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001 イーリオスのラオコーン


潜入がいかに大変なことかぼくは味わい知ることになる。


その時ぼくはまだ<plant hwyaden>の一員であり、<ナカス>の南門を通過するのに特別な手続きも、通行手形も必要がなかったにも関わらずだ。


厄介だったのは、到着時と潜入時と脱出時だ。



時系列で話そう。

ぼくはバジルさんとあざみさんとともに<ユーエッセイ>に行くため、ギルドホールである<P-エリュシオン>を踏み出した。


「舞華くん! やっぱり少し時間をもらえねえか。そうだなあ。二時間、いや三時間ってところか」

リーダーさんが追いかけてきてぼくに話しかけた。

これにはバジルさんが猛反発する。

「オメェもさっき、イクスも心配してるだろうから早く行けっつったろうが、ウサギの介」


「舞華くんが必要なんだ、どうしてもな。たんぽぽ、済まない。舞華くんを待って少しだけ残ってやってくれないか」

「にゃあちゃんが慌ててるんだから、緊急なんでしょ。じゃあ先にひと眠りしとくわ」

声をかけられると同時に引き返したあざみさん。


「お、おい」

「バジル。どうしてもってんなら先に行ってもらってもいいんだが、すれ違いになる方が厄介だ。三人で動いちゃもらえないかい ?」

「ちぃい! わーった、わーったよ! オメェがそこまで頭を下げるってんならよっぽどの用だろうよ。で、作家の嬢ちゃん三時間だけつかまえて一体何しようって腹なんでぇ」


「舞華くんは<ナカス>に行かなければならない」



その作業こそ後の侵入作戦の嚆矢だったのだとずいぶん経ってようやく気づいたが、その時は単純に、<plant hwyaden>脱退手続きのためだと思っていた。


ぼくを気遣って<鋼尾翼竜>ではない従者での移動を提案してくれたが、一刻も早くイクスさんを救出しなければならない状況なのだ。

過去のトラウマがどうのなどと言っている場合じゃない。ぼくは、リーダーさんの「金ピカヤモリ」と揶揄される<鋼尾翼竜>にまたがった。


<レベルファイブの森>に降りると、リーダーさんの異常エンカウントに引き寄せられた大量の<クリューラット>に群がられる。

これが最初の厄介だ。


次の厄介が、<七人の門番>と呼ばれる酔漢たちの迷惑行為だ。ジョングルールとして各地を歴訪してきた際にもこういう輩には出会ったが、<ナカス>南門の門番は一際質が悪かった。


追いすがる酔っ払いを振り払って街を歩く。

<ナカス>の街ははじめてなのでずいぶんと彷徨って<ギルド会館>にたどり着く。


外の大階段には剣を持った厳つい<大地人>が腰掛けている。

こういう謎の人物を見ると、つい癖で<盗聴取材>の特技をオンにしてしまう。これで十分間は、彼がそこにいる限り彼の会話はぼくにつつ抜けだ。


大階段を上がり、ロビーに出る。魔法灯のおかげでやや明るい。

ギルド加入脱退申請受付には<菫星>という名の職員がいる。カウンターの前に立つと、後ろで気配がしたので振り向く。


こちらを見ている<冒険者>がいる。明らかに不審だ。


声をひそめて<菫星>に脱退手続きを申し込む。

後ろの男が近づいてくる。

手続きが終了する。

不審な<冒険者>は背後まできて、ぼくの肩を掴もうとした。


この厄介な状況は、リーダーさんと話して想定済みではあった。

<帰還呪文>。

ここからは走力勝負だ。

<ナカス>の入り口に瞬間移動したぼくは、門番たちの間を駆け抜けて街の外へ出る。男たちの下卑た野次が届く。


(今入ってきた女、<plant hwyaden>を脱退して逃げた!)

さっきの不審な<冒険者>の声だ。

(ここは通ってない。魔法か?)

(<帰還呪文>ちゅうやつばい、ラオコーン隊長)

ラオコーンと呼ばれた男は、きっと階段にいた男だろう。

(門番に連絡、見つけ次第捕縛)


(門番に捕縛要請! 女一名。<plant hwyaden>を脱退し、逃走。名前は浮立舞華。繰り返す。捕縛要請、名前は浮立舞華)


