007 エイスオの菫星
桜童子とシモクレンが、供贄一族の一人に面会が許されたのは、夜明け頃に古エルフの老婆と対面した例の広い応接間であった。
その扉を開けて入ってきたのは供贄の代表ただ一人であった。桜童子たちにとって銀行の窓口やギルドホールの受付でお馴染みの菫色の瞳をした人物である。
桜童子とシモクレンは立ち上がり、供贄の代表がソファの前に立つまで頭を下げた。これほどまでNPCの頃と変わらない人物だとは思わなかったが、それでも無礼があってはいけない。思わずステタースウィンドウを確認したい衝動に駆られたが、それすら失礼にあたるかもしれないので桜童子は自重した。
「どうぞ、頭をお上げになってください。このたびはわざわざ遠いところからお越しになったということで、当方も一同歓迎の意を尽くしたいとは思ってはございますが、なにぶん業務がございますので私一人ではございますがご容赦願いたいと存じます。大魔導ウサギの桜童子にゃあ様と癒しの刀匠シモクレン様。ご高名は拝聴しております。さ、どうぞおかけください」
供贄の代表はうっすら浮かべた笑みの口元から滑り出すように、饒舌と言えるほどの挨拶の言葉を並べた。
桜童子もすぐには座らずこれに対応した。
「業務でお忙しい中、我々の突然の来訪にもかかわらず快く面会くださいましてありがとうございます。では座らせてもらいますよー。何せこの身長ですから、見上げてばかりで首が疲れてしまうのでねー」
「では、失礼して」
供贄の代表もシモクレンも腰を掛ける。言葉のわりに緊張した空気であることをシモクレンは背中に流れる冷や汗で知覚していた。
「本来、一族を代表する頭領が菫星を名乗るのですが、今回はこの私が僭越ながら一族を代表させていただきますので菫星と呼んでいただいて結構でございます。今日はどういったご用件でこちらにいらっしゃったのですか?」
この緊張感は菫星を名乗る青年から発せられていることは明らかだった。言葉や態度こそ滑らかではあるが、第三者を交えぬ会談において頭領と同じ立場で話をするという決意を述べたのであるから、その意味はかなり重い。語れぬことは語れぬし約束できぬことは約束できぬ、万が一わが身に何かあれば一族全てを敵に回すと思えという意思表示にも聞こえる。
だがこういう緊張する空間で風に揺らめく柳のように対応できるのが桜童子である。のらりくらりとかわすのかと思えば、びしりと相手の眉間を打つような発言をする。シモクレンは、桜童子の横にいるのにふさわしいのは自分ではなく、元【工房ハナノナ】の折衝役であった小手鞠の方ではないのかと感じてまた冷や汗をかいた。
「おいらは<ナカス>のギルドホールを利用したい。だから菫星さんに許可をもらいに来たんだ」
「そういうご用件でしたら、私どもの許可などいりませんよ。ご足労ではございますが<ナカス>までお越しいただければ、だれでも自由にご利用できますよ」
菫星はうっすらと笑みを浮かべたまま答えた。
「<ナカス>は<Plant hwyaden>が占領しちまったのは知ってるかい? おいらたちは、まず<ナカス>に入ることさえ難しいんだ」
「大魔導ウサギである桜童子様にできぬことでしたら、私どもに助力できることは何もありませんでしょう」
「まあ、おいらたちが首尾よく<ナカス>に入り込めたとする。次に登場するのは<衛兵>だねえ。<衛兵>ってのは供贄一族の管理するサービスじゃなかったっけ」
「さようでございます。私どもの統括しております都市魔法陣より<衛兵>の着用する<動力甲冑>に動力を供給しております。これにより都市の防衛機能を維持し、果てはご利用される皆様方が安心してホームタウンをご利用いただけるよう尽力している次第でございます」
「それがねえ。特定ギルドの利益となるように動いているようなんだけど、確か<衛兵>の中の人も供贄一族だったんじゃないかな」
菫星の表情は少しも変わらないが、会話に一瞬の間が開いた。
「よくご存じで。<衛兵>を務めますのは衛士を司る供贄一族の者でございます。銀行業務を行う我々とはある点では同一であり、ある点では違うと申し上げておきます」
「<Planth wyaden>に帰順するか、服従することで通行許可を得た商家の者、またはどこのギルドや商家にも属さない<大地人>が<ナカス>の街を自由に歩けるそうですが、それ以外のギルドの人間は<衛兵>に拘束されることもしばしばあるとか」
「さあ、何か違反行為をなさったのでしょうか。それは私どもには分かりかねます」
