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まくらもり  作者: 羽月
3/10

【3】

「回数券を、ください」


 あの女子高生がまた、そういって俺に話しかけた。

 彼女の手に乗せられている数枚の硬貨に、一瞬ぎょっとしてしまった。

 どんな保管をしていたのか、もしくは、どこかで拾い集めてきたのか、やっと文字が読める程度に変色しているものも多く、泥とも、古い落ち葉ともつかないこげ茶色の何かがこびり付いている。

 前回は確か、普通の千円札だったはずだが。

 まあ、しかし、汚れていても金には違いない。断ることもできず、指定された金額の回数券の冊子を渡しながら、ふと思いついた事を言葉にした。


「定期券を購入した方が、いいんじゃない?」


 俺が知る限り、ほぼ毎日この路線のバスを利用しているようだし、学生ならなおの事、割引の大きな定期券の方がずっと得だ。わざわざ定額の料金を、回数券で支払う必要もない。


「定期券を買っちゃったら――でしょう?

 でも、運転手さんのおうちまでって定期券があるのなら、買っちゃおうかな」


 以前と同じ笑みで、彼女はそう言った。

 確かに日本語で何かを言ったはずなのに、理由の部分がうまく聞き取れなかった。妙に大人びて、どこか媚びるような笑みに咄嗟に返す言葉をなくしている間に、ローファーの靴底をこつこつ鳴らしながら通路を歩き、路肩側、前から3番目の席に着く。

 まったく。

 最近の女子高生は、大人をからかうのになんの躊躇いも見せない。

 言われっぱなしも癪に障るが、いつまでもバスを停めておくわけにはいかない。すぐに発車の操作をした。


 ― ◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆ ―


 今日も夕暮れの6番路線を走る。混雑し始めた街道を、漫然と。

 そして、唐突に我に返る。

 また、あの運転手だ。

 他社のバスの運転席から、対向車線の俺に手を挙げる。

 実際目にするまで、すっかり意識にはなくて、手を挙げ返すどころか、顔を確認する間もなく、バスのリアウインドウは遠ざかっていく。

 

 二度目、ということは。

 湯船に浸かっていると、だいたい、どうでもいい事を延々と考えてしまう。

 その日は風呂から出て、脱衣所で下着をつけ、髪を乾かしている間まで思考は続いていた。

 偶然、うっかり挨拶をしてしまった? 二度も? ドジなヤツなんだろうか。もしくは、知り合いと勘違いしている、とか。もしかして、実は、知り合い? いや、同じ会社ならまだしも、この業界に、知り合いはいない。ここは、俺の地元でもないし。うちのバス会社から転職した、とか。俺が入社した後に辞めた人がいたのだとしたら、可能性はある。けれど、そんな人、いたっけ。

 俺が入社してから、辞めていった人、といえば。

 背筋が、ぞくりと冷たくなった。

 あの手の挙げ方には、覚えがある気がする。一瞬だけみえた、痩せた顎の輪郭も。

 まさか。

 自分の手を見下ろしたとき、視界ギリギリの鏡の中に、何か、黒いモノが映り込んでいるのに気付いた。

 ばっと顔を上げ、正面から見たけれど。

 そこに映っていたのは、いつもの景色。驚きに目を見開き、蛍光灯の光の中、青白い顔をした、濡れたままの髪の自分の姿だけ。

 疲れて、いるのかもしれない。

 一人暮らしのアパートの脱衣所に、俺以外の誰かがいるはずなんて、ない。


 ― ◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆ ― ◆ ―


「深沢さんって、なんで辞めちゃったんですか」


 勤務前、営業所で雑談をしていた先輩に聞いてみると、年配の二人は、ぎょっとしたように口をつぐみ、俺を見て、視線を逸らした。


「一身上の都合、だよ」


「病気とかですか」


「プライベートな事だから」


「どこか、引っ越したんですか。もしかして、他のバス会社に、転職とか」


「そんなことを聞いて、どうするんだ」


 背後から掛けられた、嘲笑を含んだ声に振り向いた。バカにしたように口の端を釣り上げた名越さん。


「他人の事をあれこれ詮索する前に、道の一本も覚えたらどうだ?

 それとも、他に条件のいい会社があったら、転職希望か?

 なんなら、こんな仕事辞めて、探偵にでもなるか? ああ?」

 

 なんの挨拶もなく、事情も知らされず、いきなりいなくなった同僚を気にするのは、そんなにおかしいか? なぜ、俺が辞める話にまでなる? むっとしたが、他の誰も、俺の質問には答えたくないらしいことは察しがついていた。話を切り上げるしかなかった。




                 挿絵(By みてみん)

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