2-11 初めての実戦
「ふふっ、これで二回目のお泊まりだね」
昼間のドタバタした東区、繁華街の空気とは打って変わって、陽が落ちた西区にある岬の家の外は静寂に包まれている。
今夜は、昼間に見かけた学生の中に潜む夢魔を退治することになっていたのだが、まだ自力で他人の夢に入ったことがない大悟は、先日と同じように岬の家に泊まることになったのだ。
「もうツッコミはしないからな。それに今日は別々の布団だしな」
前回と違って、今回はベッドの下に布団が敷かれ、大悟はその布団の上で横になっている。自力で他人の夢に介入するためには、前回のように岬と感覚を共有してはいけない、ということで、今回は別々の布団で寝ることになったのである。
夜も更けて日付が変わる頃。それはすでに大半の人が夢の中へと旅立っているような時間帯だ。
「うぬぬ、まあ可愛い後輩の成果を確かめるのも先輩たるボクの役目だもんね。弟子が羽ばたく姿を邪魔できないよね」
なぜか悔しそうに顔をしかめる岬。
「なあ、その前に一つ聞きたいんだが、夢魔が宿主の身体に寄生されてから、実際に身体が乗っ取られるまでの期間ってどれくらいなんだ?」
「そういえばちゃんと説明してなかったね。通常、夢魔は人間の身体を乗っ取るには三つの手順を踏むんだ。最初は宿主となる人間を見つけてその人の夢の中に寄生する。次に宿主の夢の中で、夢の中に蔓延っている宿主の精神エネルギーを吸収して力を蓄える。最後に力を蓄えた夢魔は、夢の中で宿主の精神体を破壊し、身体を乗っ取って現実世界にやってくる。こんな感じだね」
「なるほど。その精神エネルギーを蓄える期間が猶予であって、その間に俺らが夢魔をやっつけないといけないというわけだな」
「ま、そういうことだね。説明はこんな感じで大丈夫かな? 大丈夫なら、そろそろ始めよっか」
「ああ、問題ない。それじゃあ、行くか」
「ふふっ、もし上手にできないようだったら、この間みたいにボクと一緒に寝てもらうことになるから覚悟してね。けれど、もしボクと添い寝したいんだったら、わざとできないフリをしてくれてもいいんだよ」
「大丈夫だ。なんとなくだけど感覚は掴んだからな」
そう言って、確認のために昼間に見かけた学生の写真を見返す。
「それじゃあ、今日は大悟クンにも手伝ってもらうわけだけれど、大悟クン、自分が使う武器のイメージはできてる?」
夢の中というのは、とにかく肉体よりも精神を駆使して戦うこととなる。岬がこの前夢魔の欠片を退治するときに使っていた双剣も、岬の想像から生み出されたものらしい。
どれだけ強い自分をイメージして戦えるかで、夢の中の自分能力も変わってくるという。たとえ現実世界で超一流のアスリートでも、夢の中で夢魔に屈してしまえば、あっさりとなにもできずにやられてしまうというわけだ。
事実、大悟も恐怖に駆られて夢の中で影に追いかけ回されたときは、呆気なくやられてしまったが、強気で迎え撃ったときには自然と力が沸いてきて夢魔を撃破することができた。
前者に至っては、夢魔とは関連性がなく、単純に大悟が見た悪夢に過ぎなかったのだが、夢の中で強気でいた方が力が沸いてくるという理屈はなんとなく理解できた。
武器というのは、それを手にしているだけで、精神的に相手により優位に立てるという利点がある。そういう理由から、退魔士は夢魔と対峙するときは、岬がそうしているように必ず武器を創り出して戦うそうだ。
「まあな。あんまり仰々しいのも逆にイメージしにくいから、俺が使いやすそうなのを使おうかなと考えている」
「それじゃあ、実際に目で見るまで楽しみにしておこうかな。それじゃあ、夢の中で待ってるね」
「ああ、すぐに行く。待ってろ」
そう言って、大悟は目を閉じて視界を遮断する。次いで、真っ黒の空間に昼間の高校生を思い浮かべながら、闇の中へと沈んでいく。
(…………)
何も見えない暗闇をもがいて進む。やがて自分の身体と乖離したような奇妙な浮遊感が身体を支配し始める。
