009 往還街道のイクス
イクスは元々<ナインテイル>南部<ハヤト地方>の生まれである。
生まれた時から領主と同じく<剣牙虎>の扱いに長けていたが、その地方では豪農と呼べるほどの小麦農家の娘としては全く必要のない能力であった。
<トオノミ>地方の<パンナイル>へ修行と称して家を出されたのが<大災害>直前で、親類にあたるミケラムジャの元に身を寄せた。隊商とともに<ナインテイル>西部から<パンナイル>に至った。
このとき、<醜豚鬼>の集団に隊を襲われ、命からがら逃げだしている。彼女を救ったのは必要とされなかった<曲芸師>の才能であった。
ミケラムジャは後の<冒険者>受け入れ施設となる<ドンキューブの森>に住み込みで働いていたので、イクスもまたメイドになるつもりで生活をはじめた。
しかし転機が訪れた。<大災害>である。これはイクスにとって幸運だった。<冒険者>は貴族のように身の回りの世話を必要とするものは少なく、どちらかというと道案内など冒険の補助的な役割を必要としていた。
特に<ドンキューブ>では龍眼の発案で近隣の<冒険者>を迎え入れる必要があり、イクスは自ら案内役を買って出た。
三日目までは付近の往復で約十名の<冒険者>を<ドンキューブ>に招くことに成功した。時に<豪猪>や<醜豚鬼>の襲撃もあったが、<冒険者>とともに持ち前のセンスで戦いを切り抜けた。
四日目が運命の日であった。遠出したイクスは<サンライスフィルド>に到り【工房ハナノナ】のメンバーに出会う。ギルドマスター桜童子のエンカウント異常のせいで死ぬような目にあった。あまりの激戦で<大地人>であるにもかかわらずレベルが一つ上がったほどだ。
だが、楽しいとイクスは感じた。
イクス自身も<冒険者>の一員であるような、そんな気分が味わえた。
それからイクスは【工房ハナノナ】とともに行動するようになった。
居場所ができた。
<パンナイル>から<サンライスフィルド>までの道のりなら、危険箇所も含めて頭にたたきこんだ。段々と<サンライスフィルド>を中心に道を覚えていった。
第二のホームグラウンドと呼べる<ユーエッセイ>への道も覚えた。ただし、【工房ハナノナ】が使う神代の高速道跡を通る通称「上の道」か、<ビグミニッツ>を通り<ユフインの温泉郷>まで行く通称「下の道」のみだ。
<サンライスフィルド>に戻る道のうち、「往還街道」の道は覚えることはなかった。今、イクスが迷い込んでいるのはこの道である。
イクスは<冒険者>になり立てである。不意に湧いて出た小さなモンスターにも肝を潰してしまう。<大災害>当時に、大多数の<冒険者>が味わった感覚である。
「あ、なんか出たにゃ」
敵や物品の情報が書かれたステータス画面である。
「クリューラットにゃね。イクスと戦うかにゃ? あ、逃げた。山丹追うにゃ」
追ううちに<カラーゲ闇街道>という平地型ダンジョンに入っていたことにイクスは気付かなかった。
中期拡張パック以降に林立したダンジョンの一つで、ここでは鳥型のモンスターが出ることが多い。闇の住人たちが店をかまえる迷路のような街の中を突き進むだけだが、中には<食闘士>が巻物を得るための店もあり、時折挑戦する<冒険者>の姿を見ることができる。
闇の住人という触れ込みだが、彼らは安住の地を追われ、そこに住み着くしかなかった<大地人>である。本来の職能とは違う商売にも手を出していたりする。だから、粗悪品を売りつけたり、価値以上の値段を吹っかけたりもする。気性が荒くみえるのは貧しさの裏返しだ。強がりなのだ。
<大地人>であったイクスには、それは愛おしい姿でもある。
仕方ない世界なのだ。
だが、目の前に現れたのは絶対に仕方ない光景ではない。
七体の<醜豚鬼>が闇の住人たちを蹂躙している光景だった。
「<オーク竹甲野戦兵>!?」
ステータス画面に表示されたのは、<醜豚鬼>の情報である。
イクスは心を決めるよりも先に山丹に突進させていた。
敵が七体いて勝てるかどうかなんて考えもしなかった。
<冒険者>はこうした瞬間、迷うことがない。相手のレベルと自分のレベルの差がわかるからだ。
だが、イクスはレベル差など気にしてはいなかった。イクスを駆り立てたのは「そこに守るものがいて自分には守る力がある」という思いだった。<冒険者>はそうするものだと【工房ハナノナ】の面々から学んでいる。
