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夢の守護者は男の娘  作者: ぴえ~る
3章 僕の夢、僕の思い
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3-6 取り戻したい過去の思い出

 これは夢。だけど過去の自分が、現実の世界で経験したことのあるシチュエーションを再現する夢。

 もし過去に戻れるとしたら、九曜薫は迷うことなくこの場所へと戻るだろう。

 そんな願いが薫にこの夢を見せているのだ。

 もちろん当の薫は、自分が今夢を見ていることには気づいていない。夢ってのは、そういうものなのだから。

 グラウンドの中で一番高いところ――マウンドの上に薫は立っていた。

 マウンドに上がる投手は、誰しもが一度は孤独を経験するものだが、その孤独感が錯覚であることに、薫はとうの昔に気づいていた。

 中学三年間の集大成である最後の大会、薫たちは地区大会の決勝まで駒を進めていた。

「九曜、あと一人だぞ」

 背後のショートのポジションから、いつも通りの大きな声で大悟が叫んでいる。

(相変わらずでかくて、よく通る声だ。だけどそれはこの場ではありがたい)

 集中しているため、大悟の声に応えることは出来ないが、しっかりと彼の声を耳に焼き付けて、それを身体の中に溶かし込む。

 最終回で、こちらが一点リードしているという状況だが、ツーアウト満塁であり、一打ヒットが出ればでサヨナラというピンチの場面だった。

(ここで負けるわけにはいかない。僕は少しでも長くアイツと一緒に野球を続けるんだ)

 薫は、グラブに収められているボールに意志を込めるように呟いて帽子を被り直す。

 視線をホームベース方向へと向けて、秀人が構えているキャッチャーミットを見つめる。

 マスクを被っているせいで、秀人の表情がはっきりと見えないが、秀人の考えていることなんて、彼の表情を見なくても薫にはよくわかるのだ。

(自信を持って思いっきり投げてこい)

 マスクの向こうの秀人が、薫にそう告げていた。

 秀人のサインは内角のストレート。しかし薫は首を振ってそのサインを拒否した。

 前の打者のとき、内角のストレートの要求をされたのだが、滅多にしないはずのコントロールミスをしてど真ん中に行ってしまい、痛打されたことが頭をよぎったからだ。

 一拍置いて、秀人から新たなサインが出る。今度は右打者の外角に逃げるスライダーだった。

 それは薫の得意としている決め球であり、本来ならばツーストライクと追い込んでから使うボールだった。

 ただそんなボールだからこそ、ここ一番でいきなりカウントを稼ぐ見せ球とするのは効果的となる、と考えた秀人のサインだろう。

 今度こそ、薫は小さく頷いて秀人のミットに神経を注ぐ。

 そのボールは、試合どころか練習でさえもほとんど失投することのない、薫にとっては絶対的な自信を持つボールだった。

 だけどプロ野球の選手といえど、失投は存在する。

 千球投げて九百九十九球完璧に操れたとしても、どこかで一球は必ず失投をしてしまう。たった0.1パーセントであっても、それはゼロパーセントではない。

 緊張や疲れ、要因はいろいろあったのかもしれない。それでも、練習で、これまでの試合で、一度も失投したことがなかったにも関わらず、この大事な場面でその一球を引いてしまうのは運が悪かったとしか言いようがない。

 そんな一言では片づけたくはないが、事実、その運の悪さが薫のすべてを終わらせた。

「…………!!」

 ボールが手から離れた瞬間、いつもとは違う感覚に息が詰まりそうになった。

 曲がらないスライダーは打ちごろの棒球と姿を変えて、吸い込まれるように打者のど真ん中へと向かっていく。

 打たないでくれ、という薫の祈りもむなしく、鋭い金属音が響き渡ると同時に、フックを打たれたボクサーのように背後を振り返った。

 実際、その時の薫が受けた衝撃は、それが比喩ではなくなるくらいに衝撃的なものだった。

 白球は無情にも芸術的な放物線を描き、外野スタンドへと飛び込んだ。

 それは、薫が打たれた最初であり最後のホームランだった。

 呆然とした表情でダイヤモンドを回る打者を見つめていると、横から秀人の声が聞こえてきた。

「やっぱダメだわ。おまえ、ホント使えねーな」

 マスクを取った秀人が、呆れたように目を細めている。

「えっ――」

 秀人の一言に、ホームランを打たれたときと同じような衝撃が薫を襲う。

「あ~あ、これで全部終わりだな。俺の勝ち越し打も無駄になっちまったし、俺たちの中学野球も全部終わり。全部おまえの不用意な一球で、俺たちのこれまでの練習が全部台無しだ」

 マウンドに立っている薫の足下から、黒い何かが沸いてきて、それが足下から這い上がってくる。

「首なんか振らずに、俺の言うとおりに投げてれば、抑えられたってのに。ま、別にいっか。これでやっとおまえから解放されるし、清々するわ」

 嘲笑するように口元をつり上げる秀人。

(ま、待ってくれ!)

 声を出したくても、黒い影がいつの間にか口を塞いでいる。

 背中を向けて去って行く秀人を追いかけようとしても、黒い影が足に絡みついてきて身動きが取れない。

(行かないでくれ、秀人。秀人ッ!)

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