第九章 閑話 国王と元将軍と魔女 その三
ソルイエは静まり返った外宮に訪れていた。ローランドが退出した時はすでに深夜を回っていたが、後宮に戻る前にふと末の王子に会いたくなったのだ。すでにこの時間では眠っているだろうが、顔だけでも眺めようと訪れたのである。
階段を上り、灯りが消され闇が支配した三階にたどり着くと、動く影があった。
「……誰だ?」
ソルイエはいつでも魔法を使えるよう備えつつ、影に言葉を投げる。ここは王族と許された者のみが踏み入れられる居城。だが招かざる客も踏み入れる事があるのだ。
「! 陛下、失礼しました。」
それは若い青年の声だった。傍に用意してあったであろうランプを灯すと、顔が照らされる。
「オクタヴィアン君、だったね。」
ランプの仄かな光に照らされた末の王子の筆頭騎士がいた。彼の勤務は昼であり、夜勤は通常時はないはずだ。だがソルイエはそこにはあえて触れず、外宮を訪れた目的を伝えることとする。
「ハーシェに会いに来たんだ。もう寝ているだろうけど、顔だけでも眺めようと思ってね。」
微笑む王とは対照的に、筆頭騎士であり王子からオランと呼ばれている青年は、困った表情を浮かべる。
「王子は、えーと……」
「ハーシェがどうかしたのかい……なにかあったのか?」
視線を泳がす彼に、王は鋭い視線と言葉を投げる。オランはその視線と言葉に諦めたように首を振った。
「しょうがないよな……陛下、こちらへどうぞ。」
オランはそう自分に言い訳をし、先導し歩き出す。少し行くともう一人の青年が待っていた。
「おい、阿呆騎士。主があれほど頼んでいたのに、陛下をお連れするとは本当に阿呆なんですか。」
開口一番、そう言い放ったのは筆頭執事であるシュヴァルツことクロである。ランプに照らされた彼は微笑んでいたが、それが作られた笑顔だと接点の少ない王でもわかった。
微妙に敬語なのは自分がいるからだろうとソルイエはあたりをつける。
「阿呆騎士って、おまえ俺のことなんだと思っているんだよ。」
「筋肉馬鹿。」
「おまえもさほどかわらないだろう!」
うっかり大声を出してしまい、オランは慌てて自分の口を押える。
「……だが王子は子供だ。父親が傍にいるほうがいいだろう。」
そういうオランにクロはため息を漏らす。
「だが、望んでいない。」
きっぱりと言い切る執事に、騎士はため息を漏らす。
(黒犬のヤツ、王子の事になると梃子でも動かないな。)
「そろそろどういうことか説明してもらいたいな。」
ソルイエが二人の会話に割って入る。このままではいつまでたってもハーシェリクの元にいけない気がしたからだ。
「黒犬、王子は寝ているからわからないだろうしいいだろう? ここまで来て隠しているほうが王子の為にならないと俺は思うが。」
オランの言葉にクロは数拍考え、仕方ないという風に肩を竦めた。そして王に向き合う。
「陛下、失礼しました。現在、主はお休みになられています。」
「遅いからそうだろうね。他には?」
ソルイエが先を促す。ただ休んでいるだけなら、彼らはためらったりはしないだろうと予想がついたからだ。
「……主は今、高熱による体調不良で苦しまれています。」
「熱、だと?」
ソルイエの脳裏に王族にだけかかったあの病、最初の娘の命を奪った病が過る。血の気が音を立てて引いていくのがわかった。ランプの明かりではわからないだろうが、自分の顔色は真っ青だろう。
「……容体は?」
やっとでた王の短い言葉に、クロが口を開く。
「段々と回復しております。医師は疲れの蓄積と季節の変わり目の温度の差で、体調を崩したのではいう見立てでした。」
「王子が陛下には絶対伝えないでほしいと言われた為、報告はしませんでした。申し訳ありません。」
クロに続き、オランが答え頭を下げる。
なぜ、ハーシェリクが自分には伝えないで欲しいと言ったのか、ソルイエは簡単に解った。ハーシェリクはソルイエが弱くなってしまったきっかけを知っている。だから自分の病気だと知れば、必要以上に心配し心労を貯めるだろう思ったからだろう。
「……ハーシェに会ってもいいかな?」