実際には<醜豚鬼>とのレベル差はほとんどなかった。<醜豚鬼>の中でもレベルが高く戦闘訓練を積んでいる者たちで、店を猛烈な勢いで破壊している。
「ご主人から手を放すにゃ!」
叫んでイクスは宙を舞う。
イクスが宙を舞っている間に、店の主人に狼藉を働いていた<醜豚鬼>の脚を山丹が喰いちぎる。風車のように舞ったイクスが、その<醜豚鬼>を竹のように真っ二つに叩き割った。
「ひぃいいいいいい!」
店の主人が這うようにして逃げる。
「振り返らず走るにゃ!」
息が荒くなったイクスの顔の右側に銀色の仮面が浮いて出ている。首飾りの効果らしい。最初の時は全身に銀色の鱗のような鎧が現れたが、今は一部のみにとどまっているようだ。
仲間を倒された<醜豚鬼>が恐ろしい勢いで竹槍を突き出してきた。
イクスは技を繰り出して応じようとしたが、発動までにタイムラグがあるらしく、まともに肩に槍を受けてしまった。
「ぐう、小さく当てるしかないにゃ」
せっかくの二刀流も今の負傷のため、片手で防御するしかない。
イクスには【工房ハナノナ】と共に過ごしてきたから豊富な戦闘経験がある。しかし、<冒険者>としては初心者である。逆に、相手は<醜豚鬼>の中でも破壊と蹂躙については悪名高い<ミナゴロシ・ブリゲイド>の一員であった。
ほぼレベル差のない状態である。冷静に対応しなければ二対六の数的不利の前に太刀打ちできなくなる。
「いつもの通り、いつもの通り」
呪文のようにつぶやきながらイクスは、<醜豚鬼>の槍を弾く。
「いつもの通り……」
いつもの自分を必死に想像するイクス。
(だあ、もうお前はかっこうつけたがる! かっこうなんてどうでもいいんだよ。必殺技でカウンターなんか狙っても外したら終わりだ。相手に手傷を負わせて、動いて、かき乱して、一対一になったところで確実に仕留める。な、分かったか。ほれ、やってみろ)
イクスの脳裏に浮かんだのは、したり顔で講釈を垂れるバジルの姿だった。
イクスは、<マルチプルデッツ>を使って相手を弱らせ、引き回した上でとどめを刺す「腐れバジルのお得意の戦法なんて」と思っていた。
しかし、自分の手傷が多くなってくると、そうせざるを得なくなってきた。
赤い剣を水平に突いて、できた隙に後方に飛び退る。すると反応の速い者から竹槍を伸ばしてくる。<冒険者>になった今、それがよく見える。槍の穂先を落とすイメージで剣を振る。二本の槍をただの竹の棒にできたところでまた大きく下がる。
「山丹!」
下がった先に山丹が回り込み、イクスを横方向に運ぶ。敵集団の横っ面を捉えた。
イクスは虚を突かれた一体の首を狙う。
すると後方に控えた敵が咄嗟の判断で、店の品をぶちまけてきた。間一髪転がって逃れる。すぐに起き上がって走る。
「戦い慣れてるにゃ!」
休みなく敵は竹槍で突いてくる。今度の攻撃には叩く軌道まで増えてしまった。息を何とか整えながら距離を取ろうとするイクス。
肩をやられてだらんと下げた腕側が狙われている。弱点を突く知能を持っているらしい。咄嗟に周りのものを武器に変える応用力を見ても厄介な敵だ。
バジルのアドバイスは確かに理に適っている。だけど、自分のスタイルではないような気がしたイクスは、決心して敵の懐に飛び込む。
負傷している側の腕が、鞭のようにしなった竹の棒に打たれた。これはイクスも食らう気で突進している。
「出せた!」
竹の当たった腕の一部には、銀の鱗が生えている。その鱗が鎧の役目を果たした。水平に剣を薙ぐ。腕を強かに打った<醜豚鬼>の一匹の首が飛んだ。
「やっぱり、踏み込まなきゃ当たらないにゃ」
まだイクスは銀の鱗を自在に出せるわけではない。今のは、たまたまだ。だが、出せるようにしなければ勝機は見いだせない。
残り五体。
依然イクスが削られていく戦いだ。一匹の腕を削いだかと思えば、振り回した竹槍に顔面を強打される。
「ぴぎっ」
言葉にならない悲鳴を上げながらイクスは剣を振るう。
でも、段々と頭の中が純粋になっていく。
闇の住人たちは逃がすことはできた。できるだけ追走を許さなければいい。自分は<冒険者>として<大地人>を守れた。
(まだ終わっちゃいねえだろ)
頭の中で聞こえる声にイクスは反論の声を呟いた。
「イクスは、よくやったにゃ」
呟きながらも剣を振るう。しかし、最早条件反射に過ぎなかった。
(まだ終わっちゃいねえだろ、イクス!)
