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1977年、夏(3)







きっと、今日を逃したら、もう、私たちに背を向けた岩谷には届かないのだと思う。


私だっていつかの遠い未来、あの日の出来事も、今日の岩谷も、いつか……忘れるのかもしれない。






すべては、小さな小さな出来事なのかもしれない。







でも今……彼の心の中には、まだきっと、痛みとか喜びとか、そういうのが少しくらいは、存在しているんだ。そう、信じたくて。




後悔したくなかった。


幸い、どん底を知った私はなにがあろうと、もう傷つくことはない。






気がつけば、私の足は彼のあとを追いかけていた。

心じゃなく体が。





ただ夢中で披露宴会場を飛び出す。

ただならぬ様子で出てきたパーティードレスの女。それに驚いた様子のコンシェルジュに、先ほど出ていったであろう黒い男の行方を尋ねると、エスカレーターを降りてエントランスへ向かったと教えてくれた。





今の私はさぞかしみっともないのだろうと悟りながらも

、だけど止まる気にはなれなかった。


……あのとき。


(消えなよ)


彼の言葉のままに、傷つき、彼を一人にしてきたことを今更のように後悔していた。




もし、あのとき、私が彼を離さなかったら……

……どうなっていたんだろう。





狂ったように、満点の星空には大輪の花火が色鮮やかに舞い上がっていた、あの夜。




彼は一人でなにを感じ、なにを考えて、あの風景を見つめた?










降り立ったエントランスホールには、きらびやかなシャンデリアが眩しく光り、それを大理石の床が反射させ、目が眩むような心地がした。



「岩谷!」





視線が彼をとらえると同時に、私の口は勝手に、彼を呼んでいた。


そして、彼のそばへ走りよる。



やはり、私はいつだって、どこにいてなににまぎれていたって、あの男がわかるのだ、と自嘲ぎみに思う。




近くにいたホテルの客らしき年配の女性が、私の声に振り向いた。


彼にも届いたようで、ちょうど玄関扉の取っ手を掴み、外へ出ようとしていた岩谷は、ゆったりとした調子でふりむくと、何の感情の動きも見せず気だるげに私を見つめた。








「……岩谷……」







そんな態度を見ていると、怖じ気づく自分がいた。



(お前が憎い)



やはり、幻だったのか。

さっき私の感じたものは、すべて、幻想にすぎないのかしら。


やはり彼は、本当に私が何を言おうと、感じようとどうでもいいのだ。







無表情の視線が突き刺さる。


早く意味のある言葉を発さなければ、すぐにでも、どこかへいってしまうだろうと思えた。





なにか言わなくては。繋ぎ止めなくては。



でも、……何を?





「あの……」






「……」








「……えっと」









追い詰められ、とっさに、口をついて出た言葉に、自分でも笑ってしまいそうになった。









「あの……。菜摘がね。

今週、もう一度、皆で会いたいって。


あの頃の、皆で 」





「……」







岩谷はやはり、聞いているのかいないのかわからない表情で、残酷に私を見ていた。








バカだ。


なにをいってるんだ、私は。




こんなこと……何の意味もない、こんな台詞を言ったところであいつに届くはずもないことは、他でもない私が一番よく知っていたはずじゃないか。





あまりの情けなさに、涙すら出そうになる。






「……だから…… 」






どうしたらいいんだろう。

どうしたら、この男はこっちを見る?


どうしたら……愛してくれるのかしら?






「……」







岩谷の瞳はキレイだ。




私が泣きそうなことも、


どうしていいかわからないことも、


どうして私が彼を追いかけたのかも、


……私が今、なにをおもっているのかも……




なにもかもわかっていて、それでも彼は、ただ綿埃がそこに転がっているのを見るのと同じ目で私を見ている。





それなのに……、それでもどうしてまだ、吸い込まれそうに透き通った目をしているのだろう。




いっそ、彼がうんと醜くて、豚のような体型であったなら……こんな思いはしなかったのだろうか?









