003 サンライスフィルドのユイ
彼女が帰ってきた。
<サンライスフィルド>の【工房ハナノナ】のギルドハウスにあの女性が帰ってきた。
短身痩躯に、ピンク色のツインテール。<火炎牛の骨兜>を深くかぶり、腕には<星守の円盾>。青系の鎧に身を包んだうら若きドワーフの<冒険者>。
「ただいま、ただいま、ただいまー!」
【工房ハナノナ】の<守護戦士>、イタドリが帰ってきた。
「ドリィちゃん! 連絡くらいくれたらよかったのに!」
出迎えた和服姿のハギがエプロンを外した。
「にゃはは。わたしがいたドワーフ村、そんなに遠くないんだもん!」
「とはいえ、数ヶ月の間、顔もあわせてなかったんですから。ほら、ヤクモ。ドリィお姉ちゃんが帰ってきましたよ」
ハギの式神である女童が、イタドリの太ももに取り付いて挨拶した。
「ドリィおねちゃ、おかーり!」
「わあ、ヤクモ、喋るようになったんだね、いっぱい喋れるんだねー」
久しぶりに姪っ子を見るかのように、イタドリが頭をいっぱい撫でるので、ヤクモはにっかと笑顔を返した。
「ハギしゃん、そのエプロン。料理作るためのー?」
「ええ、ドリィちゃんがいないからボクが頑張ってたんですよ、料理係」
「ねえ、聞いて聞いてー。ねえ、聞いて聞いてー。わたしね、わたしね、わたしー、料理、上手になったんだよ」
「ドワーフ仕込みの料理ですか? どんな料理なんです?」
「トカゲの丸焼きとかー、ヤモリの黒焼きとかー。あ、大ヘビを鰻ぐらい美味しく焼き上げる方法も習ったよー」
「聞いているだけでげっそりしてきますね」
「ちょっと聞いて! すごいんだから! すっごいの! 食べたらね、すっごく子宝に恵まれて夜も元気になるんだって。ぼにゅうもびゅーってでるんだって! ね、ね、すごいでしょ」
イタドリは楽しそうに溌剌と語る。
「ド、ドリィちゃん。意味分からず言ってませんか」
「え、え? 元気になるんだよ? ドワーフ族の女将さん、元気になるって言ってたんだよ。すごくない?」
「よかった。無邪気なドリィちゃんが、キャラチェンジしたのかと思って心配しましたよ」
ハギはほっとした様子だったが、逆にイタドリは困惑したようだった。
「こっちに戻るのはディルくんには伝えているんですか?」
ディルくんというのは、<パンナイル>で修業中の仲間である。どうやらディルくんことディルウィードとイタドリは現在進行形で長距離恋愛中らしいのだ。
「もちろん! 毎日文通してるんだよー! 文通! <パンナイル>からクロネッカさんが毎日お手紙届けてくれるの! クロネッカさん! 以前呪いの椅子を運んでくれたネコさん」
それが本当なら、クロネッカ=デルタは毎日毎日とんでもない長距離移動をさせられているのだろう。携帯電話を日常的に使っている世代で、念話も普通に使えるのに、はた迷惑な付き合い方だとハギは思った。
しかし手紙というアイテムがビジュアル面で恋愛をサポートしているのかもしれない。念話だけでは、声だけでは、どうしても離れていることを再確認してしまう瞬間がある。
「ほら、こんなに! ほらほらー!」
イタドリはバッグからたくさんの手紙を出してみせる。
「いいですから、しまってしまって」
ハギとイタドリがわいわい騒いでいると、ユイとサクラリアが帰ってきた。
買い出しに行っていたようでユイは頭の上に芋の入った袋を担いでいる。
サクラリアはイタドリを見つけるなり、きゃーと声を上げて飛びついた。
「おかえりおかえりー! ドリィおかえりー」
「リアにゃーん、久々だよー! 超久々―!」
もう数年ぶり位の勢いである。
しかし、このセルデシア世界に来て仲間と離れて暮らすのは、大変勇気のいることである。数ヶ月といえど、ドワーフ村で過ごしたイタドリをめいっぱい労わってあげたいとサクラリアが考えるのも当然のことかも知れない。
だが、ユイの方はあっさりとしたもので「ドリ姉ちゃんひさしぶり」と言っただけで、芋の袋をどんとハギに手渡して、ロビーの椅子に腰を下ろした。
「どしたのー? ユイきゅん、機嫌悪いのー?」
鋭いのか鈍感なのかわからない調子でイタドリが訊く。
「にゃあ様と意見が食い違ってねー。ユイちょっといらついてんの」
「ウサギの兄ちゃんはなんも悪くねえよ」
サクラリアが解説するのも面白くなさそうにユイは呟く。
「あれ? にゃあちゃんいないのいないのー?」
【工房ハナノナ】のギルドマスター桜童子にゃあだけではなく、サブマスターのシモクレンさえ<サンライスフィルド>にいない。
バジルたちがイクス救出に向けて出発してほどなく、桜童子たちは南へ向け旅立った。
「そうですねえ。ドリィちゃんにも聞いてもらわなきゃいけませんね」
ハギは「重いですよ」と言ってヤクモに芋の袋を運ばせると、二月末からの数日間に起きたことを簡単に語った。
浮立舞華の登場。
彼女を追って現れたと思われる<典災>。
イクスのかかった呪い。
イクスの絶命。<冒険者>として復活したという桜童子の推測。
バジルたちの出立。
そして昨夜の桜童子とユイの会話。
「おいらは、ユイを【工房ハナノナ】には加えないつもりだ」
今ユイが腰掛けているその向かいの椅子に座って、桜童子は言ったのだ。
