1-9 岬の家へ
薫に自分たちの関係を続けているうちに、いつの間にか空の色が朱色に染まっていた。
夢魔や退魔士のことを薫に話すわけにもいかず、結局自分たちが屋上で何をしていたのかという説明が曖昧になってしまったので、本当に誤解が解けたのかどうかはわからない。
あとから冷静に考えてみたが、人気のない屋上で抱き合っている二人というシチュエーションは、よからぬ誤解を与えるには十分すぎる証拠と言えるだろう。
ただ相手が異性だった場合、言い逃れができなくなるかもしれないが、今回の相手は同姓である岬なのだ。
いくら美少女に近しい外見を持っている岬とはいえ、岬が男であることは薫も知っている。
それを材料に薫に説明したのだが、あまり手応えはなかった。結局、太陽も沈みかけたところで、時間も時間ということでお開きになったわけである。
ため息をついて、隣に座る岬の横顔を眺める。
(ま、こうして見てると、女にしか見えねえよな……)
「ん? どうしたの?」
その視線に気づいた岬が、見上げるようにして綺麗な瞳でこちらを見つめ返す。
「いや別に……。はあ~。授業よりもどっと疲れた気分だ」
バスが動き出すと、心地よい振動が身体を刺激し、同時に睡魔まで刺激してくる。
普段なら学校の最寄り駅まで歩いて、そこから電車で帰宅する大悟だが、普段と違ってこうしてバスに乗っているのには理由がある。
「そんで、岬の家ってどこにあるんだっけ?」
退魔士としての心構えや、これからのことを教えてもらうために、岬の家に行くことになったのだ。
薫へ説明している最中に思いついたように岬が言い出したものだから、薫の誤解を余計に深める結果となったのだが、今さらそれについて言及しても仕方がない。
なんだかどんどんと深みにはまって取り返しがつかなくなっているような気がしたが、そのへんは気にしないことにした。問題を先送りにした結果、あとでどうなるのかは恐くなるので考えたくはない。
「う~ん。バスで三十分くらいかな。そこからまた少し歩くことになるんだけれど」
というか、薫を説得している間、岬はいっさい大悟の手助けをせずにただニコニコと狼狽える大悟を眺めているだけだった。しかも仕舞いには自宅に大悟を誘い始める始末で、思い返してもため息しか出ない。
「あっ、そうだ。話をしているうちに結構遅くなるだろうし、夕食はボクの家で食べてく? ボクが腕によりをかけて大悟クンをもてなしてあげるよ」
岬は力こぶをつくってアピールする。
「あ~、どうすっかな。岬って料理とかすんの?」
確かにエプロンを着て台所に立っている岬はかなり様になりそうだ。
「ううん。全然、まったく。でも料理なんて愛情があればなんとかなるんだから、大悟クンに対するボクの愛情という最高のスパイスで美味しい料理をごちそうするよ」
どっからその自信が来るのかわからないが、岬は自信満々で言い切った
「あのなあ……。そういうのはまともなものが作れるヤツが言うセリフだ。どれだけ愛情が詰まっていてもマズイ料理はぜってえに食えないからな」
額に手を置いて呆れながら言うと、
「いやだいやだ、と言いながらも、愛する人の手料理は残さず平らげる大悟クンであった」
「わけのわからんモノローグを足すな。とにかく、そんなに岬の家に長居するつもりもないし、メシは帰りにでも買って自分の家で食うから心配すんな」
「まあまあそんな堅いこと言わずにさ。さっきお母さんに連絡したら大悟クンのご飯も用意しておくって言ってたからさ。みんなで食卓を囲みながら、退魔士としての心構えとか必要なことなんかをお話しようよ」
「ま、そういうことなら断るわけにもいかないし、ごちそうになるかな。っていうか、母親の前で夢魔とかの話をしても大丈夫なのか。そういうのって機密事項な感じがするんだけれど」
「あっ、それならなんの問題もないよ。お母さんも退魔士だから」
「じゃあ、この街にいるもう一人の退魔士って……」
「……? もちろんボクのお母さんだよ」
首を傾げて平然と告げる岬。
それを聞いて小さく胸をなで下ろす自分に気がついた。
(…………?)
