第六章 孤児院と男爵と発覚 その一
情報屋と別れたハーシェリク一行は、裏道から表通りに出る。するとその通りは、オランとオランの婚約者が奉仕活動をしていた孤児院の近所だった。
「ちょっと行ってみようか?」
ハーシェリクが言う。そういえば城下町には来ていたが、孤児院には行ったことがないと思い至ったのだ。それにまだ日が高く時間もある。
「そういえば俺も最近顔を出していなかったな。」
筆頭騎士に就任してからは、昼間は城勤めでここ最近は夜も泊まり込みだったため、孤児院を訪れることを失念していたオランは、主と同僚の前を先導をして歩きだした。
孤児院は、住宅街の離れにある。所々錆びている鉄の門を潜ると古い石造りの建物があり、開け放たれた窓から子供の声が漏れ聞こえてきた。
「お兄ちゃんだ!」
王子一行を迎えたのは、ハーシェリクと同じくらいの女の子だった。茶髪に髪と同じ色のくりっとした瞳の女の子は、窓から見えたのだろう扉から飛び出し、無邪気にオランに抱きついた。
「ひさしぶりだ!」
女の子は全身を使って喜びをあらわし、嬉しそうにオランに話しかる。
「元気そうでよかったよ。みんなは元気か?」
「うん! ……こっちの人は?」
女の子は首を傾げつつハーシェリクとクロを見る。
ハーシェリクは怖がらせぬよう、にっこりとほほ笑んで見せた。
「僕はリョーコっていいます、こっちはクロ。オラン……お兄ちゃんの友達だよ、よろしくね。」
そう愛想よくいうハーシェリクだったが、女の子はオランの後ろに隠れてしまった。
(む、嫌われたかな……)
子供相手は姪の実績もあって自信もあったのに……とハーシェリクは軽く落ち込む。
「オクタヴィアン君! 久しぶりじゃないか!」
五十代ぐらいの男性が、少女と同じ扉から出てきた。黒髪に白髪交じり、というよりは白髪に黒髪混じりで、痩せている印象を受ける。ただ貴族なのであろうそれなりに仕立ての良いものに身を包んでいた。
「アルミン男爵、お久しぶりです。」
「最近姿を見せてくれないから心配したよ……こら、コレット。作業の途中だろう。」
男爵が戻るように促すと、少女……コレットと呼ばれた少女は不服そうな視線を向けたが、諦めて部屋に戻っていく。ただ扉に入る前に一度だけ振り返り、小さく手を振った。
ハーシェリクも応えるように微笑んで手を振りかえすと、彼女は慌てて部屋に入って行った。
(やっぱり嫌われた?)
さらに落ち込むハーシェリクに、男爵が訝しげな視線を向ける。
「そちらの方々は?」
見るからに身形のいい貴族の子息であるハーシェリク。仕立ての良い服をきたクロ。孤児院にはなんとも不釣り合いな二人である。
「俺が仕えている家のご子息です。」
さすがにコレットの時のように、友達という単語を出すのを憚れたオランはそう説明した。ほとんど嘘はない。ただその家が王家だということと、仕えているのはハーシェリク本人なだけだ。
オランが筆頭騎士になったことは、世間には余り知られていない。主君が第一王子や第二王子であるならば、その腹心となる筆頭も世間の話題となるだろうが、末の第七王子という影の薄い存在だと、その筆頭の存在も自動的に薄くなる。もちろん事実を知らない人間にはだが。
「ご子息が孤児院に興味を持たれまして、お連れしたんです。急にすみません。」
「そうだったのかい。」
オランの言葉にアルミン男爵は頷くと、彼はハーシェリクに向き直り丁寧に頭を下げた。
「初めまして、私はアルミンと申します。これでも貴族の末席でして……若様、差支えなければお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
温厚な瞳を向けてくる男爵に、ハーシェリクは微笑んでみせる。なんとなく彼から優しそうな雰囲気が出ていたからだ。
「リョーコと申します。いきなりの訪問、申し訳ありません。」
(さすがに王子とは言えない……)
ハーシェリクもお辞儀をしつつ、そう内心付け加える。
本日もいつもの抜け道からお忍びで来たので、本名を名乗るのはまずいし、名乗ったら名乗ったで別の問題が起きそうだ。
「リョーコ様ですね。」
