第九章 閑話 国王と元将軍と魔女 その二
まず目を引くのは長い真っ直ぐな紫水晶のような髪。男なら誰しも欲情するであろう褐色の艶めかしい肢体は、踊り子のような衣装で身を包んでいた。整った顔立ちに泣き黒子のある右目は緋色、左目は金色と違う色の双眸は不敵な光りが輝いていた。
「『魔女』がなぜこんな所に?」
「魔女言わないでよ。今の私は名もない情報屋よ? それにソルイエに用事があってきたの。」
にやりと魔女と呼ばれた彼女は笑う。
「あんたの子、おっもしろいわねぇ! 気にいったわ!」
けらけらと彼女は笑う。その態度にソルイエは苦笑を漏らすしかない。
今の姿は人間の妙齢の女性、だが彼女は人間よりも想像できないほど長く生きる、最古の時代を知る者。
魔物、魔獣の上位、魔人や魔族のさらに上の存在だと言われる。内包する魔力は軽く人間をしのぎ、老いと死という観念の外を生きる魔神という存在。数少ない彼女を知る者は『常世の魔女』と呼ぶ。
現に彼女は王城の結界をものともせず、誰にも見つからず一番厳重な王の執務室に現れた。きっとこの部屋にも独自の結界を張り、外と中を完全に遮断しているのであろう。空間に干渉する高難易度の魔法を容易くやってのけるが魔神という存在だ。
常世の魔女と呼ばれる彼女は、その身に有り余る魔力で複数ある未来を予見することができた。それが彼女の情報源でもあるが、世界に多大な影響を与えるかもしれない事象については発言を許されない。運命を故意的に変えることは許されていないのだ。
運命を変えることを許されているのは、その運命に選ばれた人物のみ。
「あんたの子、私の質問になんて答えたと思う?」
だから彼女は時に人間に問いかける。ハーシェリクと同じような質問を、長い年月の間多くの人間に問いかけてきた。
歴々の人物は彼女の質問に答える。ただしほとんどの場合は二通りしかなかった。
頭から彼女の言葉を信じないか、彼女の存在を知る者は助言を聞いて諦めてしまう。
だがハーシェリクは違った。
『私は、大切な物を失わない為に、守るためにこの世界にいます。』
彼……彼女は、気負わずに言葉を続ける。
『私に選択肢は存在しません。私が望むこと全てを現実にしてみせます。』
彼女は決して魔女の事を軽んじているわけではない、信じていないわけでもない。彼女の言葉を受け入れても尚、ハーシェリクは自分を曲げず全てを手に入れると宣言したのだ。
「私に向かってあんなこというのは二人目よ!」
清々しいほど貪欲な彼女。彼女は魔女に遠のいてしまった過去を思い出させた。意識しなければ思い出すことも困難なほど過去にそう答えた一人目。彼はのちに英雄と呼ばれるほどの人物になった。
(さて、彼女はどうなるかな?)