「岩谷……。


どこへいくの?」






口をついたのはそんな、問い。



もう、分かっていた。いくら諦めの悪いわたしでも。

どうしても、岩谷はもう、戻ってこないのだと。




岩谷はなにも答えずに視線を落とし、ネクタイの結び目を窮屈そうに、その繊細な長い指でぐいぐいとゆるめた。





その時……エントランスの前の道路に一台の黒い車が止まった。艶々と光る高級そうな車。フロント部分には、銀のエンブレムがついている。




待ち構えていたドアマンが恭しく扉を開けると、そこから出てきたのは、派手な赤のドレスをきて、長い髪をくるくると巻いたキレイ目の、羽振りの良さそうな年配の女性だった。



そのまま扉を開けると、岩谷の前にたった。





「秋斗?」





そう呼び掛けられ、岩谷はゆっくりと背後を振り返った。




ごくり。

嫌な予感に、背中を一筋の汗がながれた。





「やっぱり、秋斗だわ。

もう、用事はいいの?

はやく家へ帰りましょう。……二人で休みたい」







彼女は気の強そうな瞳を情熱的に岩谷へ向けていた。


いくつもの大きな宝石を称えた指輪がはまった手を、岩谷のさらさらの髪に伸ばし、優しく撫で付ける。



岩谷の母親……そう言っても疑われないような年齢の人に見える。





思わずぶしつけに視線を向けていた。





ふと彼女は私の存在に気づき、それから突然、きっ、と岩谷に鋭い目を向ける。







「あの女は?」





問われた岩谷は少しの惑いもまごつきも見せず、優雅な調子で女性に微笑みかけた。






「同級生だよ」






……気づいていた。


岩谷は彼女があらわれてから、一度も、こちらを見なかった。




ふうん、と彼女は疑り深そうな目で見てきていたが、岩谷の私に向ける無機質な瞳と表情で、納得したようだった。





……間違いない。




間違いないと思った。




ただの、お金持ちそうな、オバサン。オバサンであるはずなのに。




この人の目。 これは……




女 の 目 だ 。





岩谷と女性は並んでエントランスを出る。

彼は……当たり前のように、ドアマンのエスコートのままその助手席に乗り込むと、あっという間に車は発車して、私の視界から消えた。





……しばらく、どうすることもできずに立ちすくんでいた。






「お姉さん」





一部始終、どうやらしっかりと見ていたらしい、私の声に驚いたあのおばさんが、同情の目で私を見ていた。





「可哀想だねえ。

……あの男の人、若いのに大きな店構えてる、カリスマ美容師だろう。

知ってるさ、有名だもの。」





カリスマ美容師……。



岩谷が?




胸がつっかえたように私がなにもこたえないと、おばさんは続けた。






「……あの女はね、この辺で一番の資産家の妻だよ。あんな年で色好みだって、この辺じゃもっぱらの噂だ。旦那ももう諦めていて、それをいいことに、若い男に次から次へ……金に言うこと聞かせて、手を出して。




でも最近じゃ、どうもあの美容師一人に、首ったけらしいがね。

……あれは恐ろしい男だって、いまはそれで持ちきりよ。どうやって、あの老いぼれを虜にしたのか。ほんとうに恐ろしい、〈ヒモ〉だ」





あんな男、忘れな、といって、おばさんは去っていった。









……見えない。





岩谷のことが知りたくて、知りたくて、わかりたくて。



ずっと見えなかった。





追いかけても追いかけてもだめで、諦めて。






それでまた、懲りもせず、追いかけてきたのに……今度こそ、本当に真っ暗闇だ。




岩谷……。




あんた、いったい、なにを思って生きているの?








ひとつだけわかったこと。






岩谷はやはり、恐ろしい男だった。










































































次回から、話は二人の過去へ向かいます。

暗い展開ですが、宜しければお付き合いください。

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