それとほぼ同時に、視線の先に光明が差す。漆黒の湖を泳いで光明を目指す。
やがて光明の先に足を踏み入れた瞬間、身体全体を真っ白い光が包み込んだ。
視界を覆う眩しい光が消えて、ゆっくりと視界が開けていく。
「……着いたな」
相変わらず他人の夢の中というのは、落ち着かない感じがする。視線を巡らせて、周囲を確認すると、どうやらここはサッカーの競技場のようだった。
そして大悟は無人の客席の隅っこに立っていた。すぐ隣には岬の姿もある。
市内にある競技場なのかもしれないが、そもそも市内にあるサッカー競技場に足を運んだ経験もないので、本当に市内にあるものかどうかは判別出来ない。
「ちゃんと来れたみたいだね。大悟クン」
「ああ、待たせたな」
「それじゃあ、さっそく行こっか。あれを見て。今度はカケラじゃなくて、純粋な夢魔みたい」
岬が指した先を見ると、フィールド内のペナルティエリアに二つの影が佇んでいた。
一つは昼間に見かけた高校生っぽい男で、サッカーのユニフォームに身を包んでいる。
そしてもう一つは真っ黒な塊――夢魔だった。
夢魔の強さが大きさで決まるわけではないのかもしれないが、その夢魔の大きさはこの間のサラリーマンを襲った夢魔のカケラよりも大きく、大悟を襲った夢魔と同じくらいの大きさだった。
PKのボールを蹴る位置――ペナルティマークにサッカーボールをセットして、その前で男が膝をついて頭を抱えており、男の横で夢魔が男を見下ろしている。
「だめだ……。俺なんてダメなんだ」
男とはだいぶ離れているはずなのに、その弱々しい呟きは、大悟の耳にはっきりと聞こえた。
「大悟クン、あそこまで跳ぶよ」
「んな、無茶苦茶な……」
客席とフィールドの間には大きな高低があり、いくらフィールドが芝に覆われていようと、飛び降りて打ち所が悪ければ大怪我してしまうような高さだった。
「大丈夫。これは夢の中なんだから、絶対にできると思えば大抵のことはできるんだよ。安心して。他人の夢の中に侵入することに比べたら、この高さを飛び降りるなんて、全然無茶苦茶じゃないんだから」
妙に説得力のある、岬の言葉に勇気が沸いてくる。
「了解だ。それじゃあ、行くか」
大きく息を吸って、走り幅跳びの要領で、大悟は夢魔目がけて跳躍をする。
(これは夢の中、恐くない。これは夢の中、恐くない)
自己暗示をかけるように何度も言い聞かせたが、それでもやはり跳んでいる最中はリアルな浮遊感が襲ってきて、股間のあたりが縮み上がりそうになった。
しかし着地の衝撃は大したことはなく、フィールドに降り立った大悟は、同じくフィールドに降りた岬とともに夢魔の元へと走る。
「誰だ……?」
大悟たちが近づいてきたことに気づいた男が、うつろな目でこちらを見上げた。
「う~んと、正義の味方ってことにしておいて」
恥ずかしげもなく親指を立てて宣言する岬。どうせ夢から覚めた男の記憶には残らないのだから、好き勝手言えるのだろう。
(俺は夢から覚めても覚えてるんだけどな)
だけどそれを指摘できるような空気でもないので、黙っておくことにする。
「ジャマ……、サセナイ、コイツ……、オレノエモノ」
大悟たちの姿を認めた夢魔が、こちらを向いて切り込みのような口を歪めて、たどたどしい言葉を発する。
その瞬間、夢魔の周りにまとわりついている黒いオーラのような何かが、一瞬濃くなったような気がした。
「た、助け……」
正体不明の黒い塊と、人間の姿をした見知らぬ二人。この選択肢を天秤にかけて、男は大悟たちに助けを求めて手を伸ばした。
しかし夢魔の体内から伸びてきた触手が、救いを求めた男の手を弾く。
「大悟クン、準備はいい? 自分が戦うイメージはできてる?」
岬は隣にいる大悟にしか聞こえないくらいの小声で呟く。
「ああ、大丈夫だ」
言葉を吐き出すと同時に、目の前に右手を掲げる。
(イメージをしろ。あの夢魔を倒すための武器を創り出すんだ)
頭の中に明確なイメージを創り上げ、それを右手へと集める。
(ああ、これだ。俺の武器はこれだっ!)