「うるさいにゃ! バジル!」
頭の中で聞こえる声は、バジルの声のようにイクスには思えた。
(立てよ、イクス)
「鼻血が止まらないにゃ」
(あきらめねえのが<冒険者>ってもんだろうがよ!)
その言葉に、弾かれるようにイクスは立ち上がる。
一気呵成に攻めてくる<醜豚鬼>に向かい合う。
軽く地面を蹴るようにして宙に舞う。コマのように回転して竹槍の攻撃を受け流す。
空中で回転を止めたイクスは、ふわりと背面飛びのような姿勢で<醜豚鬼>の頭上を越えた。
この物理法則を無視したような動きは、特技が発動したからではなかった。
イクスの腰に銀の尻尾が出現していた。
それを<醜豚鬼>の首に巻き付けて鮮やかに舞ったのである。
背面を取られた<醜豚鬼>はなす術もなく、イクスに両足を刈られる。身動きが取れなくなったところを山丹にとどめを刺される。
これで残り四体。
圧倒的な不利な状況を脱した。ただし楽に勝てる相手ではない。
(ゲームのころっつってもイクスにはわかんねーだろうが、昔と今でちょっとだけ違うことがある。最後の一匹まで倒さなきゃ戦闘終了にならなかったんだが、ちょっぴり知能の高い敵だと必ずしもそういうわけではなくなるらしい。、その集団の中で一番強い親玉みてえのを倒すと、蜘蛛の子を散らすように潰走することがある。これからも、エンカウント異常うさぎと行動を共にするつもりなら覚えといた方がいいぞ)
先ほどから聞こえていたバジルの声は、以前戦闘訓練をしたときにバジルから聞いた記憶の中の声だった。頭の中が真っ白になっていくうちにリアルに思い出していったにちがいない。
きっと戦うためのヒントなのだ。
イクスは親指で流れ出る鼻血を払った。
「どいつが親玉にゃ」
四体の敵は装備も体格もよく似ていて見分けがつかない。一瞬、バジルが言ったことは間違いなのではないかと疑った。でも、次の瞬間、イクスは親玉を見抜いた。
「あいつにゃね。どうりで」
咄嗟に店の品をぶちまけて仲間への攻撃を阻止したあの<醜豚鬼>だ。
よく見ればいまだに手傷を負っていない。
「山丹!」
「がう!」
イクスは駆け付けた山丹の背中に二本足で立ち、そのまま突進する。
前衛にぶつかる直前、宙を舞う。
イクスに気を取られた隙に、山丹は集団の側面に移動する。槍を構えた親玉に向かって突進する。イクスも敵一体の頭を踏み台にして親玉の近くに着地した。
親玉は槍を振り回して山丹とイクスの突進を阻んだ。
山丹は身を低く沈めて穂先を躱した。イクスは後ろにのけ反るようにした。
親玉はその動きを見て、次に攻撃態勢に移れるのは山丹であると一瞬で判断し、山丹の眉間を槍で刺突しようとしたのだろう。
しかし、攻撃態勢が整っていたのはイクスの方だった。リンボーでもするかのような姿勢を支えていたのは脚力だけではない。銀色の尻尾だ。
背筋力と脚力に加え、尻尾の力でばねのように跳ね上がったイクスは、投擲するようなモーションで剣を突き出した。
赤い剣は親玉<醜豚鬼>の首を貫いた。急所へのクリティカルヒットである。
親玉が虹色の泡に変わるのをみて、残り三体は一瞬うろたえ、その後脱兎のごとく逃げ出した。
イクスは追撃する余裕もなく、逃げる先を目で追っていた。
すると交通事故のような激しい音がした。悲鳴とともに逃げ出した三体が揃って街道にその身を投げ出したのである。