思わず自分でも首を傾げてしまうような行動。そのとき、大悟は何に対して安堵をしたのか、自分でもよくわからなかった。
それから実に下らなく他愛のない会話をしながら、バスに揺られて岬の家の近くのバス停に到着した。バスに乗っていた時間は岬の言うとおり三十分くらいほどだったが、いつものような会話をしているうちに、体感的にはあっという間の三十分だった。
どうやら自分はこうして岬と会話を繰り広げる時間を、かなり心地よいと思っているらしい。
岬の家がある、滝原市西区は山が連なり、好意的に見れば自然に囲まれている土地だ。悪意的というか、一般的な見方をすれば何もない土地ということになる。
緑に囲まれた、片側一車線の道路の端には、一軒家がぽつぽつと、間隔を開けて並んでいる。
なんというか、このあたりにも何度か足を運んだことはあるものの、来る度に大悟が住んでいる北区や学校のある中央区とのギャップに驚かされる。
背の高いビルもいっさいないし、道路の脇には畑が広がっている。
「お母さんがね。どうせ住むんなら自然に囲まれた場所のほうがいいってさ」
「そういえば、岬は高校入学と同時にこっちに引っ越してきたんだったな。前はどこに住んでたんだ?」
「大都会東京のど真ん中だよ。ここと違ってビルがそびえ立ってたし、夜はまともに星すら見えなかったよ。もちろん向こうは向こうでいいところだったし、愛着はあったけどね」
「こっちに引っ越してきたのって、退魔士関連だったりするのか?」
「まあそうなるかな。もともとこの地域を担当してた人が事故に遭っちゃって。それでボクとお母さんに白羽の矢が立ったっていうわけだよ」
「大変なんだな、色々と……」
大悟は足下に転がる小石を軽く蹴り飛ばして呟いた。
「あっ、でもでも、心配しないで。退魔士にも協会があって、協会の人たちは結構無茶を言ってきたりもするけれど、大悟クンはお手伝いの非正規の人員扱いになるから、そのへんの面倒なことは心配しなくていいよ。もちろんいきなり引っ越しさせられるなんてこともないからね」
「いやいや、別に俺のことを心配してたわけじゃねえよ。ただ岬もいろいろと大変な思いをしてきたんだろうなってさ……」
「ううん、そんなことないよ。大悟クンだって、中学までは夜遅くまで野球の練習をしてたりしたんでしょ。きっとそれと一緒だよ」
寂しそうな横顔で呟く岬は、本心というよりは自分に言い聞かせているかのようだった。
「ま、そんなもんなのかな。そういえば、前に言ってたアルバイトって退魔士のことか?」
「そうだよ。大悟クンも頑張ればお給料をもらえるから、無理のない程度で頑張ってね。頼りにしてるからさ」
岬は大悟の前に躍り出て、くるりと回転してみせる。
そのときに岬のスカートが風で煽られて白くて柔らかそうな太ももがちらっと見えたが、男の太ももを見る趣味のない大悟は見なかった振りをした――それは半分嘘。
「これまで転校ばっかりだったからさ。ボクは友達らしい友達ができたことないんだよね」
意外と言えば意外だ。
岬は、クラスでは男女分け隔てなくフランクに話しかけており、クラスではすでに、男女問わずかなり幅広く人付き合いをしているように見える。
例え、転校ばかりでも岬なら簡単に友達ができそうだが、一度も転校をした経験のない大悟にはわからない転校生の苦労があるのだろう。
「だからこれからも、大悟クンには退魔士のパートナーとしてだけでなく、友達としても接して欲しいなって……」
退魔士という人種がどんな生活をしているのかはまだわからない。が、人が夢を見るような時間に活動する連中なのだから、まともな生活は送っていないのだろう。
ましてや岬がいつからこの仕事をしているのかは知らないが、友達を作る暇なんてなかったのかもしれない。
「その程度でいいならお安いご用だ」
「うん、ありがと。それじゃあ行こっか。のんびりしていると、お母さんに怒られちゃう」
満面の笑みを浮かべた岬が、綺麗な髪を揺らしながら小走りで夕焼けの中を駆けていく。
――こんな関係も悪くねえのかな。
小さく高鳴る胸を心地よく感じながら、大悟は岬の後ろについていった。
夕方特有の爽やかで少し肌寒い風が二人の頬をなで付けた。