「子供の僕に様なんてつけなくていいです。あ、後ろにいるのはクロです。僕の……お目付け役です。」
ハーシェリクの言葉に、クロが不満な表情をしたが声には出さなかった。だが彼の年齢で専属の執事がいるのも不自然なため、お目付け役として紹介するのが一番無難なのである。
「ではご案内させて頂きますね。」
アルミン男爵は歩き出し、客人三人はその後に続いたのだった。
中はハーシェリクが想像していたよりも清掃が行き届いていて、清潔だった。彼が想像していたのは、所々荒れ果てネズミが走っていそうなイメージを持っていたからだ。
「ここには男の子十二人、女の子八人の合計二十人がいます。」
先導しながら男爵は孤児院の説明をする。
「親を亡くしたり、育てられなくなったりと行くあてのない子供たちです。」
「アルミン男爵は、どうして孤児院を?」
「……孤児院を始めたのは私ではなく、妻なのです。私達夫婦には子供に恵まれませんでした。」
男爵曰く、奥方は子供が好きだったが恵まれず、それなら多くの子供を助け育てようと孤児院を開き、事情のある子供達を親代わりになろうとした。
「他の方々から見れば、孤児達を自分達の子供の身代りにしているようですが……」
ふと前から子供たちが走ってくる。ハーシェリクより年下の様に見える。
「院長先生ー。今日は夜までいるのー?」
「せんせー。」
子供達が男爵の周りにじゃれるようにまとわりつく。
「ああ、いるよ。」
「夜、寝る前に絵本読んでくれる?」
「くれる?」
年長の子供が首を傾げると、それを真似して下の子が首を傾げる。男爵が頷くと彼らは嬉しそうに走り去っていった。
「……私と妻は、本当の子供のように思っています。残念なことに妻は数年前に、病で天の庭へと旅立ちましたが、彼女の大切な場所だったここは残したいと思いまして。」
「男爵も奥様も立派ですね。」
走り去っていった子供達に、手を振りながら言う男爵の言葉は、ハーシェリクには本当の子供を愛するような声に聞こえた。ハーシェリクはそれが子供を身代りにしているように見えなかったし、もし身代りにしていたとしても、事実子供は彼を慕い育っていることには変わりない。
これが偽善だったとしても、やらぬ善よりやる偽善のほうがずっといい。
ハーシェリクの言葉に男爵は微笑んだが、だがその表情はすぐ暗くなる。
「……ただ、最近は経営も厳しくて苦労しています。」
「国からの援助とかないんですか?」
ハーシェリクは王城で見た予算配分案を思い出す。福祉の欄には確かに全ての孤児院への援助金もあったはずだ。
「国からは援助は微々たるものです。」
(微々たるもの?)
ハーシェリクは首を傾げる。確かに少ないがそれでも二十人ほどの孤児院なら、切羽詰まるほど困る少なさの援助金ではなかったはずだ。
(まさか、途中で援助金が横領されている……?)
今の内政では十分ありえる話に、ハーシェリクは心の中で膝をつき項垂れる。予算があっても現場に届いてないということは、誰かが懐に入れている可能性が高い。陳情を上げても途中握りつぶされる可能性もある。
「今は教会の方が無償で助けて頂いていて、とても助かっています。昔はオクタヴィアン君の……」
そこまで言って男爵はハッとして、オランを見る。
「すまない、オクタヴィアン君。辛いことを……」
「いえ、大丈夫です。」
オランは苦笑を漏らしたが、ハーシェリクには大丈夫そうには見えなかった。オランの笑い方は痛みを隠しているようだったからだ。
ふとハーシェリクは考える。もし自分の大切な人が怪我させられたり、殺されたりしたら自分は正気でいられるだろうか、彼みたいに他の人間を気遣っていられるだろうかと。
(もし父様や家族……クロやオランが殺されたら……?)
彼らだけじゃない、こちらに来て自分と知り合った人間が、殺されたりしたら? そう考えるとハーシェリクは自分の中で冷たいものが落ちて溜まっていくような気がした。
「ああ、すみません。客人が来る予定だったんです。少し離れます。」
ご自由に孤児院をご覧ください、と男爵はいい彼らと別れる。
その男爵の声にハーシェリクは我に返った。前世から生きてきた中で、初めて生じた感情に戸惑いを覚える。
(今、私は何を考えていた……?)