その言葉に執事は無言で道を開ける。彼の隣をすり抜け、ソルイエはハーシェリクの元へと向かった。
王の背中を見送り、クロは深いため息を漏らしオランを睨みつける。その視線を受けオランは肩を竦めた。
「仕方ないだろう。ここで追い返すなんてこと俺にはできねーよ。」
「なんの為にいるんだよ、不良騎士。」
「王子の警護の為だよ。陛下を追い返すのは俺の任務外だね。」
オランは佩いている剣を触りつつ答える。本来、夜は彼の勤務外だ。ハーシェリクにも夜には自宅へ戻ったらと言われていたが、オランは自らここにて夜の警護している。
理由は二つ。
一つ目は、クロが寝込んでいるハーシェリクの看病の為、警護が手薄になってしまうということ。ここは王族の居城だが絶対安全とは言えないからだ。
二つ目は、薬の事件でハーシェリクが目撃したという者が襲撃してくる可能性があるかだ。
執事曰く、自分でもこの居城に気づかれずに侵入はできる。自分と同等かそれ以上の実力を持つ密偵なら侵入してきてもおかしくない、ということだった。
だからオランは自分から警護をかってでたのである。少なくともハーシェリクの体調が完全に回復するまでは、夜間の警護も継続する。
「お前こそ陛下に黙っていることあるだろ? 王子が寝込んだの、今回が初めてじゃない。」
昼間、診察に来た医師がそうため息をともにこぼした言葉を、オランは聞き逃さなかった。
もともとハーシェリクは、同年齢の子供達と比べると小柄で華奢だ。病弱ではないが、その風貌から儚い印象を与える。
医師から聞いた話では、母親も病弱ではないが生来体が丈夫ではなく、ハーシェリクを生んだ後、帰らぬ人となった。
ハーシェリクもどうやら母親に似てしまったらしい。本人は鍛える気はあるが、体がついていかないのだ。
「聞かれなかったからな。」
心配するオランにクロがしれっと答える。
オランの言うとおりハーシェリクが倒れたのは初めてではない。
病気ではない。ある日突然、張り詰めた糸が切れたようにハーシェリクは寝込む。まるで貯めていた力が切れるかのように。それでも数日休めば回復するので、単なる疲れだろうとはクロは思うが……
「そういえば不良騎士。お前に話がある。」
「え、なんだよ。つか不良なのか阿呆なのかどっちだ、黒犬。」
「筋肉騎士でもいいが?」
そうクロは言いつつ今後のことについて、オランに話という名の説教が始まったのだった。
ソルイエは音をたてないように末の王子の寝室に入る。暗い部屋の中、部屋の主の浅い呼吸だけが響いていた。
王はそっとベッドに近づき覗き込むと、そこにはハーシェリクが苦しそうな顔で眠っていた。そっと額に手を置くと執事の言うとおり熱がある。ただ自分の手が冷たいのか、ハーシェリクの浅い呼吸が少し楽になったように思えた。
そのまま汗でべっとりなってしまっている金髪の頭を撫でる。
(この子ばかりに苦労をかける……)
必ず守ろうと思っていたのに、逆に守られている立場となってしまった自分が不甲斐なく感じる。
「……さい。」
微かな声が聞こえた。
「ハーシェ?」
「……ごめん、なさい。」
ハーシェリクは謝罪の言葉を口にする。だが彼が目を開ける様子はないから寝言なのであろう。
ハーシェリクはうわ言を繰り返し、閉じられた瞳から一筋の涙が流れる。
「また守れ……なさい……。」
愛息子の寝言を聞き取り、ソルイエは目を見開く。
守れなかった。確かにハーシェリクはそういった。
それが誰に対してかソルイエはわかった。アルミン男爵であり、孤児院の子供達であり、薬の犠牲者達。そして事件を解決できなかったことにより起こる今後のこと。
「ごめん……」
ハーシェリクは何度も何度も謝罪を口にする。決して彼が悪いのではない。もっというなら王であるのに責任を果たそうとしない自分が一番悪いのだ。
「ハーシェが謝ることはない。ハーシェはよくやってくれているよ。」
意識がないと解っていてもソルイエは言わずにはいられなかった。そして流れた涙を拭い優しく頭を撫で続けた。
ソルイエはハーシェリクの熱が下がり、呼吸が穏やかになるまで部屋を出ることはなかった。結局王が部屋を去ったのは既に朝日が空を照らし始めた頃だった。




