終 章 転生王子と黄昏の騎士
武闘大会を終えた数日後、ハーシェリクはオランと共に城下町を抜け、王都が一望できる丘へとやってきていた。
すでに夕日が沈みかけ、オランの髪のような光が、王都を包んでいる。
「綺麗!」
オランに助けを借りて馬から降りたハーシェは、その光景に感嘆を漏らした。
「オラン、連れてきてくれてありがとう!」
夕日を背中に浴びハーシェリクは微笑む。その様子にオランは目を細めた。
『オクタ、連れてきてくれてありがとう。』
そう微笑む婚約者にハーシェリクが重なった。
「ここは彼女とよく来ていたんだ……王子、孤児院の件、ありがとう。」
ハーシェリクをこの大切で特別な場所に連れてきたのは、お礼を言いたかったからだ。
アルミン男爵が死に、孤児院の運営について問題が起こった。誰もがお荷物である孤児院を助ける事に難色を示したからだ。
そこでハーシェリクはオランの父であるオルディス侯爵家に依頼をしたのである。
「別に、私は大したことしてないよ。」
そう言いハーシェリクはオランから視線を外し、王都を見下ろす。
「オランが勝ってくれて本当によかった、これで孤児院は当分の間大丈夫。」
オランに黙って賭けて手に入れた金は、全て孤児院の運用資金に充てられた。そのお金がなかったとしても、ハーシェリクはどうにかして……主に孤児院の金を流用していた輩を締め上げて工面する予定だったが、お金はあるに越したことはない。ちなみにマルクスに借りた金も、彼が他に使う当てがないからとそのまま寄付してくれたのである。
孤児院の管理はオルディス侯爵家がする為、誰も手が出せない。烈火の将軍に喧嘩をうる者などいないのだ。下手に手を出すと物理的に痛い目をみるということだった。
引退をして暇を持て余していたオルディス将軍は、返事一つで請け負ってくれた。
曰く、「立派な騎士達に育てあげてみせますぞ! 妻も一緒に勉学も教えます、お任せください!」と張り切っていたそうだ。
ちょっとハーシェリクが考えたものとちがうような気もするが、引き受けてくれて助かった。それに手に職をつけることは、孤児たちの将来も安泰というものである。騎士ではなくても知識は将来彼らの役に立つはずだ。
――後に『アルミン義塾』と名付けられた孤児院は、多くの騎士や役人等々排出する義塾となるのだが、それは何年も後のことである。
夕日に照られて橙色に染まる王都を眺めながらハーシェリクは言葉を続ける。
「ずっとじゃないけど、それまでに国の体制を変えて、しっかり補助できるようにしないとね。……ねえオラン。」
今ここにはクロはいない。ついていくといった彼を、ハーシェリクが止めたのだ。オランと二人っきりで話すことがあったのだ。
「前にオランが筆頭騎士にしたのかって聞いたよね。」
「ああ、王子はあの時答えてくれなかったけどな。」
その答えにハーシェリクは背を向けたまま言葉を続ける。
「オランジュ、私は命令を聞くだけの騎士なんていらない。」
だからハーシェリクはオランを選んだのだ。
「私には、私が誤った判断をした時に、止めてくれる騎士が必要なんだ。」
面接の時、思ったのだ。彼は選ばれるのではなく選ぶ側。自分の主を自ら選ぶ騎士なのだと。
自分の忠誠に足る主君に仕える騎士なのだと。
すでに遠くなってしまった前世の記憶。
ハーシェリクの前世である早川涼子の同僚には、同期では一番出世した男性社員がいた。
彼はその人柄で客だけでなく、同僚や後輩、上司達からも信頼が厚かった。とても頼られ同期の中でリーダー、主任、そして支店長と会社で一番早い出世をしていった。
だが、支店長になってから彼は変わってしまった。久々にあった彼は、温和な表情はなくなり、眼光が鋭くなっていた。彼の支店は評判も悪くなり業績が悪化した。涼子は彼が心配になりこっそりとそこの事務員に連絡を取ってみたのだ。
支店のベテラン事務員は事情を話してくれた。彼は支店長になってから変わってしまった。真面目な性格が災いしなんでも完璧にこなそうとした。それ自体悪いことではない。だが彼は支店員たちにも完璧であることを強いた。
少しのミスも許さずミスがあれば声を荒げる。それが社員間の軋轢となり、店の雰囲気が客に伝わり売り上げが下がった。
涼子が心配し話しかけても、彼から返事はなかった。その時は既に時遅く、結局彼は数か月後体調を崩し支店長は降格、そのまま退職をしていった。
ベテラン事務員は言っていた。誰も彼を諌めなかったし、話を聞こうともしなかったと。誰かが彼の話を真摯に聞き、社員の橋渡しとなっていれば、防げた事態だった。
人は環境の変化や経験、立場で変わってしまう。それが望まない変化だったとしてもだ。
前世や転生した後で読んだ歴史書、物語にも心変わりし国を傾けた為政者の存在は多くいる。それは自分だって例外ではない。
「私は自分が完璧じゃないと解っている。だから間違っていた時、止めてくれる存在が必要なんだ。」
「……黒犬がいるだろう。」
オランの言葉にハーシェリクはクロを思い浮かべる。
「クロは私の側にいてくれる。私も望んだから。でもクロは絶対私を止めない。」
クロは元雇われ密偵だ。今は彼が進んで自分の側にいてくれるが、それは国の為ではない。
「クロはきっと私が望めば、どんな悪いこともしてくれる。彼は私が間違っていても止めない。」
