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1977年、夏(1)





例のごとく、長い長い考え事をしていた。






荻野(おぎの)!」






大きな声が耳元で響いて、我に返る。




生まれ育った街に帰る高速バスに、私と浩平(こうへい)はならんで座っていた。



浩平が不機嫌そうにむくれているのは、私がいつも、大学で彼が専攻しているアワビの研究をバカにしているので、今度もわざと聞こえていないふりをしていると思ったからだろう。



退屈だったわけではなかった。

長旅だけど、浩平といるのは苦痛にならない。





「あ……ごめん、アワビの話ね、途中までほんとに聞いてたわよ。

でも、ぼーっとしてしまって」




そう言うと彼は血相を変える。





「え!?

大丈夫か! 電車の乗り換え多かったし、疲れてるんじゃないのか?」




ほら、横になれと彼はあわてて膝の上を開けた。


どういう意味だろう、と少し思案する。






「……え!?

いいから、膝枕なんて気持ちが悪い」



「おい、気持ち悪いとかいうなよ!

だって、横になれた方がいいだろう? ずっと座ってたし……

心配なんだよ。



……笑うな!」






その目は、本当に嘘偽りなく、体調を心配してくれているように見える。

それがまたおかしくて、可愛らしい。





「ありがとう。

大丈夫だよ」





あんなに抵抗のあったはずの作り笑いは、東京に出てからとてもうまくできるようになった。


それでも、長い付き合いの浩平には、ほんとうか?と疑わしげな目を向けられる。





「荻野は……、体調とかわるくてもずっと一人で我慢してそうだから。いや、しっかりしてるのは荻野の良いところでもあるんだけどね?

けれど、なんか ……もっと、弱味とか見せていいんだからな」






恋人なんだから、と続けて、自分で照れ臭そうにしている。

浩平はいかにも人のよい表情で、私の頭をぽんぽんとなでた。



それには何も答えることかできず、曖昧にうなずいた。


乗り込んだのは昨日の夜で、今はもう朝だった。


窓から見える景色も、ビルばかりだったのがなんとなく懐かしい風情のある商店街の街並みに変わってきている。



遠くに海が見える。







「それにしても、菜摘(なつみ)が結婚とはね。

あんな凶暴な女、もらってくれるやつがいたんだな」



「また、そんな言い方。本人が聞いたら、浩平また、しめられるわよ」



「やめろよ。あ、想像しただけで悪寒がするな」



「あはは。

ねえ、早くおめでとうって、いってあげたいね。」



「そうだな。高校の大親友だった俺らと久々に会うんだ、喜ぶに決まってるだろう。

ゆかりも来るのか?」





確か、そう聞いたような気がする。

ゆかりは関西の大学に進んでいて、会うのは卒業以来だ。





「みんな、元気かな」



「元気だろう、あいつらなら」






ほどなくしてバスは目的地に到着し、ラフな服装だった私たちは近くのトイレで正装に着替えた。

他に着替える場所も時間もなく、苦肉の策だ。


本当は余裕をもって数日前には帰りたかったのだけれど、ぎりぎりまで浩平の、例のゼミの予定がつまっていた。



……今日は、高校からの親友の結婚式。


なんだか実感がわかない。






「お前……、キレイだな」





トイレの前でドレスで飾った私を初めて見た浩平が、ぼそりとそんなことをいうから、反応に困ってしまう。




「お世辞、下手」




浩平は、「あ……、いや」となんだか歯切れが悪い。




「ほんとだよ、お世辞じゃない」




はいはい、といなし、バスから降りた客をつかまえようと待ち構えているタクシーの一台に向かって、手をあげた。




……カチリ。




まただ。




……また、記憶のスイッチが押された音がした。





(キレイ。……荻野、本当にキレイだ)




耳鳴りがして、一瞬目の前の浩平が遠くにいるように感じる。


浩平が、すこしだけ動きを止めた私を不思議そうに見ていた。



東京に出てから思い出すことはめっきり少なくなっている記憶が、どうしてか昨日から何度も何度も、頭を(よぎ)る。













式にはなんとか間に合い――それでもかなりの滑り込みだった――わたしたちはホテルの披露宴で、美味しい料理にほうっと一息ついていた。



コレうまい、食ってみ、と笑う浩平は随分幸せそうだった。


立食形式のオードブルのまわりに、いくつかのグループができている。菜摘か、旦那さんの招待客なんだろう。


ホストのよさを象徴するように、招待客(ゲスト)の誰もが明るく笑っている。







「浩平。あんたその食い意地、全然治んないねえ」





不意に背後からおちてきた懐かしい声に、私たちは振り向く。







「菜摘!」


「久しぶり。卒業以来。 元気にしてた?」


「菜摘も……、今日は、本当におめでとう」


「ありがとう」





純白のウェディングドレスに身を包む菜摘はほんとうにキレイだった。もともときりっとした華やかな目鼻立ちをしているけど、今日はそれ以上に美しく映る。


きっと菜摘は幸せなのだ。





「今朝ついたの?