「な、何ごとにゃ!」
闇街道はその名の通り、朝早くにもかかわらず紫色のベールに覆われているようで、かすかに暗い。だから、路地から現れた男が何者か、咄嗟にはイクスにはわからなかった。
「ち、逃げてきた親父が、向こうに恐ろしく強い<猫人族>がいるっていうからやってきてみれば、トラ娘じゃねえかよ」
屈強な肉体が服ごときでは隠し切れない長身長髪の<武闘家>。イクスもよく知っている人物だった。
「ヨサクー!? ヨサクにゃ! 何でここにいるにゃ」
ユイの師匠であり、今まで何度も共に戦ってきた仲間である。
「知れたこと。<妖精の輪>を使って佐藤瑛磨を探してんだよ。ロンダークだよ、ロンダーク! <記録の地平線>の、なんとかいう<猫人族>が最近戦ったつぅから、ひょっとするとそいつかと思って来てみれば」
「イクスだったというわけにゃか」
「どこが恐ろしく強いんだ。三匹のコブタを取り逃がして、本人はボロボロ」
「悪かったにゃ。イクス新人<冒険者>だからにゃ。えっへん」
がっかりとした目つきでイクスを見るヨサクに、イクスは開き直って胸を反らす。
「おいおい、あんまりのけ反るな。服から乳首出そうだぞ」
イクスは反射的に前を隠す。たしかに服はボロボロだ。そんなイクスをヨサクはじっと見た。
「そんな見るなにゃ」
「本当だ。<冒険者>になってやがる。メイン職は<盗剣士>かよ。それにしてもどうやって<冒険者>なんぞになったんだ? クエストか?」
イクスはこれまでの流れをかいつまんでしゃべったが、ヨサクは一蹴した。
「さっぱりわかんねえよ。他の奴らどこだ」
「さあ、わからないにゃ。イクス死んで<ユーエッセイ>に来たにゃけど、<念話>とかしたことないから誰とも連絡できないにゃ」
「<フレンドリスト>開け。登録の仕方教えてやる」
イクスは勝手がわからずもたついているので、ヨサクはその間にだれかと念話を始めた。
「おう」
(何? 誰? え! ヨサク!?)
「おう」
(な、ちょっと待って、オオカミー、ポチー、舞華―、あとちょっとよろ! ヨサク! アンタ今どこなの? 元気なの!?)
「おう」
念話の相手は<シトリンウェルス>のあざみである。
(ちょっとは連絡よこしなさいよ。で、なんか用があるんでしょ? こっちは<シトリンウェルス>で交戦中よ。<ハイザントイアー>の再来ね。ホントはイクス助けに行くところなんだけど、人助けの寄り道中ってとこ?)
「おう。……お前ららしいな」
きゅーっと、鳴き声かうめき声のような声が聞こえたが、ヨサクは無視した。
「あざみ。トラ娘を保護した。場所は<闇街道>。待つのは性に合わない。そちらに向かう。<シトリンウェルス>てのは、どのあたりだ」
(え、こっちくるの? <ユフイン>の近くよ。元いたころは由布岳って呼ばれていたわ)
「こっちの生まれじゃないから分からんな。とにかく一旦<ビグミニッツ>に出て<サンライスフィルド>ってやつを目指せばいいんだろう」
(来られる? ここはその途中にあるのよ)
「<ビグミニッツ>は大丈夫だ。そこから先ならトラ娘、わかるんだろう?」
振り返って確認した。親指を立てている。
「だ、そうだ。夕方には会おう」
(ヨ、ヨサク。<妖精の輪>使わないでね)
「使わねーよ。少なくとも夕方まではな」