無限振り込め詐欺
「もしもし、突然すいません。警察の者ですが……」
『まぁ、警察の人ですか?』
とある古ぼけたアパートの一室で、一人の男がスマートフォンを使って誰かと話していた。通話口から漏れて聞こえるのは、おっとりそうな感じの一人の女性の声だ。
いつもお疲れ様です、と言うねぎらいの言葉にお礼を言いつつ、『警察の関係者』を名乗る男は、女性に重大な情報を伝え始めた。女性の銀行の口座が有名な詐欺グループに狙われ、暗証番号を解読させられかねない事態になったというのだ。その詐欺グループはこれまでも次々に各地の口座から現金を奪い取っているが、証拠も残さず、警察も注意しか出来ない状態なのだ、と彼は深刻そうな口調で語った。
「このままですと、貴方の預金は全部その詐欺グループに奪われてしまうことになります……」
『あら、それは大変!どうしましょう……』
「銀そこで、行の方に代わって、私の方から連絡をさせて頂いております」
それはご丁寧にありがとうございました。その女性のお礼に、仕事ですからと男は爽やかな声で返す。だが、その言葉を発した彼の顔は、歪んだ喜びの笑顔で満ちていた。この男は警察官でもなんでもなく、今まで何人もの女性たちを騙してきた、成りすまし詐欺の常習犯なのである。
今は昼下がり、電話口の向こうにいるような女性は、夫は会社、子供は学校と一人だけで家にいる状態が多いらしい。しかも大概掃除や洗濯などは午前中に終わらせ、暇をもてあましているはずである。その隙を突いて、この詐欺師の男は真面目に仕事をこなす警察官に成りすまし、女性たちに嘘の連絡をして危機感を煽らせていたのだ。持ち前の爽やかな声もまた、女性を誘惑するための詐欺の武器であった。
今回もまた、上手い具合に女性を踊らせて自分の思い通りの展開を作る事が出来たと確信した詐欺師の男は、いよいよ本題に入った。
「つきましては、銀行の口座のほうを新しく作り直す事にしまして……」
『そうですか……』
「ええ。今から言います新しい口座の方に、預金を移し変えて頂けますか?」
本物の警察官は、こんなことは絶対に言わない。そもそも銀行の代理なんてするわけが無い。お昼のワイドショーや夕方、そして夜のニュースでも散々に注意されているはずである。ところが、電話の向こうに居る女性は彼の言うままに口座番号や場所をメモし始めたのである。
あまりにも上手く行き過ぎている事に一切の違和感も抱かず、にやけ顔が止まらない男だが、邪な笑い声が漏れないように耐えながら、女性が口座番号を聞き取るのを待った。
「……では、なるべく早めにお願いします。今日中のほうが良いかもしれないですね」
『分かりました。ありがとうございます♪』
――よっしゃ、大成功だ!
電話を切った後、詐欺師の男は大はしゃぎした。これで5件目、今回もたっぷり金を騙し取ることが出来る、と。
彼は電話口の外にいる女性たちを、利用しやすい存在だと舐めきっていたのだ。
=====================
そして一時間が経ち、約束の時間が迫ってきた。
「どれ、そろそろ金を頂くとするかな?」
先程女性に教えた口座番号――詐欺目的で使用している銀行の口座――の中に数十万円が振り込まれる、と言うばら色の未来を予感しながら、男は近くにある銀行へ向かった。
しかし、銀行に進むにつれて、詐欺師の男は町の様子がおかしいことに気づき始めた。普通でも彼が住む住宅街の昼下がりは静かなのだが、今日はいつもより増して静まりかえっているのだ。平日で何もイベントは無いはずなのに一体どうなっているのか、と僅かながら不安になりながらも、多額の金への期待の方が勝った彼は、そのまま銀行へ歩みを進めた。
ところが、次第にその銀行の方向だけは逆に妙に賑わっている事に男は気づいていった。目的地に近づくにつれ、たくさんの人々の声が聞こえてきたのである。しかも二人や三人どころではない、まるで都会のラッシュアワーのように、何十何百もの人が一斉に声を発しているようである。
そして曲がり角を抜け、銀行の入り口を見た彼は、一瞬その目を疑った。あまりにも現実離れした光景が、目の前で繰り広げられていたからであった。
「な、なんじゃこりゃ……!?」
そこにいたのは、銀行に群がる何十、いや何百人もの女性たちだったのである!