長い時間大変だったでしょ。わざわざ来てくれて、本当にありがとうね」






菜摘の言葉に、浩平が食いついた。






「そりゃあ、お前の親友としてさあ、お前をもらってくれるなんて勇敢な奴、どんなやつなのか……

一度拝んでそれから、お礼言わなきゃなあ」




にやにやとわらう浩平を、結構だよ、と冷たい目で菜摘がにらんだ。


構わず浩平は続ける。






「菜摘の旦那、いい人そうじゃない。あんなに整った顔で公務員て、よくあんな優良物件押さえたね。

脅したとかではなくて? お得意の蹴りとか入れて」





浩平……。

また、そんなこといって……。



浩平はどうしても、この菜摘に勝つまでは突っかかるのを止められないようだ。


菜摘の旦那さんがエリートの県庁勤めだと知った浩平が、若干のジェラシーを言葉に込めながら、くっくっといつもの皮肉をとばすと、菜摘は全く動じずに笑う。



ぐい、と私のむき出しの肩が彼女の手でたぐり寄せられ、菜摘の体が密着する。






「浩平は3年かけてやっと捕まえた彼女にせいぜい、愛想つかされないように頑張りな。

話しかけるのも、遊びに誘うのも、何につけてもだらだらうじうじ……。 しまいには、このまま友達でいいとか言い出して。

どんだけ私らがイライラしながら、一丸となりその背中押してやったか、忘れた訳じゃないね?」




ぐ、と浩平が顔をひきつらせたけど、それ以上に私もいたたまれなくなる。


菜摘のこの歯に衣着せぬ強さは、時が過ぎても健在らしい。





「いや……それは、おかげさまで。」



沙穂(さほ)ー、あんたこいつに変なことされたらすぐ私にいうんだよ。東京までかけつけてやるからね」






ウェディングドレスには似つかわしくない、大きな笑い声をあげた菜摘は、やっぱり菜摘のままで、ほほが緩むのを感じた。







「あ……、みんな?」






聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはゆかりが立っていた。


ひとしきり再会を喜んでから、ゆかりは、乗ってきた電車が事故で遅れ、結婚式に間に合わなかったことを何度も謝ったあと、またあえて嬉しいわ、と人懐こい笑みを浮かべた。


菜摘が、ううん、と大きく首をふる。





「全然、きにしないでよ。ゆかりもわざわざ、遠くからありがとうね。

またあえて、私も嬉しいよ」




「俺も。なんか、あの頃に戻った気分だ」





あの頃……。


私たちが、まだなんにでもなれると思えた、あの季節。







「俺ら、ずっと一緒だったもんな」





浩平のつぶやきはほんとうに過去を懐かしんでいた。


もう戻れないとわかっているものこそ、美しいと思うものだ。






「そうだね。

今思えば、無茶苦茶なことばかり、たくさんやったね。」




菜摘も、頷く。


その言葉に、数々の出来事が走馬灯のようにちらついた。たしかにあれらは、無茶苦茶だったけど……いつも楽しかった。



菜摘は旦那さんに呼ばれて、他の招待客に挨拶をしに行った。




去り際、もうしばらく滞在するか訪ねられ、私たちもゆかりも頷くと、四日後また会おうと提案され、もちろんまた頷いた。


六年ぶりの再会が、全員にそれぞれ、さまざまな思いを瑞々しく思い起こさせていた。


菜摘は新婚旅行にいかず、旦那も2日後から出張なので、暇なんだそうだ。



随分と忙しい人らしい。




私と、浩平とゆかりは残され、なんとなく無言で料理をつついていた。




それは、ふ、とゆかりの口をついて出た。







「……ねえ、岩谷くんは……

岩谷くんは、菜摘ちゃんの結婚式、来ないの?




あたしたちずっと一緒だったけど、それは、岩谷君も同じ。


岩谷くんがいなきゃ……」





……カチリ。


岩谷君、という名前を聞いただけで、手先が震えるのを感じた。






「ああ、うん、そうだよな……。

あいつ、もともとそうだったけど……、卒業してからは特に、連絡がつかなくなって。


俺、今あいつがどこで何してるのかも、知らないんだよ。東京に一度、出たのは知ってるんだけど」




浩平も困ったように頭をかく。



「そっかぁ。浩平くんもかぁ」


「俺、けっこうあいつと、仲が良いと思ってたんだけどな」




ゆかりがちらり、とこちらを見た。




「沙穂ちゃん。

沙穂ちゃんは岩谷君と、仲良かったよね。

何か聞いてないの?」





「……いや、全然……。

卒業してから、一度も話してないよ」




なんとなく語尾が弱くなるのは、ゆかりの視線がほんのすこしだけ、鈍い劣情をはらんでいるように見えたからだった。






「岩谷か……。


何してるんだろうな、あいつ」








辺りが大きな喧騒に包まれているなかで、私たちのまわりにはなんとも生ぬるい空気が漂った。












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