第六章 孤児院と男爵と発覚 その二
月が闇夜を照らし、室内は浮遊魔力で光る照明器具で明るく照らされていた。
孤児院を出た後、ハーシェリク達は抜け道を通り、問題なく自室に戻った。だが現状は問題だらけで、三者三様頭を悩ませていた。
「さすがに、ここまでなにもないときついなぁ……」
窓際に置かれたソファーに腰掛け足を組み、ハーシェリクは呟く。
結局、情報屋からは有力な情報を得ることができず、オランの婚約者が通っていた孤児院に行っても自分の無力を再確認しただけで、なにも収穫がなかったのだ。
「確かに、ここまで探しても得られるものが少ないというのはおかしいな。」
クロが王子の言葉に同意する。
(クロでさえ掴めない情報……その上、物的証拠も全く出てこないなんて……)
二年前も今回も、薬が関係していることは確かなのだ。だがその記録を追おうにも全くない。薬に関することが、綺麗さっぱりないという異常な事態だ。高官の関与はあるだろうが、未だ推測の範囲でしかない。
そもそも、二年前と今回の件に薬と関係しているということがわかったのも、オランの父であるローランドの情報のみだ。二年前の当事者と近い立場だったオランが筆頭騎士になった事と、今回の城下町での騒ぎをハーシェリク達が遭遇したことによる、偶然が重なったことによりもたらされた情報だ。
城下町の騒ぎは現在の進行中の案件の為、どうなっているかは確認できない。もしかしたら、二年前と同じように消される可能性もある。
「本当に何もないみたいに……」
オランがため息を漏らし、ハーシェリクもつられて息を吐き出す。
「何もない……」
オランの言葉を復唱したところで、ハーシェリクはふと情報屋の言葉を思い出した。
『始まりと終わり、そして全と一。それがヒント』
(始まりと終わり、全と一…………あ!)
それは閃きだった。
ハーシェリクはソファーから飛び降りると書斎に駆けこむ。がさがさと山になった書類から、目的である複数の書類を取り出し、書斎の机の上に並べて見比べた。
「……やっぱりそうだ。」
「ハーシェ?」
クロが開けっ放しの扉の向こうから、ハーシェリクに声をかける。
突然動き出したハーシェリクに、声をかけることが出来ず腹心達は扉の向こうで待機していたのだ。
「二人ともこっち来て!」
二人を手招きしてハーシェリクは広げた書類を指す。
そこにはグレイシス王国の支出を部署ごとに総括し一覧にした書類、過去五年分があった。
ちなみにこの国での年度は春から始まる。前世でいうと四月開始の三月決算だ。
「この部署の二年前だけが、かなり支出が少ない。」
それは研究局の支出だった。確かにその前後と比べ二割少ない。
「だけど予算の段階では例年通りの予算が組まれている。二年前以外の年は、実際の支出が予算を上回っているくらい。」
予算は前年度の実際の数値をもとに組まれる。前年度の支出が少なければ、翌年の予算は減らされるものがほとんどだろう。
前世でも、たびたび国の無駄遣いについてテレビ番組で特集が組まれていた。
ある地方の行政は予算が余った無駄な買い物をしたりする。なぜそんなことが起るのか。結局は国に余分な予算だったと思われ、翌年の予算が減らされ、必要になり使いたい時にお金がないと事態になるからだ。だから予算をできる限り使おうとする。
涼子の会社でも、予算を減らされたくないからあえて無駄遣いをするということもあった。そちらは涼子が速やかに上司に報告し、所属長が始末書提出及び改善をするということで片付いたが。
話を戻し問題の研究局だけ違和感があった。予算から実際の支出は、他部署にも増減はあるが研究局の差が異常なほど大幅なのだ。
「研究局だけ予算と実際の差異が大幅すぎる。実際の支出ばかりチェックしていたから見逃していた。」
研究なんて思い通りいくものではない。必ず成功するものではないし、予算と比べ赤字になる可能性のほうが高いのだ。
事実、二年前以外の年は予算より多い支出である。
(始まりは組まれる予算、終わりは実際の支出費用。)
情報屋がくれたヒントは、確かに存在していた。
(だけど、それがどう薬に繋がる? 残るヒントは……)
