第二章 王子と黒犬と不良騎士 その一
その日は、まるであたり一面が燃えているような、赤い夕陽の夕方だった。
赤く染め上げられた道を太陽に背中を向け、彼は学院からとある場所を目指していた。貴族達が住まう邸宅街。彼も貴族だったが、騎士家の生まれの為か生粋の貴族達には余りいい顔をされなかった。
彼らにとってオルディス家は、剣を振うしか能がないと思われているのだ。事実、自分たちは剣を振うことしかできない。だがその力により国を守っているという誇りがあり、なにを言われようと気にも留めなかった。オルディス家は国の剣であり、守りの盾。一度戦場を駆けるなら敗北は許されない。それが彼らの存在意義だからだ。
馴染みある邸宅に彼は踏み込んだ。その家の家令に咎められたが彼は意にも留めず、階段を駆け上がり目的の場所へと向かう。
ある一室の扉を開けるとそこには複数の人間たちが沈痛な面持ちでいた。だが彼の求める人は、とても安らかな顔でベッドの上にいた。
「なんで……」
彼の呟きに誰も答える者はいない。また彼も求めていなかった。
ただベッドの上で眠っているようしか見えない婚約者に、彼はただ同じ言葉繰り返すしかなかった。
「なんでだッ!!」
オクタヴィアンの悲鳴に、彼の婚約者は答えることも、二度と目を覚ますこともなかった。
オクタヴィアンは見慣れた天井を見上げていた。部屋の中が蒸し暑く、寝間着代わりの簡素な服は汗で湿っていて、不快数を跳ね上げている。
「……またかよ。」
起き上がり右手で目じりを抑えると、そのまま額についた髪を手櫛で掻き上げた。
寝苦しい暑い夜は、いつもあの夢を見る。あの日も暑い日だったからだろう。
今でも鮮明に記憶している二年前の光景は、年月を重ねても色褪せることなかった。むしろ時を重ねる事により鮮やかに記憶に刻まれ、脳裏から離れることはない。さらにあの時の感情が、焼き鏝を押し付けられているように、夢見る度に彼に痛みを覚えさせる。
ベッドから起き上がり窓を開け放つ。日が出たばかりだろう、外は薄暗かった。
今日から王城へと出向することとなっている。原因は先日届いた正式な任命通達だった。
『オクタヴィアン・オルディスをグレイシス王国第七王子ハーシェリク・グレイシスの筆頭騎士として任命する。
グレイシス王国第二十三代国王 ソルイエ・グレイシス』
上質紙には特殊なインクで、王直々に書かれた流麗な文字で書かれていた。このインクで書かれた文字は年月が経っても色あせることはなく、署名の後に押された玉璽による押印も同様である。
「俺が筆頭騎士?」
オクタヴィアンは思わず任命書を二度見したが、見間違えではなかった。
その任命書は机の上に、昨日寝る前と同様放置してあった。
オクタヴィアンは一瞬書類を見て、昨日のことを思い出しオクタヴィアンは舌打ちをする。
彼にとって騎士など、特に王族の筆頭騎士などなりたくなかった。昔は憧れていたし目標でもあったが、今は当時の自分を殴りたいくらいだ。
だがここで自分が駄々をこねれば、それは一族郎党にも責が及ぶ。父は引退したからまだいい。
だが兄達は確実に上層部から目をつけられ出世の道を絶たれるだろう。そんなことに拘る兄達ではなかったが、それでも家族に迷惑をかけるわけにはいかなかった。
オクタヴィアンは汗の染みついた服を脱ぎ棄てる。これから日課の鍛錬を始めるのだ。記憶がある幼い頃からやっていた鍛錬は、すでに生活の一部となっていた為、やらないと一日逆に体調が悪くなる。
着替えを済ませ愛用の剣を握り彼は自室を出る。
「王族の騎士なんて、やってられるか……」
吐き捨てるような言葉は誰にも聞かれず、もちろん誰にも咎められず、朝の空気に溶けて消えた。
オクタヴィアンは日課の鍛錬を終え、自室でシャワーを浴び着替えると食堂に向かう。既に武者修行に出ている姉を除き、家族全員が席についていた。
彼が席につくと朝食が一斉に食卓へ運ばれる。この家では事情がない限り、朝食は家族全員でという決まりがあった。
「オクタ兄様、本日から王城へ行かれるのですか?」
そう会話を切り出したのは、末の妹だ。十六歳となった妹は、社交場で王家の方々を拝見してからというもの王家の虜となっている。
純粋に憧れている彼女にオクタヴィアンは少々苦い思いをするが、妹には関係がないことなので、それは顔に出さなかった。
「ああ、今日は手続きとかやって、午後には殿下の所にいく手はずになっているよ。」
「殿下……!」
オクタヴィアンの言葉にうっとりと目を細めるその様は、まるで恋をしているようだ。
「ハーシェリク殿下はお母様に似て、素晴らしい金髪だと伺っております。学院ではまだ人気が低いですが……」
「そうか。」
オクタヴィアンは少々投げやりな返答となった。
王家の方々は漏れず皆の容姿が優れている。その筆頭であるグレイシス王国国王のソルイエは、今年で齢四十だというのに外見だけなら二十代で通用するほどだ。
月の光を集めたようなプラチナブロンドに碧眼という容姿は、女性は誰でもうっとりとするだろう。その王の子息子女達は、漏れなく多種多様の美男美少女だった。そんな王家の方々は貴族の子息令嬢達には憧れの的なのだ。