点々と仕掛けた<盗聴取材>に、次々と追手の声が入った。

確実に追い付いてきていた。

ぼくは後ろを振り向きもせずひたすら全力疾走しながら、己の鈍足を呪った。


追手の一人は<狼牙族>なのだろう。脚も早いし、正確に追ってくる。戦って勝てる気もしない。ぼくは転がるように薮の中に身を隠した。


「オゥラッ! 出てこいや! いるのは分かってんだ! 大神殿送りになりたくなきゃ自分からでてこいや!」

叫びながら追手はタウンティングを続ける。

ぼくはもう祈るより他なかった。


ぼくは恐ろしい勢いで後ろに引かれた。

観念して目を閉じる。


「うぎゃあああ!」

叫び声にパッと目を開ける。


ぼくを覗いていたのはリーダーさんの<絶海馴鹿>だった。

「なんなんだァア! ウルァ! このクリューラットの群れはァアアアア!?」

追手はどうやら大量の(丶丶丶)クリューラットに襲われていたようだ。


「リーダーさん!」

「行こう、舞華くん!」


<絶海馴鹿>に飛び乗り、宙を駆ける。



ぼくはようやく<ナカス>を振り返る。

明るければ違った姿に見えるのだろうが、闇に浮かぶ姿は堅牢な城塞都市に見えた。

ぼくはその姿を見て、ある遺跡を思い浮かべた。


エーゲ海を臨む古代城塞都市イーリオス。

トロイア戦争、最後の舞台。



■◇■



 イーリオスの神官ラオコーンは戦慄した。


 二人の息子たちの背後に一瞬だが恐ろしい海蛇の姿を見たのだ。

 これはギリシアの神々による脅迫なのか。それとも恐怖心が見せた幻想か。


 それにしてもこの異様な物体は何なのだ。


 ギリシアの軍勢はこれまで様々な攻城兵器を持ち込んできた。二隻の船をつないだ投石器。櫓型の登攀装置。炎の矢を次々と放つ弾倉。そのどれとも似ることのないものを門の前に置いて行った。


 馬だ。木製の馬だ。

城壁と同じ高さはあろうかという巨大な木馬だ。



「ギリシア軍が撤退していくぞ」

 門の守りについていた兵士たちが船を見送って叫ぶと、避難所に隠れていた民衆たちも大きな木製の馬を見つけて大いに喜んだ。どの攻城兵器を奪い取った時よりもその喜びは計り知れなかった。



 神官のラオコーンには分かる。イーリオスの市民たちがどれだけ偶像というものに思い入れがあるかを。だが、ラオコーンは叫ばねばならぬ。だからこそ叫ばねばならぬ。

 これはイーリオスが守られるかギリシアの軍勢に陥落させられるかの瀬戸際なのだ。


 沸き返る民衆を静まらせようと大声を上げた。


「なんて哀れな市民たちだ! それに触れるなど狂気としか思えぬ。撤退だと!? あれが戦利品だと!? 今まで対決していたのは誰だ! 策士オデュッセウスだ! これが奸計でなくなんだというのだ! 私はギリシア人が笑みの内に贈り物を手渡そうとしてもそれを疑って見せる」



 兵士から槍を取り上げ、ラオコーンは木馬の腹に投げつけた。



 木馬から悲鳴が漏れ聞こえたような気もしたが、そのとき引っ立てられた男がわめく声にかき消されてしまった。

「ギリシア兵だぞ! こいつに吐かせよう! あれはいったい何なのだ」


 ラオコーンの必死の思いは、一人の捕虜のためにうやむやになってしまった。

「は、話しますから命だけは助けてください! 私はオデュッセウスの怒りにふれ置き去りにされてしまったのです」

「前置きはいい! 早く言え!」

「あ、あれは、我らの神への捧げものなのです。これをイーリオスに奪われてなるものかと門よりも大きく作ったのです」


 民衆は喜び叫んだ。それをラオコーンは苦々しく思った。

 ラオコーンの反対の声は悲鳴に飲み込まれた。

悲鳴のした方を見る。ラオコーン息子たちが海蛇に襲われていた。

市民たちが逃げ惑う。ラオコーンは息子の元に駆け寄る。必死に立ち向かうも自らも締め上げられて身動きできなくなる。


「あの槍のために、神の怒りに、触れてしまった・・・か」


 ラオコーンは息絶えた。

 この光景に民衆の心はラオコーンの意見と反対方向に大きく傾いた。木馬を罵り槍すら投げつけた男が海蛇に絞め殺されたのだから、それは当然の結果だったかもしれない。


 民衆たちは門扉を崩して馬を城内に引き入れた。

 もう圧倒的な勝利を信じて疑わなかった。


 人々は喜び、城内のすべての祭壇に飾りつけをし勝利を祝った。

 酒に酔いしれその日はぐっすりと眠った。


 ラオコーンの忠告は無視され、街の運命を予言したカサンドラの言葉も黙殺された。

 木馬の内部に潜んだ兵士が中から抜け出し、イーリオスの民が寝静まったのを近隣の兵たちに知らせるのはその夜のことである。


 これがトロイア戦争の舞台となった、イーリオスの街最後の日の出来事である。


 ここから巧妙に偽装して内部に侵入する方法を「トロイの木馬」と呼ぶようになったのである。



◆◇◆



「中身を見せるんだ! そこの猫人族!」

 傭兵に肩をわしづかみにされる。


 クロネッカ=デルタは驚愕の表情を浮かべて振り返る。


 傭兵に剣を突き付けられる。

「なんにゃっすか、なんにゃっすか」

「いいからその抱えている風呂敷を開いて見せるんだ」


 逆らって戦闘行為にでもなれば、<ナカス>の治安を守る衛兵に殺されるのはクロネッカの方であり、<Plant hwyaden>の一員である傭兵の方ではない。


 クロネッカはしぶしぶ肩の荷をほどいて、傭兵の前に置く。

「開けろ」

「ただの預かりものの荷物にゃっすよ」


 しゃがむクロネッカの顎に傭兵の剣の刃先が触れる。

 開けろ、さもないと……。そういう意味だ。


 クロネッカは桜童子から聞いたイーリオスの街のラオコーンの話を思い出していた。


(トロイの木馬作戦において、もっとも障害となるのがラオコーンだ)

 クロネッカはこの髭面の傭兵がラオコーンだったかと観念し、包みを開いた―――。


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