夢の中に漂う不思議な力を結集すると、そのイメージが具現化し、大悟の右手に質量が生まれる。
(この感触……、成功だ)
「ふふっ、面白い武器だね。でもすごく大悟クンらしいかも」
双剣を手に構えた岬が、大悟の選択した武器を見て笑みを零す。
「俺の想像力で思いつく武器ってこれくらいだからな。本来はこんな使い方をしたら絶対に怒られるだろうけど、もう俺は野球部じゃないから問題ない」
その手に握られているのは、何の変哲もない金属バットだった。
暗闇の中でも金属の光沢がきらりと光っている。
大悟は黒いグリップに手を掛けて、金属バットの先端を夢魔へと向ける。やっぱり使い慣れたものだけあって、手によく馴染む。
いや自分の想像が生み出した理想の武器だからこそ、今まで自分が愛用していたバットよりもよっぽど手に馴染んでいた。
「岬、あの夢魔は俺が処理していいか? 隣の高校生の保護は任せる」
「先輩に命令する気? と言いたいところだけれど、良き先輩であるボクは後輩のやる気を尊重しよう。存分にやるといいよ」
「ああ、ありがとう先輩」
お互いに視線を交錯させて、大悟は夢魔を目がけて走り出し、岬は夢魔の触手を食らって倒れている男へと駆け寄る。
大悟の突撃を食い止めようと、夢魔の身体から触手が跳んでくる。それに対して、大悟は触手の起動を読んで金属バットではじき飛ばす。
それでも一撃では終わらず、夢魔の体内から新たな触手が生まれ、大悟の心臓目がけて攻撃してくるが、大悟は身体を翻しながら躱して接近を続ける。
金属バットの間合いまで接近すると同時に、大悟は思い切りバットを振りかぶる。
「ふんっ!!」
思いっきり息を吐いて、渾身のフルスイングで夢魔の身体を二つに切り裂いた。
「どうだ……?」
視覚的にはかなりのダメージを与えたように思えるが、それ相応の手応えは感じなかった。
やはりその直感は正しかったようで、身体が真っ二つに切り裂かれた夢魔は、だからどうしたとでも言わんばかりに、目がついている上部と、口がついている下部が分離したまま漂っている。
「ソウカ、オマエガ『イヴ』ヲ……。アイツノカタキ、オレガウツ」
(イヴ? もしかして、俺がやっつけた夢魔の名前か……?)
夢魔は怨念の籠もったような声を吐き出して、分離していた二つの身体が合わさって新たな形を形成していく。
別にその変形が完了するまで待つ必要はなかったのだが、ただでさえ何をやってくるかわからない夢魔に対していきなり突っ込むような勇気は、大悟にはなかった。
「クク……、ホンキで、潰してヤル」
以前、大悟を襲った夢魔のように人型になったところで、その変形が止まる。独特のイントネーションがあるものの、たどたどしかったしゃべり方も改善され、その言葉がはっきりと聞こえるようになった。
「大悟クン、気をつけて。コイツは一筋縄じゃいかないよ」
横から岬の声が割り込んでくる。
先輩の言うことを素直に聞き入れて、大悟はいっそう気を引き締めて夢魔へと向き直る。
大悟を迎え撃ち夢魔が指をパチンと鳴らすと、大悟の足下から闇が生まれ、闇が大悟の足首に掴みかかってくる。
すぐさまその場から離脱し、夢魔へと駆け出す。
「……フッ」
計画通りとばかりに口元を歪めた夢魔は、指でピストルの形を作ると、人差し指の先から、漆黒の弾丸を発射させた。
迫り来る弾丸に対し、それをしっかりと見極めて対処する。
(一三〇キロにも満たないストレート……)
この程度のストレートならば中学時代に何度も体験した。デッドボールを避けるのと同じ要領で弾丸を躱す大悟。
――しかし、ほっとしたのも束の間。
「――っ」
弾丸に気を取られていたせいで、目の前まで夢魔が迫っていることに気がつかなかった。
「シネ」
大悟は咄嗟に距離を取ろうとするが間に合いそうもなかった。
肩を掴まれた瞬間、夢魔の手のひらに爆弾でも仕込まれていたかのように、破裂音とともに爆発が巻き起こる。
すさまじい衝撃に巻き込まれた大悟の身体が吹っ飛ばされ、地面に転がる。
ここは夢の中であって、現実ではないというのに、肩口を中心に激痛が走る。
(いや、痛いはずがねえ。夢の中なんだから。痛いと感じるのは、俺が痛いと思っているから)
大悟は言い聞かせるように胸中で呟いてすぐに立ち上がる。
ダメージは残っているものの、それを無視して地面に転がっていた金属バットを手にして夢魔へと迫る。夢魔の頭部目がけてスイングをするが、夢魔は軽い身のこなしで大悟の一撃をやり過ごす。