(確かに人気はすごかったな。)
オクタヴィアンが学院に在籍した時は、第一王子から第六王子まで全員が学院に在籍をしていた。
彼らが移動の為に歩き出せば女生徒が、母鳥を追う雛のように後をついて回る。また自分のお気に入り王子同士で派閥ができ、派閥同士の争いはなかなかの見応えがあった。
ただ一度陰険なやり取りになった時、第一王子の憂い顔と第二王子の冷淡な対応に女生徒達は反省し、その後の対立は「いかに自分の王子様が素敵か」を論争するという他人には無害だが、王子達にはたぶん多大な精神的被害を追わせる抗争となった。
今でもその派閥は学院に根付いていて、妹は第一王子の派閥に入っているらしい。
「ハーシェリク殿下は人気がないのか?」
ふと面接の時の王子を思い出す。さらさらの金髪に、父親と同じ碧眼を持つ彼は、彼女達が好む正統派な王子様だろう。
「その、ハーシェリク殿下はまだ幼いですし……他の方々と比べると……」
申し訳なさそうにいう妹に、彼は納得する。第七王子は一般人から見ると確かに美少年だ。だが、王家の方々と並んだ場合、どうしても見劣りしてしまう。
華がないといえばそれまでだが、周りのレベルが高いとおのずと下になってしまう第七王子にオクタヴィアンは少し同情する。
「お前達、いい加減おしゃべりはやめて食事を片づけなさい。それに殿下に対して不敬だ。」
父親の言葉にオクタヴィアンは急いで食事を進める。すでに両親と兄二人は食事を終わらせていた。
「だが父上、確かに第七王子はぱっとしないと城内でも評判です。」
そう言いだしたのは長兄である。自分より四つ上の長兄は、すでに騎士団で隊長を任せられていた。
「外見もそうですけど、殿下は運動もからっきしですし、魔法もだめだと聞いています。」
「あ、それ僕も聞いたことある。」
そう答えたのは食後のお茶をすする次兄だ。オクタヴィアンより二つ上の兄も、先日の魔物討伐にて優秀な戦果を挙げてきている。
「あの鬼教官が直々に指導しているのに、全然成果でないと嘆いていた。」
鬼教官というのは面接にきていたあの教官だろうとオクタヴィアンはあたりを付ける。確かに王子が先生と言っているのを聞いた。
「そんな才能がない王子だから、王も心配になって筆頭騎士を付けることにしたんでしょう?」
本来、筆頭騎士とはハーシェリクほど幼い時に決めることは滅多にない。筆頭とつく者達はその王族の腹心と同義。幼すぎるハーシェリクに、筆頭騎士どころか筆頭執事がいるのもおかしいのだ。
「まあ陛下はハーシェリク殿下が一番下でかわいいから、優遇しているんじゃないかなぁ。ほら末っ子が一番かわいいっていうし。ね、父上。」
「お父様ほんと?」
食事を中断して妹が父を見る。その眼差しはとても期待に満ちていた。
「お父様は、みんなかわいいのですよ。早く食事をしなさい。」
返答に困った父に母が助け舟を出す。妹は慌てて食事を再開した。
「で、話は戻しますが、そんなぱっとしない末の第七王子殿下の筆頭執事が、あんなに強いなんて誰も思わないじゃないですよ。」
強き者は強き者を求め惹かれる。歴代の王の中で今でも、語り継がれるような王達の腹心達は例に漏れず偉人が多かった。今も王の英雄譚と共に語られる物語には、彼らの物語も数多く存在する。
「だよねーオクタが本気で相手するなんて、久々に見たもん。僕達にさえ手を抜くのにさ。」
オクタヴィアンは睨む次兄の視線を、茶を啜って回避する。
「ということで俺達はあの筆頭執事と手合せしたい。よろしく頼む。」
「なにがよろしくだ、嫌だよ。」
(まったくこの家族は普段は普通なのに、戦いに関しては目がない。)
それは自分も含めてだ、とオクタヴィアンは思う。結局模擬戦では相手にいいように乗せられてしまったのだ。
視線を動かすと父もなんだかそわそわして落ち着かないのは、兄達の話を聞いて自分も戦いたくなったに違いない。なんという戦闘狂いの男衆だろう。
「では、俺はそろそろ出かけますので……」
「お待ちなさい。」
席を立ったオクタヴィアンに母親が声をかける。
「オクタヴィアン、その恰好で出かけるつもり?」
「? ええ、そうですが……」
母親は優しい。だがなぜかオクタヴィアンを含め、家族は母親の前だと敬語になってしまう。
オクタヴィアンは再度自分の恰好を見直す。さほど問題がある格好とは思えなかった。というか兄達の出勤時の恰好と変わらない。
すくりと母が席から立ち上がる。そしてにっこりと微笑んだ。
「いいですか、貴方はハーシェリク殿下の筆頭騎士となったのです。はっきり言って隠居したお父様や騎士団所属の兄達より地位は上なのですよ。つまりオルディス家の顔です。」
母の言葉にオクタヴィアンは父と兄達を見る。皆が頷いている状態に焦る。というか家督を受け継ぐ長兄はそれでいいのか。
「初日からそんな恰好は、わたくしが許しません。」
そう言い切った母親に、引きずられオクタヴィアンは自室に逆戻りをした。そして三十分後には、出かけてもいないのにくたくたとなったオクタヴィアンが家を後にする。
彼はすれ違った女性達皆が振り返るほどの貴公子の出で立ちだったが、本人は久々の恰好に疲れた表情を隠そうともしなかった。