活保護を攻撃することで、自ら退路を断ってしまうのです。
これは、ブラック企業を叩きながらブラック企業を支持しているようなものです。冷静な判断ができなくなっているのですね。だから、消費税増税や生活保護費切り下げのような、大局的に見れば景気にマイナス影響を及ぼし、回り回って自分にも悪い形で降り掛かってくる政策を、短絡的に支持してしまう。認知的不協和とは実に厄介な代物です。