1-5 日常の一幕
岬の衝撃の自己紹介から一週間が経った。
淡い恋心は儚く散ってしまったものの、席が前後ということもあり、大悟は『同性』である岬と普通に友人として交流を深めていた。
同性であると理解してからは、岬と話すときに変な気負いをする必要はなくなり、気軽に話せるようになった。
それでも、ときおり見せる岬の仕草にたじろいでしまうこともあったりするが、あのときの思いは気の迷いだったと立ち直る程度には、気持ちの整理ができていた。
そんな感じで、一週間は瞬く間に過ぎていった。
見た目が男の子である薫と、見た目が女の子である岬は何かと気が合うようで、二人は行動をともにしていることが多い。
今日も教室では二人が机を合わせて昼食を食べていた。
一方の大悟はというと、秀人と一緒に学食に行こうと思っていたのだが、入学早々に野球部に入部した秀人は、野球部の仲間とともに食堂に行ってしまったので、本日は購買で買ったサンドウィッチを片手にひとり中庭で昼食を食べていた。
清心高校の中庭には昼食を食べるスペースのようにベンチが並べられていて、そこに弁当や購買のパンなどを持ち寄って食べる生徒もいる。生憎今日は曇り空で、春特有の冷たい風が吹いて肌寒いので、わざわざ屋外で食べるような生徒は大悟くらいしかいない。
(ふっ、静かだな。なんて黄昏れてみたりして……)
むしろ人気がないからこそ、大悟はこの場所を選んだのだ。
冷たい風を肌で感じながら、食べる昼食というのも趣がある、と思う。
(普段は薫と岬のおかげで騒がしいからな)
薫と岬は、その格好もさることながら、その容姿で何かと周囲の目を引いている。入学して間もないにもかかわらず、すでに他のクラスだけでなく、上級生らも二人の姿を見るために、男女関わらずわざわざ一年B組の教室までやってくる人間がいるくらいだ。
そんな二人と行動をともにしていたら、その取り巻きにすぎない大悟だって騒ぎに巻き込まれることが多くなる。
だからこそ、たまにはこうやって一人で静かに昼食を食べるのも悪くないと思ったのだ。
「部活かあ……」
タマゴサンドを租借しながら、人気のない中庭で呟く。
秀人は中学時代と同様に高校でも野球部に入部しており、薫はまだどの部活にするか決めかねているようだ。が、すでに彼女の身体能力は学校でも評判になっており、様々な部活が彼女を勧誘しようと画策しているらしい。
文字通り男子顔負けの身体能力を持つ薫ならば、間違いなくどの部活に入っても、エース級の活躍することだろう。
「野球もなあ……」
秀人にも誘われているし、中学まで続けてきた野球を高校でも続けるというのは、かなり無難な選択肢だろう。
何か新しいことを始めたい、とかそういう前向きなことを考えていたわけではないが、自分の中では野球という競技に関する情熱がすでに失われていた。そんな中、惰性で続けるのもどうかと思ったので、高校では野球をやるつもりはなかった。
とはいえ、高校三年間という貴重な時間を帰宅部で過ごすのも勿体ないという思いはある。
(どうすっかな……)
手にしていたタマゴサンドを食べ終わり、手持ち無沙汰になった両手でベンチに手をついて、分厚い雲に覆われている天を見上げる。
どんよりした空気が身体にまとわりついてきて、まどろみが襲ってくる。衝動に任せて重くなってきた瞼をゆっくりと閉じると、
「だ・い・ごクンっ」
「わっ――」
首のあたりにひんやりとした何かが当てられ、大悟は情けない声を上げて思わずベンチから飛び上がった。
「な、なんだよ、岬か。びびらせんなよ」
振り返ると、ベンチ越しの岬が大悟の反応に満足したように岬が笑みを浮かべていた。首筋に当てられた、さっきのひんやりとした何かは岬の手のひらだったらしい。
「どうして、ひとりでご飯食べてるのさ。こんなところでひとりで食べるくらいだったら、教室でボクたちと一緒に食べればよかったのに~」
頬を膨らませて抗議する岬は、ぱっと見女の子にしか見えない。というか、しっかり見ても女の子にしか見えない。
「ねえねえ、一緒に食べようよ~」
スカートを翻しながら、岬はベンチを回り込んで大悟の前に移動する。岬の髪が揺れると同時に、岬の柔らかい匂いが風に運ばれて大悟の鼻腔をくすぐった。
――騙されちゃいけない。こいつは男だ。
首筋には冷たい感触とともに、柔らかい岬の手の感触が残っていた。
