006 パンナイルの機工師の卵たち
バジルが<ノーラフィル>と作業を開始した頃、桜童子は<エイスオ>上空にいた。その後、古エルフとの面会を終え、小手鞠に図書館へと案内されたのが<サンライスフィルド>にイタドリが帰ってくる少し前のことだ。
話は<典災>についての情報に戻る。
小手鞠は耳慣れない<終末時計>という単語を口にした。
「さすがの聞き耳の早いウサギさんも知らない単語だったようね」
「おいらの耳にゃ、そんな機能はねえよ」
桜童子は広い図書館をゆったりと歩きながら答えた。
小手鞠は長い髪を耳にかけてページをめくった。
「これは、<魔書:フォスティスオルトロス>という本よ。その中に、あなたたちが戦った<典災>の名が出ているわ」
桜童子は目を細めて、小手鞠の手の中にある古びた本のアイテム情報を見た。フレーバーテキストには<Nuctemeron>とだけ書かれてある。価値があるのかないのか分からない古めかしいアイテムだ。
「あなたたちが<フィジャイグ地方>で遭遇したというのは、シンブクと言ったわね。最初の方に出ているわ。<決定の典災シンブク>。『己に害をなすものに裁きを下し、時として死や病を与える。地竜を駆り、裏切り者を滅ぼさんとす』とも書いてあるわ」
「へえ」
桜童子は振り返って足を止めた。
この世界で初めて死というものを実感させた敵だ。にやりとした表情が桜童子の脳裏に甦った。
「他にも<フォーランド>であざみちゃんが出会ったフクロウ型の敵っていうのが、<緑翼の典災サクルフ>というのに話を聞く限りよく似てるわ。何か関係があるのかもしれないわね。そのとき<海難の典災ヒザルビン>という敵にも遭ったって言っていたわね。最近では<擬態の典災カホル>にも」
「よく知ってんな」
「あざみちゃんに聞いたのよ」
桜童子は椅子を探していたようだが諦めたらしい。また折り返して小手鞠の方に歩んでゆく。
「で、<終末時計>ってなんだ?」
「<終末時計>が進めば、次なる<典災>が現れる。<シンブク>は十二時間のうち初めの時間に配された<典災>のひとつ。<サクルフ>や<ヒザルビン>は二番目の時間。<カホル>は三番目。そうやって八十二体の<典災>を討伐すれば<終末時計>は十二の鐘を鳴らし終えるの」
近くまで歩み寄り桜童子は手を伸ばす。
「十二時間で八十二体、って時間が経てばどんどん<典災>も増すのか?」
「一時が一体、二時が二体、三時が三体っていうこと? 莫迦じゃないの? そうなると十二時間経っても七十八体にしかならないわね」
桜童子が<魔書:フォスティスオルトロス>を受け取って開くと、一時間あたりに七体の<典災>の名が載っている。
「でもそれじゃ八十四体倒す必要があるな。でも何で八十二なんだ?」
「二体は倒さなくてもよいということじゃないかしら」
「なるほどね」
桜童子はあっさりと<魔書>を返した。
「あら、もういいの?」
「ほとんど白紙じゃねえか」
「そうね。この<魔書>は未完なの。このセルデシアに<典災>が降り立つたびに新しいページが描かれていくようね」
「降り立つ? どこから?」
「書かれていないのだけれど、月の絵が描かれているのは気になるわ」
「月ねえ」
「気にならないの?」
「レンを置いてまで何の話かと思ったら、これは<ノウアスフィアの開墾>の大ボスの基本概念みたいなもんだろう? おいらたちは降りかかる火の粉を払うまでさ」
「泣き虫レンちゃんが聞いたら卒倒すると思ったのよ」
「レンもずいぶん成長したさ。シンブクにおいらが殺されちまった時も、レンはサブギルとして気丈に振る舞ったそうだ。いつもおいらやメンバーを支えてくれる。泣き虫なんかじゃないさ」
「へえ、部屋に戻って泣いていたら笑ってあげるわ。私が言いたかったのは<終末時計>が進んでいないということよ。次の時間に時が進むには一定数の<典災>を倒せばいいの。でも<ナインテイル>に現れたのは、一時の<シンブク>、二時の<ヒザルビン>、あとは流れ弾のように現れた三時の<カホル>のみよ。他の地域に比べれば明らかに出現が遅いわ。だからね、その長いお耳でよく聞きなさい」
「聞いてるよ」
返事をした桜童子に小手鞠は静かに語った。だがその声は逆に図書館内部に大きく反響するようだった。
「きっと三体のうちどれかを討ち漏らしているのよ」
■◇■
話はそれより半日前の昼に戻る。
場所は<パンナイル>にできた一軒のうどん屋である。
「オレさー、やっぱり<ナインテイル>のうどんは、汁を吸ってもっちりするほどの軟麺じゃないとって思うんだよね! ユタカさん! この味、守ってよー!」
カウンターにいるのは<機工師の卵>の六人だ。客が六人しかいない店内で元気な声を上げているのは、この六人の中では年長の栴那だ。
「麺の硬さと味って関係なくないすか」
ツッコんだのは<操舵士>にして他のメンバーとともに修行しているツルバラだ。
「じゃあさ、豚骨ラーメンの麺がやわやわだったどうよー。まずいと思うでしょ。ね、麺の硬さと味って関連してんのよ。な、スオウ」