桜童子が一歩踏み込んだように見えたが、やはり情報は誰でも知りうることをだけしか引き出せず、上っ面を撫でるだけの会話しかできていない。これでは交渉とは呼べない、ただの世間話のレベルだ。シモクレンは菫星がそのつもりでやってきていることをこのとき理解した。
「<ナカス>の銀行窓口はどうだい? おいらが行っても大丈夫かなあ」
「ええ、私ども心よりお待ち申し上げます」
これも上っ面な言葉だ。<エルダーテイル>の時代から所持金は運営にインフレを防ぐためコントロールされていた。だから、長いプレイの歴史を持つ桜童子も資産としてしては一般的なギルドとあまり変わらない程度しかもっていなかった。資産凍結など極端な例は今まで起きなかったが、供贄一族に窓口の利用料を求められたら、それが法外だろうと払わざるを得ない。
今の会話では何も保障されていない。ただ、窓口は利用可能であることを確認しただけである。
「<エイスオ>にも銀行があるのは初めて知ったのだけど、おいらが行っても大丈夫かい」
「場所が場所だけに、一般のお客様のご利用はあまりありませんが、こちらにお寄りの際は、どうぞご利用ください」
「そいつはありがたいね。でも今日は何ももっていないから、また次に来たときにするよ。ところで、<ギルド加入申請手続き>は<エイスオ>でも可能かい」
「申し訳ございません。こちら、銀行窓口の機能しかございません。その件でしたら<ナカス>へ足をお運びいただくことになります」
「やっぱ<ナカス>のギルドホールに行かないと無理かー」
何か別の方法はないかと遠回しにきいているのだが、どうやらそれ以外のはないようである。
「銀行の隣の窓口ですが、そちらで承ります」
「特定のギルドの利益となるような行為はしないのだね」
「それはありません」
ここが今回の会見のキモだ。
「たとえ、どんな状況で現れても?」
少し菫星に緊張が見られた。表情自体は変わらないから、全身から発せられる雰囲気であろう。ここからの会話は警戒を要すると感じたのかもしれない。
「具体的には?」
「一番ありうるのは、おいらが<衛兵>に追われている場合」
「<衛兵>の業務を妨げることは我々にはできません」
つまり、加入申請終了までに<衛兵>が現れればアウトということだ。<plant hwyaden>が衛兵システムを完全掌握している場合、よほどのことがない限り利用は難しい。
「それ以外の人物に追われている場合は?」
「どちら様の味方をすることもございません。ただ、それを理由に窓口で受付をしないということはありません」
「それを聞けてよかったよ」
桜童子はぽんと手を打った。
今回の会見で、桜童子は<供贄による業務の公平性>を確認したかったのだ。例えばあらかじめ受付前に<衛兵>を配置されたとしても、隙をついて申請手続きさえ完了させればギルド登録は可能なのだ。
「公平性が確認できなければ、おいらはあなたを脅すような真似をしなければならなかった。でもあなたが供贄一族として公平であり、その代表として真摯に答えてくれた以上、おいらも正々堂々と話そうと思う」
桜童子はソファに深く腰掛け、菫星の目を見つめながら言った。
「じゃあ四日後のこの時間、おいらは<ナカス>のギルドホールの受付で、新人<冒険者>イクソラルテア、<P-エリュシオン>在住バジル、浮立舞華、<パンナイル>在住ツルバラ、スオウ、あやめ、栴那、エドワード=ゴーチャー、<フィジャイグ本島>在住きゃん=D=プリンス、<ハティヌキューミー>在住プリムラ=ジュリ=アンの十名を【工房ハナノナ】に加入させるよー」
菫星は軽く礼をして答えた。
「では、四日後のこの時間、その場所でお待ちしましょう。“多くの<冒険者>の出会いと別れを見届けてきた白き部屋の片隅”で。きっと、そこまでたどり着くには、苦難が伴うことでしょう。どのような手段で桜童子様がその場に現れるかを楽しみに致します。それは仲間か、資金か、あるいは力か、それとも知恵か。その時、その場所にたどり着いた折には、供贄一族としてしかるべき行動で大魔導ウサギ殿を迎えましょう」
三人は立って礼をした。
供贄の菫星が辞去すると、二人はどうっと音を立ててソファに腰を下ろした。
ややあって小手鞠が入ってくる
「あなた方は本当に莫迦ね。まさか、クエストを発生させるためにこんなところまで来たなんてね。相手は供贄一族。しかも達成時刻指定付き」
「なんだ、趣味悪いな。聞いていたのかよ」
桜童子は笑って聞いた。
「<エイスオ>に不利益があったら大変ですからね」
「お前ぇも【工房ハナノナ】に戻るように言わなかったから怒ってんのか?」