久々に見つけた観察対象。この国も危なくなってきたしそろそろ居住を移そうと思っていたが、まだここにいる価値がある。
「ということで、ソルイエ。あんたのお願いを叶えてあげる。」
「……いいのかい?」
「ええ、今後『影の牙』の情報はどんなに金を積まれようと誰にも売らない。」
ソルイエは昔、彼女に一つ貸しがあった。彼にとっては些細なことであったが、常世の魔女である彼女にはとても大きな借りである。将来その対価として、可能な範囲で相応の願いを叶えると約束をしていたのだ。
ハーシェリクの筆頭執事であるシュヴァルツは、凄腕の元密偵。彼が執事になるまでやってきたことは決してほめられたことではない。彼を憎む者は多いのだ。ただ彼にしてみればそれは全て、報酬がある仕事であり、恨むなら依頼主を恨んで欲しいというものである。
それ彼ほどその道に長けた人間は少なく、優秀な彼を欲している人間は多い。シュヴァルツ自身も、自分の痕跡を消すために動いているようだが、情報屋の彼女を黙らせる手立ては見出すことができなかった。
そこでソルイエが手を回すことをしたのだ。彼はハーシェリクの筆頭執事であり、彼の弱みはそのままハーシェリクの弱点となりうるからだ。
だからソルイエは、常世の魔女から貸しを返してもらうことにした。その返事を今夜いいにきたのだろう。
「私に二言はないわ。たとえ一国の予算のような金を積まれても、約束は違えない。それに……」
彼女は笑う。ここまで感情豊かな表情みるのはソルイエもローランドも初めてだった。
訝しむ二人に魔女は上機嫌に笑う。
「あの子がとっても気に入ったの。じゃあ私は帰るわね。」
鈴の音が聞こえたと思うと、彼女はそ場から文字通り消えた。まるで最初から存在していなかったように。
「……ハーシェリク殿下も、大変ですな。」
ローランドは呟く。なんとも癖のある人物に好かれると思い、ハーシェリクに同情する。
影の牙然り、我が息子然り、常世の魔女然り……
「まあ、僕と彼女の息子だからね。」
ソルイエもすでに諦めたような声音だ。彼はもう自分の手の届かないところにいってしまった。あとは彼の為に自分ができることをフォローするしかない。
「そうそう、私も息子を通じて殿下からお願いがありましたぞ。」
本来の目的を思い出しローランドはソルイエへと報告をしたのだった。
住み慣れた住処へ戻った常世の魔女……情報屋は、お気に入りのソファに座り身を任せる。久々に使った魔法はなかなか体に負担がかかったのだ。気だるいと思いつつ、ハーシェリクの事を思い出す。
(まさか、別世界の魂を持ってくるなんてね。)
彼女には予見する能力の他に、もう一つ力があった。それは魂を見ることができる能力。
本来魂は定められた世界で循環する存在だ。その増減は世界によって変わるが、その世界で定められた魂は決して別の世界へ転生したりはしない。
だが、ハーシェリクの魂はこの世界のモノとは異なっていた。例えるなら白い布に垂らされた黒いインク。とても目立つ存在であり、この世界にとっては異物だ。本来なら世界の浄化作用が働き、世界から元のあるべき世界へと強制的に送還される。だが、彼女の魂はこの世界に有り、排除しようとする世界の理を退け続けているどころか、この世界に根付こうとしている。本来なら起こりえない奇跡だ。
「偶然? 奇跡? ありえないわね。」
情報屋は一人呟く。きっと誰かが世界に介入し、彼女の魂をこちらへと呼び込んだ。そんなことができるのは、彼女が知る人物の中で限られている。
「たく、誰が何を企んでいるだか……でも、おもしろい。」
この世界に生まれて五千年以上がすぎた。正確には五千年過ぎたところで数えるのが面倒になったのだが。
人間は面白い。自分と比べるとあまりにも短い人生を様々に謳歌する。魔人や魔族、魔神や天の神々の中では彼らを下等種族と下げずむ輩もいるが、情報屋にとって彼らは観察対象であり、暇つぶしであり、そして愚かで愛おしい存在だった。
その考え方が彼女の知る一人目の影響だと重々承知している。
常世の魔女の形のいい唇から、笑みが漏れたのだった。
彼女の興味を引くのはもう一つあった。本来、魂は死ぬと循環するために留まることはない。だがハーシェリクの側には死しても尚とどまる魂があったのだ。世界の理から外れたソレは、魂だけの存在だというのに魔女である自分に語りかけていたのだ。
それがルゼリア伯爵の魂だと、興味のない彼女は知ろうとも思わない。
だが、その魂の必死さに魔女は気まぐれで、さらに王子に助言をしたのである。
「さて、これからどうなるかな?」
常世の魔女……情報屋の呟きは、誰に聞かれることもなく空気に溶けてきえた。