理由はない。クロに正しいや間違いは関係ない。主が望むか望まないか、それだけだ。
「オランジュ、私は時々自分が怖くなるんだ。」
それが自分の中にある暗い感情だとハーシェリクは解った。体の芯から冷えていくような暗く冷たい感情。それは自分の中に確かに存在した。
アルミン男爵のように間違ってしまう可能性だってある。孤児院で自分に怒りを向けたリックのように、大切な者を奪われれば彼の様に相手を憎むこともあるだろう。そうなった時、自分は立場も理想も志も忘れ、クロを利用し相手を殺せと命令するかもしれない。
「だから私にはクロよりも強い、クロを止める事できる騎士が必要。」
本気になったクロを止めることができ、かつ主を止めることができる騎士が必要だった。
「オランジュ、私は貴方に大きな期待をしている。私の理想の騎士はオランジュしかいない。」
ハーシェリクは振り返る。真正面からオランを見た。
「オランジュ、断っても責めはしない……私の騎士になってくれませんか?」
オランはハーシェリクの真摯な視線を真っ向から受け止める。
王子は将来起こりうるかもしれない事態に危惧しているのだ。自分が完ぺきではない人間だと理解しているからこそ、自分に対して策を練る。
それと同時に王子は自分に絶対の信頼を預けると宣言していた。思えば王子は、出会った当初から自分を心底信頼していた。
ここで自分が首を横に振ったとしても、王子は言葉通り責めはしないだろう。
命令すればいいのに、王子は必要最低限しかその権力を行使しようとしない。それは彼の思いやりであり、命令では人の気持ちまで左右できないと知っているからだ。
ふとオランは気が付いた。自分の中に断るという選択肢がないことを。
(ああ、そうか。)
オランは得心がいった。だからハーシェリクに歩み寄り、自分の剣を鞘に入ったまま彼に差し出す。
「ハーシェ、これを。」
初めて名前を呼ばれ、ハーシェリクは目を見開く。そして差し出された剣を反射的に受け取った。
(俺は、ずっと探していたんだ。)
オランはその場で膝を付き、胸に手をあて頭を垂れる。
(自分の忠誠を、命を捧げたい主を。)
まるで今まで空いていた胸の空洞が埋まっていくような感覚だった。だからこの言葉も自然と口にすることができた。
「我が君、我が身は御身の敵を切り裂く剣であり、御身の凶刃から守る盾であり、御身を支える杖。」
オランは頭を上げ、主であるハーシェリクを真っ直ぐと見つめる。
「我が君の望みなら、汚名を被ることとなっても、人々に罵られようとも、この命に代えましてもその志をお守ります……どうか、お許し下さい。」
オランの誓約の言葉に、ハーシェリクは瞳を閉じる。そして再度彼の瞳を見据えた。
「オランジュ、許可します。決してその言葉を違えてはいけません。いざという時は、この剣で私を斬り捨てなさい。」
ハーシェリクはそう言い受け取った剣を差し出す。オランはそれを恭しく受け取った。
「……我が君、それは難しいかと。」
「え?」
筆頭騎士の言葉にハーシェリクが疑問符を浮かべる。そんなハーシェリクにオランはにやりと笑ってみせた。
「俺と黒犬が、ハーシェをそんな事態にさせないからな。」
ハーシェリクは一瞬呆ける。だが言葉を理解した時、王子は極上の微笑みを浮かべたのだった。
後世、吟遊詩人たちが語り継ぐ唄の中で、グレイシス王国の第七王子の物語は人気が高い。もちろん彼に仕えた腹心達の物語も子供達が憧れる物語の一つだ。
その中で特に少年達に人気なのが『黄昏の騎士』の物語である。
最強ともいわれる黄昏の騎士は、鮮やかな夕焼け……黄昏のような髪を靡かせ、数多の戦場を駆け数々の武勇伝を作った。
だが黄昏の騎士が人気なのはその強さだけではない。黄昏の騎士は主を選ぶ。王家の子供達は黄昏の騎士に選ばれるような者となれと言われ、騎士を目指す子供は黄昏の騎士のように主を選ぶ騎士となれと言われる。
それは一見、黄昏の騎士を称賛しているように聞こえる。だが、彼の仕えた主は生涯ただ一人であり、彼の誉は全て主の為にある。
黄昏の騎士の主君はただ一人、グレイシス王国第七王子ハーシェリク・グレイシスのみである。
黄昏の騎士編、これにて終幕です。
ここまでのお付き合いありがとうございました。
またお気に入り登録、評価についても重ね重ねありがとうございました。
これにて黄昏の騎士編は終わりですが、まだまだハーシェリクの物語は続きます。
今回で大臣一派とは別に暗躍する者もでてきました。ハーシェリク、クロやオラン、彼らの周りの人間たちがどういう物語を紡いでいくか、楽しみに待って頂けると幸いです。
次回作は仕事が多忙の関係で、いつになるかはわかりませんが、マイペースに書いていく予定です。
憂いの大国編と共に修正・加筆は随時やっていく予定です。誤字については生暖かくスルーしといてください。
それではまた続編にてお会いできますことを願いつつ、
ここまで応援してくださった皆様、楽しんでくださった皆様、本当にありがとうございました。
追記:完結作品のみ感想を受付することにしました。感想を書いて頂ける方は、まずマイページのお願いを一読お願いします。
2014/3/21 楠 のびる
2014/9/1 追記




