出発と初陣の八話
よろしくお願いします。
初めて踏み出した異世界は、しかし記憶通りの場所だった。
薄暗い洞窟の中、日の光が届かないその場所を、壁面に生える苔が薄い緑色の光を放ち、周囲を優しく照らしている。
漆黒の騎士がルヴォルフの従者として何度も行き来した道だ。
洞窟の出口まで迷う事無く進めるだろう……が、問題はその後だ。
漆黒の騎士が吸収した記憶の始まりは、ルヴォルフとの契約を結び、彼の従者となった後から始まっている。
故に彼の従者として行動した範囲の記憶と知識しか持ち合わせておらず、契約後のルヴォルフは、隠れ家での研究に多くの時間を割いていた為、その行動範囲は決して広く無い。
その多くは洞窟と最寄りの町『メリエル』との往復であり、その間にした事と言えば、洞窟内での魔獣との戦闘に、町までの道中で行う露払いである。
町に到着した後も、ローブを用いてステルス・フィールドを発動させ、町の外で待機し、帰り道は荷物持ちを務め、帰れば雑用と、正直あまり役に立たない記憶が多かった。
それでも言語や文字、戦闘や魔獣に関する知識は十分役に立つのだろうが、メリエルに到着した後は町の中の様子すらも分からないので、本当に漆黒の騎士の前途は多難を極めている。
特に困難を極めるであろうと予測されるのが、情報を他者から聞き出したい時のコミュニケーションだ。
一応漆黒の騎士にも、この世界での常識的な知識は有るのだが、ルヴォルフ以外との接触が皆無の為、少々自信が無い。
下手な事をして、見た目以上に警戒されては堪らないので、当面はステルス・フィールドで姿を隠しながら町の様子を観察し、この世界での自然な行動を学ぶ必要が有るだろう。
最終的にこの世界の住人と問題無くコミュニケーションをとれるようになれればいいのだが、果たしてこの姿でそれが可能なのだろうか……?
考え出せば不安は尽きないが、無理なら無理でその時は、住人たちと接触せずに情報を集める方法を模索するしかないだろう。
とにかく悩んでいても始まらないのだと、漆黒の騎士は気を持ち直して歩みを進める。
薄暗い洞窟の中を、出口へと向かって。
『地竜の洞窟』
それが地中深くまで広がる、この底知れぬ洞窟の通称だ。
元の世界における、ユーラシア大陸と大差無い大きさを誇るであろう『フィルクス大陸』。
その東方に位置する、メリエルの町から更に東へ向かい、大人の足で一時間ほど歩いた場所に、その洞窟は有る。
周囲を森に囲まれた、小高い丘に隠れる様に口をあけるその洞窟は、かつて地竜の幼体によって掘られ、今なお最深部には地竜が住みついているとされている。
されてはいるが見た者はいない。
最深部に辿り着き、地竜の有無を確認できた者がいないのだ。
洞窟内は細く狭い通路と、開けた空間が交互に連なっており、徐々に地下へと降りて行くようにして広がっている。
また袋小路となっている場所も多く、まるで蟻の巣の様に入り組み、魔獣の巣窟となってしまっている。
住み付いた魔獣から採取される毛皮や牙、骨や臓物といった、装備や薬の材料となる素材を求め、腕に自信のある者たちが訪れるのだが、その多くが魔獣の強さを前に命を落とすか、逃げだす始末で、最深部どころか入り口周辺しか確認出来ていないのが、現状の地竜の洞窟である。
そして最深部に辿り着いた事が無いという点については、漆黒の騎士も同じだった。
何故ならば、ルヴォルフは漆黒の騎士を創造してから一度も最深部を目指した事が無い。
創造以前に目指した事が有るのかどうかも不明ではあるが、ルヴォルフが行かない場所に、従者である漆黒の騎士が行った事が無いのは当然だった。
ルヴォルフとの契約も消失し、縛られるものなど何も無い現在の漆黒の騎士は、洞窟内を進みながら、地竜……ガイアドラゴンという存在に思いを馳せる。
やはりドラゴンというのは非常に強力な魔獣らしい。
長い時を生き抜き成長したドラゴンは、巨大な体躯と膨大な魔力に加え、高い知性をも有し、人間との意思の疎通が可能であるらしいのだ。
この洞窟に、本当に地竜が実在しているのかどうかは分からないが、もし実在するのであれば、害意が無い事を示し、何らかの共存関係を築けないだろうか?
等と吸収した知識を用い、考えを巡らせていると……どうやら現れた様子だ。
迷路の様な洞窟内を出口を目指して進み、いくつかの開けた空間……『フロア』を越えて進んで行くと、ついにソレは現れた。
出口までもう間も無くといった所で足を踏み入れたフロアには、体長一メートル程の四足歩行生物が、唸り声を上げて待ち構えていた。
余程鼻が利くのだろう。
犬に似たその生物……魔獣『ヘルハウンド』は、この場に漆黒の騎士が現れる事を予知していたかのように群れを成してフロアの出口を陣取っている。
このフロアを通って出口を目指すのであれば戦闘は避けられないが、どうしても戦闘を避けたいのであれば手段は有った。
ルヴォルフの研究所を出た直後にローブ型の装陣器を用いてステルス・フィールドを発動し、気配を殺して進めば良いだけの事だったのだから。
だが、あえてそうしなかったのには理由が有る。
この世界において、魔獣とは非常にありふれた存在だ。
そんな魔獣が跋扈する世界を一人で旅しようとするならば、魔獣との戦闘が避けられない場面もあるかもしれない。
そうなれば、身を持って経験しておく事の方が、知識だけの経験よりも重要になるはずである。
いざという時に心構えが出来ていないのでは、動きが鈍る事も十分考えられるからだ。
そして何より、漆黒の騎士を戦いへと駆り立てるのは、魂喰らいという能力の存在だった。
もしもこの能力が、殺害した魂から魔力や知識といったモノを吸収し、我がモノとする能力であるのなら、魔獣を殺す事でも何かが得られるかもしれない。
魔獣が魔力を持った生物である以上、魂を持った生命であるのは間違い無いのだから。
そう、これは実験でもあるのだ。
漆黒の騎士は、肩に背負った頭陀袋を足元に転がすと、魔獣の群れに対して一歩を踏み出し、その剣を抜き放つ。
その身に纏う灰色のローブを、マントの如く翻して。
ありがとうございました。