まっさきに反論したのはサクラリアだった。その後ユイは静かに聞いた。
「あんちゃんの考えを聞かせてくれ」
「それがユイのためだと思う」
ふわふわのぬいぐるみのような姿をした桜童子はいたって真剣に返答した。
「イクス姉ちゃんは良くて、オレがダメなのは? <冒険者>と<大地人>の差か?」
「<大地人>であってもギルドに組み込んでいる<Plant hwyaden>のような例もある。そこが問題なのではないよ」
「じゃあなんでユイはダメなの! にゃあ様それはおかしいよ!」
桜童子に歯向かうサクラリアなど珍しい。白い頬が真っ赤に染まっている。
「にゃあ様がギルド登録に成功すれば、イクスやバジルさんを【工房ハナノナ】に登録できるんだよ。<フィジャイグ>で待ってるきゃん=D=プリンスさんやジュリちゃんにも仲間の証ができるんだよ。<パンナイル>のツルバラくんたちだって新しい仲間になるのに、ずっと、ずっと一緒にいるユイが、ユイがなんでダメなの……なんで、ひっく、なんで、うぐ」
感情が高ぶったあまりサクラリアは声を詰まらせた。
桜童子は短い手で頬を掻いた。
「おいらが失敗するってのを全く想定しないで怒られるのもなんだが」
いつもの飄々とした声音でいうのものだから、サクラリアの憤りは再燃した。
「そういう問題じゃないよ! にゃあ様!」
ハラハラしながらハギはこの様子を見つめていた。
「姉ちゃん、いいよ。あんちゃんの考えが聞きたい」
ユイは腕組みをしたまま言った。
「ユイ。お前ェの夢はなんだ」
「オレは<古来種>になる! 夢なんかじゃない。未来だ」
「この【工房ハナノナ】がお前ェの欠格事由となっては困るんだ」
この言葉に、全員が意味を考え、そして口を閉ざした。
「にゃあちゃんはユイの将来を心配しているのよ」
サブギルドマスターのシモクレンが口を挟んだ。
「どういうことだ、あんちゃん」
桜童子は天井を見ながら語る。
「イクスの場合は仕方がないんだ。この世界で<大地人>から<冒険者>がどのように見られているのか、それはおいらたちには分からない。でも、イクスは蘇った代わりに身分を失ったんだ。社会的な地位を失ったと言い換えてもいい。これから<冒険者>として生きるのなら、ましてや念話も使えない現状では、イクスを【工房ハナノナ】に入れることは急務だ。ギルドパスを発行し、供贄のシステムを使って配送させれば居場所を掴むこともできる」
ユイはうつむき加減で語る。
「イクス姉ちゃんに社会的地位なんかないよ。<二級市民>だけど、職なんかないんだ。姉ちゃんは<鬼子>なんだ。小麦農家の家に生まれた<曲芸師>の能力を持つ忌み子なんだ。ミケラムジャさんの家に預けられて<ドンキューブの森>に雇われることになったけど、どこにも自分の身の置き場なんてなかった。だからこの【工房ハナノナ】が居心地良かったんだよ。仕方ないというより願ってもないことだよ、姉ちゃんにとって。でもそれはオレも一緒だ」
ヴィバーナム=ユイ=ロイは<大地人>である。彼もまた、生まれた血筋からはみ出した<鬼子>と呼ばれる存在だった。だから<古来種>を目指す人生はそのまま彼の存在意義となった。サクラリアとともに【工房ハナノナ】にやってきたのは、彼にとって必然であったのかもしれない。
「<古来種>にはどうやったらなれるんだ、ユイ」
率直な質問を桜童子はユイにぶつけた。これは考えに考え、考えた先に生まれた言葉だった。
ユイは<大地人>であるのだから、「ゲーム時代にそうプログラミングされた」可能性がある。
それを自覚させることは、<古来種>を眠りに就かせた呪いの言葉をぶつけることに匹敵するかもしれない。この疑問は、ユイの存在を根底から揺るがしかねなかった。
だがこれまでのユイとの付き合いの中で、桜童子はユイの「人としての厚み」を感じ取っていた。だからこそ素直に投げかけた。
そこまで考えた桜童子が驚く程、シンプルな答えをユイは語った。
「強くなればいいんだ。誰にも負けない強さを持てばいいんだよ」
そこに具体的な方策は何もない。桜童子が想像したような過程はないのだろうか。いやきっとある。
どこかにきっと<古来種>の集団が存在するはずだ。そこでおそらく強さと清さを認めさせねばならぬのだ。認められねばならぬのだ。
その時【工房ハナノナ】の存在が足枷にならぬのかを心配したのだ。
傍目に見ていたハギは、この時やっと桜童子の意図がわかった。
桜童子は元いた世界で汚職事件に巻き込まれ、罪なくて罷免されるという憂き目に遭っている。その時起こした集団裁判で逆にひどく傷つけられたという話も漏れ聞いている。
桜童子が【工房ハナノナ】にユイを入れないというのはきっと親心に近い感情だ。
きっとシモクレンもわかっていたに違いない。
ユイは言った。
「あんちゃんの心配は正直わからないよ。でもオレは正しい道を歩む。そして、この【工房ハナノナ】も光の道の上にある」
<大地人>の特殊な表現かもしれないが、この言葉は桜童子を動揺させたようだ。だが、桜童子から訂正の言葉は引き出せなかった。
ユイがいらだちを隠せないのはそのためのようだ。