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まくらもり  作者: 羽月
6/10

【6】

 名越さんのアパートをちらりと見上げて、言われた通りに歩き出した。

 道の片側は金網で仕切られ、駐車場や空き地が多く、人通りはない。オレンジ色の街灯がぼんやりと道を照らし、側溝からチャラチャラと音が聞こえる。コンクリートの蓋を通り過ぎ、鉄製の網の脇を通るとき、一段と音は大きく聞こえた。生活排水だろうか、水が流れているようだ。

 進む先にはコンビニの看板が見え、その先が駅らしかった。


 いつものクセで、いろんなことを考えながら歩いた。

 インスタントラーメン、うまかったな。今度、買ってみよう。

 休日に書店を歩いたり、コーヒーショップに寄ったりするのも楽しいものだ。仕事にも慣れて余裕ができてきたし、これからは趣味のようなものを見つけるのもいいだろう。

 今日は意外な発見が多い一日だった。

 初めてあの横道も歩いたし、枕森にも行ったし。

 そういえば、枕森は、なぜ枕森という名前なのだろう。あの大きな木が、どこか枕のように見えるからだろうか。


「まっくらだからだよ」


 すぐ耳元で聞こえた声に、咄嗟に振り向いた。

 誰もいない。

 見通しのいい一本道、隠れる場所もない。

 あの、枕森で感じた気配。気のせい? けれど、でも。

 誰かがいる。すぐ、背後に。俺を見ている。

 本能が告げる。

 もう、振り向いちゃいけない。上を、みてはいけない。

 

「まあああぁぁあっくらあぁぁぁあぁあ、なんだようううう。

 キィィヒャアハハハハハアアァアァアァ」


 古い、水の臭いがした。

 生乾きの洗濯物や、藻や水草がはびこる、昏い水の臭い。

 冷たく、熱く、邪悪な者の悪意。

 足は思うように動かず、気を抜くとがくりと崩れ落ちてしまいそうだった。

 一度地面に膝をついてしまったら、きっと、立ち上がれない。

 夏の夜の生温い空気の中、もがくようにコンビニの明かりを目指した。


「いらっしゃいませ」


 コンビニの店内にはいると、じん、と、何かがほぐれる気がした。もう大丈夫だと思うと、抑えようとしても涙が溢れてきた。

 なんなんだ。いったい、なんだったんだ。

 少し気分を落ち着けて、飲み物と菓子でも買い、急いで帰ろう。

 泣いているのを店員に気取られたくなくて、窓際の雑誌コーナーの前に立った。

 なんとなく、雑誌のタイトルを目で追いながらゆっくりと呼吸をした。

 コンビニの明かりは、店舗の前を照らしていた。

 ガラス窓の向こう、駐車場のアスファルト。

 誰かが立っている。

 黒く長い髪、紺色のハイソックス、黒のローファー。

 ひざ上のプリーツスカートの、制服姿。

 体が、動かない。目が逸らせない。

 彼女の口元が、すうっと上がる。その姿の向こうに、さらに先の景色が見えた。

 透き通っている? なんで?

 違う。

 映っているんだ。

 窓の向こうに立っているんじゃない。立っているのは、俺のすぐ後ろ。コンビニ内の通路はそう広くはなく、一歩でも下がれば、棚があるはずの。

 首に、息がかかった。甘い、合成甘味料と香料の香り。

 ふふ、と、声がした。黒い、ガラス窓の中の彼女もまた笑っている。

 弾かれるように走った。

 体当たりをするようにドアを押し開け、コンビニを出て闇雲に走った。

 すぐに、名越さんのアパートが迫ってきた。さっき、出たばかりのドアを、力任せに叩いた。

 怖い。

 まだ、いる。俺を、見ている。

 だれか。だれか。

 安普請のドアがすぐに開いて、目を見開いた名越さんの姿を見た途端、声をあげて泣き出してしまった。


 名越さんは、何も聞こうとはせず、泊まっていけ、とだけいって、布団を用意してくれた。何も話す気にはなれなかったから、ありがたかった。

 風呂は? と、聞いてくれたが、とてもじゃないが、一人になって風呂に入るのは無理だった。じっとりと汗をかいていて、布団や、貸してくれたTシャツを汚してしまうだろうという懸念はあったが、そんなことに構う余裕なんてなかった。礼もそこそこに着替えて、暑かったけれど布団をかぶり、声を殺してまた、泣いた。


 名越さんに起こされて、目を開けると朝だった。いつの間にか眠ってしまっていた。

 朝風呂を借り、朝食を用意してもらい、やっぱり無言のまま、一緒に営業所まで歩いた。


 朝の光の中では、全てがばかばかしく思えた。

 昨夜の出来事さえ、本当の事だったのか、確証が持てない。

 むしろ、本当に起こった事だったとして、だからなんだ、くらいに気が大きくなっていた。名越さんに対する気まずさや申し訳なさ、大きな借りを作ってしまった負い目のようなものもあったし。

 その日のシフトに、枕森前経由の路線がなかった事には、心底ほっとしたけれど。




                 挿絵(By みてみん)

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