「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」…
長い髪に綺麗な顔、大きな胸、むっちりとした体つきに整った腰つき――誰が見ても美人な外見の女性の大群だが、詐欺師の男に見とれる余裕は無く、むしろ唖然としていた。何故なら、銀行の前に集まり続ける彼女たちは、頭の頂点から足先まで、何もかも全く同じ姿、そして同じ声、さらに同じ笑顔だったからである。
一体何がどうなっているのか、それまで様々な人々を騙し続けた詐欺師の男でも理解する事は出来なかった。双子や三つ子なら十分現実的だが、全く同じ姿形の人間が大量に溢れる事など現実にありえないからだ。
しかし悩み始めた直後、彼は背中に柔らかくも大きな衝撃を受けてしまった。
「いてて……」
バランスを崩した彼は、気をつけろよと怒鳴ろうと後ろを振り向いた。だが、そこにいたのもまた――。
「あら、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
――銀行に群がる女性と全く同じ姿形をした、むっちりとした体つきの美女だった。しかも、そこにいた彼女は一人だけではなかった。
驚きのあまり立ち上がる事が出来ない彼の目の前で、全く同じ姿の女性が列を成しながら次々に銀行へ向かっていったのである。
「こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」こんにちは♪」…
全く同じ声を延々と聞き続けているうち、詐欺師の男の顔が青ざめ始めた。次々に放たれる声の全てが、あの時自分が警官に成りすまし、嘘の口座に預金を全額振り込ませようとしたあの女性と同じものであることに気がついたからである。
「あ、あ、ああああ……!!」
既に理解の範疇を超える事態になっている事にようやく気付いた彼だが、その間にも銀行に群がる女性の数はどんどん増え続けていた。大きな胸を震わせながら次々にやって来る彼女たちは、全員とも詐欺師の男の口座に自分のお金を振り込もうとしていたのだ。
「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」…
いくら大量のお金を手に入れても、こんな異常な状態に巻き込まれて自分がおかしくなってしまっては意味が無い。そう考えた詐欺師の男は、急いでアパートにある自分の家に逃げることにした。
だが、銀行と反対側を向いたとき、男の口から出たのは絶叫であった。
「う、うわああああ!!」
通りにある家の扉と言う扉、通りに並ぶ店のドアと言うドア、そして銀行に繋がる道路と言う道路、ありとあらゆる場所から長い髪に美しい顔つき、むっちりした体に柔らかく大きな胸を震わせる女性たちが、数限りなく現れ続け、男の方に向かってきたからである。
「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」…
「ど、どけ!!どいてくれ!!」
次々に銀行に向かって押し寄せる何千、何万、いや何億人もの女性たちの大群を何とか押しのけ、彼は家へ戻ろうとした。途中で胸を握ったり尻を掴んだりしたが、今の詐欺師の男にはその快感を味わう余裕は一切無かった。だが、それを嘲笑うかのように、女性たちは開け放たれたドアや扉から際限なく現れ続けた。目的地の銀行は彼女の体でぎっしり埋め尽くされ、無数の女性たちは次々に銀行の外側を埋め尽くし、やがて男の身動きを封じるまでになっていた。
「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」…
もはや町のあらゆる場所が全く同じ姿形の女性によって埋め尽くされてしまった。マンションもビルも道路も、ただ増え続ける美女の大群によって360度視界の全てが覆われてしまったのである。そして全員とも一斉に銀行目掛けて押し寄せた結果、今や銀行の建物は無数に折り重なりながら笑顔を見せる無数の彼女の中に埋もれてしまっていた。
そして、とうとうその膨大な女性の流れは、男の力を越えた。
「わあああぁぁぁぁ……」
これまで散々女性を舐め、騙し続けてきた詐欺師の男の断末魔は、何億何兆、いや数えるのも困難なほどに増殖しながら銀行に向かう女性たちの中に消えていった。
そして残されたのは、彼の口座に振り込まれたお金の総額と同じように無数に増え続ける、同じ姿形の女性たちの声だけであった……。
「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」「振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」振り込まないと♪」…
<終>