「莫迦じゃないの? 心配してるのよ。全く。レン、このウサギによくついていけるね」
小手鞠が言うと、シモクレンはやっと緊張から脱せたという表情で笑った。
「にゃあちゃんだから、大丈夫なんじゃないかって思えるのよ。まりちゃん」
「やれやれ、ごちそうさま。さて、あと三日と二十三時間五十五分ってとこ? どうにかするアテはあるの?」
小手鞠が本気で心配そうな表情を浮かべる。
桜童子は窓の外を見ながら言った。
「アテはないけど、アイディアならあるかな」
そのすぐ後に桜童子とシモクレンを乗せた<鋼尾翼竜>は東に向けて飛び立った。しかし、<トヨタマ千山>にある<ハイザントイアー峡>を目指している途中で消息を絶ってしまった。
■◇■
「おや、お二人さん、お出かけにゃっすか?」
<P-エリュシオン>にクロネッカ=デルタが到着したのは、サクラリアとユイが東に向けて出立しようとしていた頃だ。
「うん、<ユフインの温泉郷>に行くのー。あ、そういえば」
「イタドリさんは中ですね」
サクラリアが何か言おうとしたが、クロネッカはさっさと入っていってしまった。
ユイとサクラリアは顔を見合わせて首をすくめた。そしてサクラリアは胸元から茶封筒を取り出すとユイに渡した。
「自分で渡しなよ」
ユイは頷いて受け取った。
ロビーに戻るとイタドリが大喜びしているのが見えた。
「きゃー! なにこれなにこれなにこれー!」
箱を開いてはディルウィードの声を再生する。
「ディルウィード君、ついに<採掘師>から<機工師>に転職できたにゃっすよ! これ、姫巫女様のお墨付きにゃっす。<刻を越える声箱>と名前もつけてもらったそうにゃっす」
だが、貯めた動力が尽きてしまったのだろう、箱の声が止んだ。
「どうしたのどうしたのどうしたのー!」
「箱に付いてるハンドルを回すと動力が貯まる仕組みらしいっす」
「えー、なんでなんでなんでー!」
泣き出さんばかりの表情でハンドルを回すイタドリ。
そして箱を開く。
(えー、なんでなんでなんでー!)
イタドリの声に上書きされてしまっていた。
「うわーん。なんでー! ディルくんの声消えちゃった、消えちゃったよう!」
「クロネッカさん。オレも依頼していいかなあ」
あたふたしている二人にユイが後ろから声をかける。
「へい、お安い御用にゃっす」
「これ、リーダーに渡してもらえないかな」
ユイは封筒を差し出した。
「届けるのは問題ないにゃっすけど、あいにく当方は目的地お届けにゃっすよ? どちらに運べばいいにゃすか?」
「オレの読みに間違いがなければ、ウサギのあんちゃんは三日以内に<アキヅキ>の街に現れる」
「了解! って三日以内って長いにゃっすね。今日行ってきてもいいにゃっすか? オーケーにゃっす。じゃあ、こいつに契約のサインを」
クロネッカは腰から書類を取り外す。<パンナイル>の<筆写師>が作成した契約魔法紙を封筒に貼り付ける。筆圧で紙に字が書けるシルバーポイントスタイラスをくるりとユイに向けて手渡す。
「お届け先と契約者さまのお名前をここんところに書くにゃっす」
「いや、まだオレ」
そう言ってユイはサクラリアを振り返る。
ひゅっと銀のペンを腰に戻す。そしてインクの入ったい容器を取り出す。
「ああ、そういうお客様も多いにゃっすから、お気になさらずにゃ」
ユイはまだ自分の名や地名が書けない。
そこでこれも<筆写師>が作った魔法具である。
「指にインクを付けて、お届け先を言ってもらっていいにゃっすか? そうそう、ここに。ハイ、お届け先を」
「<アキヅキ>」
ユイが親指で捺印するとインクがぽうっと光った。
「ではたしかにお預かりしたにゃっす。お代は……」
「クロネッカさん。クロネッカさん。これもいっしょにお届けできる?」
「ええ!? これ、ディルウィードさんからの大切な品じゃ」
クロネッカが驚くのも当然。それは先ほどクロネッカから受け取ったディルウィードの<刻を越える声箱>だ。
「ドリィさん。それ、ハンドル回せばまだ音出るでしょ」
後ろで見ていたサクラリアも驚いて声をかける。
イタドリは真剣な表情で答える。
「これ、絶対にゃあちゃんが必要になるの。必要になるの! きっと大事なものなの。ディルくんからの贈り物はわたしにも大切なものだけど、にゃあちゃんにとっても大切なものになるの! きっと! きっと!」
イタドリは今までも直感で行動する方だったが、ドワーフ村でそれが強まったようにも見える。
クロネッカは封筒と一緒に<刻を越える声箱>と前払金を受け取って、<アキヅキ>へと向かった。続いてサクラリアとユイは<シトリンウェルス峯>を目指す。