準備と出発の七話
よろしくお願いします。
他には特に情報を得られなかった寝室を後にし、魔照石に照らされた通路を歩きながら、漆黒の騎士は考えを纏める。
このルヴォルフの隠れ家で、情報が得られそうな場所は全て調べ終えた訳だが、彼が目的とする帰還と再生に直接繋がる情報は得る事が出来なかった。
やはり外に出て情報を集める必要があるようだ。
「ソト……ノ、セカイ……」
この世界に関する基本的な知識は引き継いでいるが、一人で旅をするには余りに広く、厳しい世界である。
人に魔力が有るように、魔力を宿した獣等が本能のままに跋扈する、凶暴な『魔獣』として存在しているのだ。
そんなこの世界の住人にとっては、異形の漆黒の騎士となった恭司であったモノも、魔獣に等しい存在として認識される事だろう。
むしろ有象無象の魔獣よりも、人間こそが漆黒の騎士にとっての脅威に成り得るのかもしれない。
だがそれでも、今はどのような道でも進むより他に道は無いのだ。
漆黒の騎士は旅の装備を整える為、倉庫へと歩みを進めるのだった。
漆黒の騎士は寝室を出ると、エントランスを経由し倉庫へと入った。
そこには研究室と同じ程度の空間に、所狭しと武器や装陣器といた数々の道具が並べられていた。
この場に置いてある装備から、旅に必要な物を揃えて行きたい訳なのだが、実の所漆黒の騎士が旅をするのに必要な物はそう多くない。
恭司であったモノが漆黒の騎士となって最低でも一日以上の時間は経過しているはずだが、空腹は勿論、眠気も疲れも感じてはいないのだ。
漆黒の騎士には生物的な欲求というものが殆ど無く、その活動を維持するのに必要となるのは魔力と器の二つだけであり、魔力は器に宿りし魂が生み出し続け、漆黒の鎧を器足らしめている鎧内部に刻まれた魔術法陣が破損しない限り、漆黒の騎士という擬似生命体は活動状態を持続させる事が出来る。
つまり器となる漆黒の鎧を維持し続ける事が出来れば、事実上の不死であると言える訳だ。
最も、今の状態を〝生きている〟と言えればの話だが。
ともかく以上の理由から、身体一つでも旅ができる為、必要な物はそう多くは無い。
魔獣の存在が有る以上武器は必要だが、正真正銘身体の一部である腰に下げた漆黒の剣があれば問題は無い。
後は異形の姿となってしまったこの身を人の目から隠すため、全身を覆う事が出来る灰色のフード付きのローブを身に纏う。
それはルヴォルフの従者として、外に出る時に身に付けた物であり、漆黒の鎧という身体の上に纏っても、良く馴染んでいる物だ。
漆黒の騎士は、その鎧の隙間から蒼い炎の様な光が溢れ出ている為、本来ならばローブを纏った所で異様さを隠しきれる訳ではないのだが、これは闇魔術『ステルス・フィールド』の魔術法陣が刻まれた装陣器であるため、魔力を陣に注ぎ込み、術名を唱えれば、その身を素早く他者の存在から隠す事が可能となる優れ物なのだ。
他には当面の目的地となるヴァルハートへ向かう為、地図や金銭もある程度は用意しておくと何かの役に立つかもしれない。
そう考えた漆黒の騎士は、足元に石ころか何かの様に無造作に転がっている金貨や宝石を適当に集め、手近に置いて有るサンドバッグのような布製の頭陀袋に手当たり次第に放り込み、袋の口をきつく締めるのだった。
大体の準備を整え、他に何かあればと倉庫を見渡していると、いくつかの杖が、壁に立てかけられているのが目に入る。
いずれもルヴォルフの装陣器であり、奴が身に纏っていた黒いローブ型の装陣器に刻まれた、召喚魔術に対応する陣が刻まれている。
あの黒いローブがあれば、この倉庫から何時でも杖を召喚出来た訳だが、彼の遺体と共に消滅させてしまったので、今となっては持ち歩く以外にこの杖を使う術は無い。
杖の表面には召喚魔術以外にも何種類かの魔術法陣が刻まれ、どの位置に触れて魔力を流し込むかで発動させる魔術を選択出来るようだ。
大変便利ではあるのだが、闇魔術の知識をルヴォルフから吸収している漆黒の騎士は、必要となれば詠唱を持って発動する事が出来る。
研究室に残した物も含め、杖の装陣器は全て置いていく事にし、漆黒の騎士は倉庫を後にするのだった。
エントランスに戻った漆黒の騎士は、外へ出る前に今一度実験室へと向かう。
この世界における自らの始まりの場所、それをもう一度確認する為に。
死と再生の場である研究室を通り、実験室の扉を開く。
そこは石造りの小さな部屋だ。
魔力の光は消えていたが、異世界召喚を発動させた緻密にして巨大な魔術法陣が床に直接刻まれている。
失われたはずの異世界召喚を再現してみせたルヴォルフ・ファウストは、一体何の目的で岸野恭司を召喚したのか?
そんな事を考えながら刻まれた陣を観察し、改めて驚く。
この魔術法陣は、今でも魔力を注ぎ込みさえすれば異世界召喚を発動する事が出来る。
だがその要求魔力は、現在の漆黒の騎士では到底足りない量だった。
最低でも漆黒の騎士が三人は必要となるであろうその魔力量は、ルヴォルフがどれ程の魔力を保有していたのかを物語っていた。
「ル、ヴォ……ルフ……。コレ、ホド……カ……」
理解しているつもりではあったが、自らが正に千載一遇の勝機を得ていたという事実を改めて痛感させられ、漆黒の騎士は自身の力だけでこの世界を歩んでいけるのかと、一抹の不安を抱くのだった。
実験室を後にし、エントランスに戻った漆黒の騎士は、外の世界に、正に異世界へと繋がる扉の前に立つ。
このルヴォルフの隠れ家は、洞窟の一部を利用した物だ。
エントランスの外へ出れば、そこは当然洞窟になっている。
扉にはステルス・フィールドの魔術法陣が刻まれ、術者のルヴォルフと、従者である漆黒の騎士以外には認識できず、周囲と同様に洞窟の壁に見えるだろう。
本来ステルス・フィールドという魔術は、発動の際に込められた魔力量に応じて効果範囲と持続時間が変わり、決して永続的なものではない。
しかし扉に刻まれた魔術法陣の中央に施された水晶の様な鉱物、『魔石』が常に魔力を精製し続け、それを陣に供給する事によりバッテリーの様な役割を果たしている。
魔石が破壊されでもしない限り、魔術効果が持続されるのだ。
ルヴォルフの遺産は有用だが、全てを持ち運ぶ事は困難である。
再びこの場に戻る可能性を考慮し、そのまま残していく事になるが、何者かが侵入する可能性は低いだろう。
頭陀袋を左肩に背負い、漆黒の騎士は異世界への扉を開く。
ありがとうございました。