ただそれでも大悟は怯まない。すぐさま追撃を仕掛けるが、やはり身軽な夢魔は大悟の一撃を華麗に躱した。
その一瞬の隙を突かれ、夢魔の腕が大悟の身体へと伸びてくる。
「逃がさないゾ」
腕だけではなく、夢魔の体内から飛び出した触手が大悟の足まで絡め取る。
「粉々にしてヤル」
言うと、夢魔にまとわりついているどす黒いオーラがさらに濃くなった。そのオーラを肌で感じ、大悟の全身から嫌な汗が噴き出した。
大悟を拘束したことで、夢魔は大きな技の準備に取りかかっているようだった。
ただ全身を覆う寒気を感じながらも、大悟は夢魔に気づかれないように口元をつり上げた。
その隙間から腕を抜き出して、バットを振り上げる。
「ナッ――この状態から何をするつもりダ」
大悟のあがきを、無駄なものだと考えた夢魔は、大悟を馬鹿にするように口元を歪めた。
大悟は、油断しきっている夢魔をあざ笑うかのように、内角打ちの容量で丁寧に腕を畳んで上半身の捻りだけで、夢魔の頭部をボールに見立ててバットを振り切った。
すると、鈍い音とともに、夢魔の頭部が吹き飛んだ。
頭部を失った夢魔の身体は、その力を失って大悟の拘束を解き、力なく地面に転がった。
分割された夢魔の二つのパーツは、地面に転がりぴくりとも動かなくなった。
大悟はそれを見て、安堵の息を漏らして岬のほうへと向き直る。
「おまたせ。終わったぜ」
「ダメっ――大悟クン、まだ!」
岬が切羽詰まったような声を上げると同時に、大悟の背後から何かが巻き付いてきた。
「フフッ、今度油断したのはオマエのようだナ」
背後から、夢魔の腕と触手があっという間に大悟の全身を絡め取っていた。もがいてその拘束から逃れようとするが、隙のない拘束から逃れることができない。
「オレの身体はもうもたないガ、おまえを道連れにしてヤル」
背中に感じる夢魔の威圧感が一気に増した。
「自爆なら勝手にやってなよ。大悟クンは渡さない」
その刹那、一呼吸の間にこちらへ接近してきた岬が、その勢いのままに大悟の背中に張り付いている夢魔を斬りつけた。
その一瞬の間に拘束が弱まり、大悟がすぐさま離脱する。
十分な距離を取ったところで、背後を振り返って夢魔の姿を目で捉える。
黒いオーラで染め上げた夢魔は、風船のように身体が膨張し始めていた。
「クク……、オレがダメでもまだアスタロト様がイル。オレは成し遂げられなかったが、アスタロト様ならば必ずや成し遂げてくれるダロウ」
完全な捨て台詞を残し、爆発を起こして今度こそ夢魔の身体が消えてゆく。
「なんていうか、夢魔の中にもずいぶんとおしゃべりなヤツがいるんだな……」
大悟は夢魔が消えた空間を見つめながらぼやいた。
「まあ、人間だって十人十色なんだから、夢魔にだっていろんな性格のヤツいても不思議じゃないんじゃない?」
「まあそれはそうかもしれないか……」
「さて、それじゃあ、お仕事も終わったし、そろそろ戻ろっか」
そう言うと、岬は男のほうへと歩み寄り、彼にニッコリと微笑みかける。
「それじゃあ、これからも頑張ってくださいね。あなたならきっとできますよ」
自分に向けられた笑顔ではないというのに、大悟は不覚にも岬の笑みを見てドキッとしてしまった。
男は唖然とした表情のまま、ただ岬の笑顔を眺めていただけだった。
(さて、帰るか……)
夢から抜け出そうと強く意識すると、視界が光に包まれた。
しばらくすると光が消えていき、視界が開けるとその先に広がっていたのは岬の部屋だった。
(ふう、戻ってきたか)
布団から起き上がって岬のベッドを見てみると、すでに岬は寝息を立てていた。とっくにこちらに戻ってきていて、一足先に寝てしまったのだろう。
(まんまと助けられちまったな)
最後に油断してしまった自分の未熟さを思い出して唇を噛みしめる。
(岬に守られないように。いや、俺がこいつを守ってやれるくらいに強くならないとな)
無防備でどっからどう見ても女の子にしか見えない岬の寝顔を眺めながら、もっと強くなりたいと願う大悟であった。
こうして退魔士となった初めての戦いは、最後は岬に助けられたものの、無事に夢魔を追い詰めることができた。
一種の満足感を覚えつつも、自分を省みることを忘れない。脳内で反省会を開いているうちにいつの間にか陽が登っていた。
そんなこんなで二回目のお泊まりも、結局大悟は睡眠が取れずに朝を迎えたのであった。
決して、無防備で寝ている岬が気になって、眠れなかったなんてことないので、誤解のないように。