ハーシェリクは自分で自分を問い詰めた。だが答えは返されない。
「……ハーシェ、どうかしたか?」
只ならぬ様子にクロがハーシェリクに小声をかけた。だがハーシェリクは首を横に振る。
「ううん、なんでもない。」
ハーシェリクは微笑んで、心配そうなクロを誤魔化す。それと同時に自分でもわからない感情を誤魔化したのだった。
「おい、こっちが作業室だ。」
歩みを止めた二人にオランが呼ぶ。案内された部屋では、院内でも年長にあたるだろう少年少女達が、作業をしていた。どうやら飴やチョコなどを包装する作業をしている。
「ここで内職をして町で売る。売り上げの一部は孤児院の運営費に充てられる。」
そうオランが説明をする。みなが集中して作業している中、ふとその中の少女が顔を上げた。
「お兄ちゃん!」
声を上げたのは先ほどあったコレットと呼ばれた女の子だった。
コレットは嬉しそうにオランに駆けよる。それを皮切りに室内の子供のほとんどが、オランに駆け寄った。
「本当にお兄ちゃん来ている!」
「元気だった? そういえばお姉ちゃんは? 最近きてくれないね。」
コレットより年齢が上の子供から出た言葉に、オランは一瞬苦虫を噛んだ顔したが、すぐににっこり笑った。
「お姉ちゃんはちょっと遠いところにでかけちゃったんだ。」
それを聞くと子供達は残念そうな声を上げる。
(お姉ちゃんはきっとオランの婚約者のことかな……)
ハーシェリクはあたりを付ける。きっとオランも婚約者も子供達に慕われるくらい、この孤児院に貢献していたのだろう。
「おい! まだ仕事が終わってないぞ!」
荒々しい声が室内に響いた。その声を発したのは一番年長の男子だった。
ハーシェリクが視線を向けると、短い紺色の髪に意志の強そうな黒い瞳、左頬には獣に引っかかられた爪痕のような傷が三本走っている。ハーシェリクよりも三つほど上だろうか。
「ごめんなさい、リック兄ちゃん。」
リックと呼ばれた少年はふんと鼻を鳴らすと作業を再開し、他の子供もそれに倣う。
「僕も手伝っていい?」
ハーシェリクが、近くに置いてあった出来上がった物をよく見ようと手に取ろうとすると、再度リックの鋭い声が飛んできた。
「触るな! 貴族の坊ちゃんが!」
注意とは違う声にハーシェリクの手が止まる。注意というより憎悪や拒絶が含んだ声だった。
「……どうせ、貴族の坊ちゃんはこんな事をして、小銭を稼ぐ俺らのことをバカにしてるんだろ?」
「リック兄ちゃん、言いすぎ!」
リックの言葉にハーシェリクが否定するよりも早く、言葉を荒げたのはコレットだった。
コレットは慌ててハーシェリクの前にくると申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい、リック兄ちゃんは口が悪いの……えと、リョーコ様?」
「リョーコでいいよ、コレットちゃん。」
そう微笑むハーシェリクにコレットはほんのりと頬を染め、それを誤魔化すように視線を外す。
「これを売っているの?」
そんな彼女の様子に気づかず、ハーシェリクは包装された袋を指す。その問いにコレットが頷いた。
「うん、お菓子とかを綺麗に袋詰めしたりとか、簡単な縫い物をしたりとか……ちょっとだけお金が貰えるの。それを孤児院のお金にするの。貴族の方はたくさん買ってくれるよ。」
そう言って自慢げに笑うコレット。だが本来はしなくてもいい苦労だ。そう思うとハーシェリクは苦い思いをする。
彼らは国がしっかりしていれば、本当は苦労しなくてもいいのだ。
「お待たせしました、どうかなさいましたか?」
戻ってきた男爵にハーシェリクは首を横に振って答えた。
(また、私は無力だ……)
そう無力感に苛まれながらも、ハーシェリクの瞳には諦めの色は決して浮かばなかった。