「別にいいだろ。俺だって、たまにはこうして一人で昼食を食べたいときだってあるんだよ」
「なにそれ~。あっ、そうだ。ねえ、だったらボクが大悟クンに、あ~ん、って、してあげよっか? それだったら、ボクと一緒に食べてくれるよね」
いたずらっぽく唇を歪めて、人差し指でその唇をなぞってみせる岬。その提案に心が揺れないわけではなかったが、もちろん頷くわけにはいかない。
「むしろお断りだ。男同士でそんなことをやっても気色悪いだけだ」
「もう大悟クンってば、恥ずかしがり屋さんなんだから」
出会った当初は言葉を交わすだけでも心臓が飛び出るくらい緊張していたというのに、岬の性別を知った途端、気軽に言葉を交わせるようになった。
我ながら単純な性格だとは思うが、こればっかりは自分でも制御できない感情の問題なので仕方がないと思う。
「っていうか、岬は九曜と一緒にメシ食ってたんじゃないのか。あいつはどうした?」
「九曜さんなら、ソフトボール部の先輩がわざわざ教室まで勧誘に来てね。その人の話を聞くってついて行っちゃった。そういうことで、昼食を食べる相手を失ったボクは、大悟クンを探してここにやってきたわけ」
こんなことを言っているが、男女問わず人気の高い岬ならば、一緒に昼食を食べようと誘って断る人間はいないだろう。
それでも、こうしてわざわざ他の誰でもない大悟をこうして探してくれていた、という行為をなんとなく嬉しく感じてしまう。
「ふ~ん、まあいいや。ところで、岬はなにか部活に入ったりしないのか?」
ただ内心の微妙な変化を見せたくないので、大悟はできるだけ素っ気なく会話を続けた。
女の子のような容姿をしている岬だが、これでも運動神経はクラス内でもトップレベルだった。最初の体育の授業で体力測定をやったのだが、どの項目も上位にランクインしているほどだ。
それを見て、大悟を始めとしたクラスメイトは、本当に岬が男なんだな、と実感したのであった。
「ボク? ボクはちょっとしたアルバイトをしててさ。部活やっている暇がないから部活はやらないつもりなんだよね。いろいろな部活から勧誘はされてるんだけどね」
岬は罰が悪そうに苦笑いを浮かべる。
もちろん岬を戦力と考えて、勧誘している部活がないわけでもない。
しかし美少女然とした岬とともに青春の汗を流したいという、邪な気持ちを抱いて勧誘してくる部活も多々あるのも事実だ。
「大悟クンは部活やんないの? 中学時代は野球部だったんでしょ? 九曜さんも田上クンも、大悟クンは凄かったって言ってたよ」
「ふっ、それはあいつらのお世辞だろ。俺なんか大したことねえよ。ま、とりあえず今のところ部活はまだ決めてない。まだ入学して一週間だし、そんなに焦ることもねえだろ。ゆっくり決めるよ」
「そうやって先送りにしているうちに、いつの間にか三年間が過ぎていくのであった。ちゃんちゃん――」
岬は楽しそうに冗談にもならないことを言う。
「ま、そうならないようにするよ。さて、そろそろ教室に戻るか。メシも食い終わったし、いつまでもこんなところにいても、さみぃだけだ」
「いいの? 教室に戻ったら、ボクと二人っきりになれないよ?」
顔を近づけて上目遣いで囁く岬。
はっきりと岬の瞳に捉えられ、大悟は思わず唾を飲み込んでしまった。
桜よりも無残に散った恋から立ち直ったとはいえ、今でもどこか完全に諦めきれない自分がいるのは確かだ。
だからこうして岬が意味深な態度を取ると、それが大悟をからかうた意図でしかないとわかっていても、気持ちが揺らいでしまう時がある。
――何度も言うが、目の前のコイツは男なのだ。
「抜かせ。男と二人っきりになって喜ぶヤツがいるか」
だから精一杯素っ気ない態度をとって言い返すのが、大悟の精一杯だった。
「またまた~、照れちゃって~」
茶化すように言いながら、岬は大悟のほっぺを突っついてくる。
微妙に本心を言い当てられてしまったので、咄嗟に上手い返しができない。
(なんだかなあ……)
入学式前に描いていた甘酸っぱい青春とはほど遠いが、こんな風な時間の過ごし方にもいつの間にか慣れつつある自分がいる。
「さっさと行くぞ」
大悟はその場に岬を残して校舎へと戻っていく。
「あっ、待ってよ~」
その後ろを駆け足で岬がついてくる。
――そんななんでもない日常の一幕。