ハーシェリクは研究局の書類を漁る。研究局の報告ではほとんど予算内で全てが収まっていた。それは部署の努力があったからか、もしくは……
「研究局魔法薬学研究室、この部署だけ一際支出が少ない。」
その部署の春から夏にかけての支出明細の書類を何枚か取り出す。ハーシェリクにはわからないが、専門的な用語と共に名前の商品名が並び、単価と数量と金額が書かれている。
同じように前年度の支出明細も取り出し見比べる。
「……単価が全然ちがうんだけど、これって普通?」
ハーシェリクは二人に書類を見せる。今までは年間の総額で見ていた為、見落としていたのだ。
「……あり得ない。」
「市場価格はこの値段の倍以上だ。」
オランが書類を受け取り舌打ち交じりに言う。彼の持つ書類を横から覗いていたクロも頷いた。
つまり、魔法薬学研究室の研究費用が不自然なほど少なかったため、研究局自体の支出が例年と比べ予算内で収まったということだ。
情報屋のいったとおり、全という研究局の中の一つの研究室がおかしかった。
(チッ、事件にばかり気を取られすぎた。)
ハーシェリクは内心、自分に悪態をつく。始まりが事件だったから、捜査もそちらばかりに気がいってしまっていた。
情報屋のヒントがあったから見つかった糸口。だが、自分がもっと注意深く資料を精査していれば、気が付くことができたかもしれない。
気を引き締めねばとハーシェリクは思う。今回は情報屋がヒントをくれたからいい。だが次はないのだ。
ハーシェリクは二人に気づかれぬよう反省し、気持ちを切り替える。終わってしまったことはしょうがない。それをどう生かすかが問題だ。
「その単価で仕入れていた時期、かなり意味深だよね。」
資料を見比べている二人に、ハーシェリクが言った。
格安な単価で仕入れられた時期は、二年前の春から夏。つまり薬が出回った時期と一致していた。
「相手に別の利益があって、あえてこんな格安の単価にしたとしたら……」
(なにか裏取引があった可能性が高い。)
裏取引をしたとして、それは何になるのか? 例年と比べ高価な薬草の単価まで下げているということは、それなりの金や金に代わる物を相手に渡しているということだ。
そこまで考えてハーシェリクは最悪ことに気が付いた。
「まさか、薬の出元は国だった……?」
国で研究開発した薬の情報を相手に渡す。取引相手は薬の情報と引換に商品を格安で販売する。もちろん仕組んだ人間にも金かもしくは物で利益はあっただろうし、役人なら予算を削減したという努力で評価は上がる。自分の懐も潤う一石二鳥な取引だ。
それに国の研究案件が外に漏れていたとすれば、研究局は元より国を揺るがす大問題だ。隠ぺいするために警邏局に上から圧力がかかれば、警邏局も捜査を終えるしかない。調書もおざなりな状態だった訳も納得がいく。
だが、まだ推測の域を脱していない。
(あとは、この裏取引と事件を繋げる何かがあれば。)
「……クロ、まず法務局に行って欲しい。」
「何を探しせばいい?」
ハーシェリクの言葉にクロは的確に質問する。彼は主に、なぜ法務局へ行くのかなどという愚問を口にすることはない。
「二年前の役人名簿。主に研究局に勤めていた人間、あと当時財務局の役人のリストも。」
薬の研究情報を流出できる人間は研究局の内部に限られるだろう。それに書類や報告関連が集まる財務局の人間が、その事実を隠ぺいするために見て見ぬふりをした可能性がある。
「次に財務局で、当時研究局に関わった取引先の情報全てを。」
「わかった。」
クロが音もなく部屋を出ていくのを見送り、次にハーシェリクはオランに言葉をかける。
「オランは二年前、自分の周りか婚約者さんの知り合いや関係者を思い出してほしい。きっとその中に二年前と今回のことを結ぶ人間がいる。」
「了解。」
オランが力強くうなずいた。
(だけど……)
ハーシェリクは広げてしまった書類を片づけながら思う。
(まだなにか引っかかっている。)
まるで魚の小骨が、歯と歯の間に引っかかっているような違和感があった。
ハーシェリクはなにかを見落としている気がしたが、クロが戻ってくるまでにその違和感を拭い去ることができなかった。