栴那はスオウの首にがしっと腕を回す。
「ぼくどっちでもいいんだけどなあ。でも豚骨ラーメン食べたくなっちゃった」
スオウの横に座るあやめが栴那の腕を払う。
「食事中ー。ちゃんとまっすぐ向いて食べてください」
「このボクは、せっかくですから、スープに<ナインテイル>でとれる鬼トマトや山セロリを使った美しい南国風味の麺類がいただきたいですね。あ、聞いてます?」
一番右端に腰掛けたエドワード=ゴ―チャーが語るも、栴那は全く聞いていない。隣のあやめさえ聞いていない。
「ユタカさん。これ、出汁なんなの!?」
奥の鍋の前から現れたのは、冴えない表情の中年男性だ。実直だが突発的事項に弱く<パンナイル>の地に大きな危機を招いてしまったユタカという男性だ。軍師龍眼の計らいで中枢の座から外れ、うどん屋の親父となったのだ。
「これはサファギン節と申しまして<オオスミ>との交易の際に手に入れたものを三日間燻製にして新たな香りを付けました。また、昆布を手に入れるのは困難だったのですが、<リューゾ>が海上貿易で手に入れたものを、<パンナイル>の貿易品と引き換えにしました。上質なものが手に入りましたのでこれをベースにしています」
暗い声でぼそぼそと解説するのだが、この実直さが仇となり、かまどからぼやを出してしまう。
「ユタカさん! 後ろ! 火! 火!」
栴那が立ち上がって叫ぶ。
ユタカが半分パニックを起こしかけている。こういう事態に弱いのが彼である。
一番左の席に座っていた【工房ハナノナ】から修行に来ているディルウィードが素早く厨房に入って火をコントロールする。雷系<妖術師>ではあるがユタカに比べれば火の扱いは上手い。
「大丈夫ですよ。ユタカさん。これからもおいしいうどんを頼みますよ。でも、だれかバイト雇った方がいいですよ」
「さっすが、わが<機工師の卵>キャプテン! そうだ! ディル君の<機工師>転職完了の乾杯をしそこねてたよ! ちょっとユタカさん、水くらい出してよ」
栴那の声にまだおろおろとするユタカを片手で制して、代わりにディルウィードがみんなに水を配る。
「では、転職完了のコメントをディル君どうぞー!」
「えー、今日は<算盤巫女>のネコアオイさんに完成したボイスレコーダーをほめてもらえたのは嬉しかったです。でも、ぼくがこのカラクリ細工を完成できたのは、みんなで潜った<クマシロ>の遺跡ダンジョンで必要な素材を拾えたからです。それがなければ転職はもっと先にしかならなかったはずです。みなさん本当にありがとう! かんぱーい!」
わっと場が盛り上がる。
「はいはい、キャプテン、まず、この喜びを誰に伝えたいですか」
「わかってるでしょ、栴那―。ねー、スオウ」
「イタドリさんだよね。ボクも会ってみたいなあ」
「すげー元気な人なんだぜ。船の上に飛びあがってくる怪魚たちを引っ叩いて次から次に走り回ってなー。あー、スオウにも見せてやりたかったなー」
ディルウィードやイタドリと一緒に戦場で過ごしたことのあるツルバラは自慢げに語る。
「華麗な剣捌きならばこのボクが<クマシロ>の神代遺跡でも見せたところですが、きっとイタドリさんは右へ左へと、聞いてます?」
「そうだディル君! ボイスレコーダーにイタドリさんへの声吹き込んじゃいなよ!」
ツルバラがカウンターに置いていた木箱を取って手渡す。<リーフトゥルク>領主ライブライト公の愛娘で巫女であるネコアオイのお墨付きの逸品だ。
ハンドルを回して動力を貯め、蓋を開く。
「花純美さん! やったよ!」
蓋を閉じると、スオウが貸して貸してと手を伸ばす。照れながらも木箱を手渡す。スオウが箱の蓋を開く。ディルウィードの声が再生される。蓋を開くたびに再生され、動力を失うまで何度も再生できる点を見ると笑い袋に似た構造のようだが、ハンドルを回すと音声がリセットされる点が目新しい。
「盛り上がってるにゃっすねー」
店に入ってきたのは<黒猫配送サービス:ニャン急便>の配送猫クロネッカ=デルタである。
ディルウィードとイタドリの文通が成立するのは、このクロネッカのたゆまぬ努力のおかげである。今日も彼は御用聞きにやってきた。
「あ、クロネッカさん。いつものところに、スオウが持ってるソレ、届けてもらえませんか」
「いつものところ? 何言ってるにゃっすか。イタドリさんなら<コイシワラ>のドワーフ村から明日の朝には<サンライスフィルド>に戻りますよ。武器がついに完成したんですよ」
「げ、なんでクロネッカさんの方がオレより詳しいんですか」
「何って、イタドリさんに会ってる回数ならこの三か月私の方がはるかに上にゃっすよ」
みんながどっと笑う。
「ディル君、NTRというやつだね」
「えぬてぃー……、姉ちゃんソレなに?」
「スオウは聞いちゃだめよ」
「何にゃっすか。<冒険者>用語にゃっすか?」
「栴那さん、変なこと言わないでよ。と、とにかく<サンライスフィルド>まで、これお願いします!」
足の速そうな黒猫はにこやかに引き受けた。
「了解にゃっす!」