第五章 捜査と情報屋とヒント その二
筆頭達と城下町へと繰り出したハーシェリクは、自分の現在位置を把握することができない現状に戸惑いを覚える。薄暗い路地裏を何度も曲がり、家と家の間の狭い道を進んだ結果、ハーシェリクがわかるのは王都の中だということだけだ。
先頭を歩くのはクロ、背後にはオランが続き、二人に挟まれた状態でハーシェリクは歩みを進める。
「クロ、どこまでいくの?」
その状態に耐えかねてハーシェリクはクロに話しかける。
さすがに目的もわからず歩き続けるのは、勘弁してもらいたいのが本音だった。
「もう少しだ。」
(それ、もう何度も聞いたから……)
ハーシェリクはこっそりとため息も漏らす。当てもなく歩いている場合ではないのに。
父の訪問があった翌日から調書にあった被害者家族や関係者達に、三人は手分けして聞き込みを行っていた。ハーシェリクが睨んだ通り、大半が貴族や富裕層だったが身分の高い人間ほど薬の使用があったことを隠したがった。ただ渋る様子から薬の使用については肯定しているのと同じである。また関係者のほうも口が固かったが、その行動自体ハーシェリクの推測を裏付ける結果となった。
だが、未だに推測であって確信とまではいかなかった。それに証拠もない。
ちなみに花街にもクロとオランが二人調査に行った。
(仕事だけどやっぱり息抜きも必要だよね。)
と思ったので「朝までゆっくりしてきていいからね」と見送ろうとしたのだが、なぜかクロからグリグリの刑をくらい、オランには「子供がそんなことを言うな!」と怒られた。
(あれ、私は理解ある上司の発言だと思ったのになんで!?)
時々ハーシェリクは自分の容姿が五歳児だと忘れる。もちろんクロやオランのみ限定だが、五歳児から「花街で楽しんで来い」って言われたら誰だってそんな対応するだろう。
そんな捜査活動を続けていたが、本日はクロからどうしても一緒に行ってほしい場所があると言われ、街に出たのである。
「ここだ。」
そこは昼間だというのに建物に囲まれ薄暗く、通路もハーシェリクが両手を左右に伸ばせば、両脇の建物の壁に触れてしまうような狭さだ。そしてクロが指示したのは、大人だと中腰姿勢にならないと入れないような小さな扉だ。
(まるでアリスの扉みたい。)
前世の子供時代に読んだ絵本を思い出す。面白くて繰り返し読んだ絵本の一つである。その頃から彼女はファンタジーが好きだった。すでにその時から自分のオタクは確定事項になっていたかもしれない。
ただし目の前の扉は、絵本でみた扉よりは大きい。
クロが扉を開けて入る。ハーシェリクも続くと下りの階段となっていた。降るにつれて中腰だった姿勢が背筋を伸ばしても問題ない高さになり、それと同時に香のような匂いが濃くなっていく。甘ったるいような、それでいて嫌ではない香りだ。
階段を下り終えた先の扉を、クロが開ける。
「おい、連れてきたぞ、情報屋。」
「……あら、思ったより時間がかかったわね。」
艶やかな女性の声が響いた。扉をくぐると地下のはずなのに、三人が入室しても余裕ある部屋だった。壁には棚が設置され、古い本や怪しげな置物が並び、あちらこちらで香が焚かれ、煙が室内に充満し、ランプの炎を怪しく光らしていた。そして彼らとテーブルを挟んでソファにゆったり座る女性。
(占い屋さん?)
ハーシェリクがそう思ったのは彼女の姿を見てだ。暗い部屋でさらに黒く見える褐色の肌に、紫水晶のよう真っ直ぐなソファに広がる長い髪薄。部屋が暗いため色までは判別できないが、左右濃淡がちがう瞳。右の瞳の下には泣き黒子がさらに彼女の色気を醸し出していた。
服装はアラビアンナイトに登場する踊り子の衣装に酷似していた。口元は透けそうで透けない布で隠し、まるで前世でみた占い屋のような姿だった。
西洋っぽいファンタジーなこの世界では、あまりにも異質な彼女の姿だが、ハーシェリクはそんなことよりも彼女の体の一部に目を奪われていた。
(すごい、すごすぎる。)
彼女の胸にはたわわに実った、こぼれんばかりの胸があったのだ。巨乳なんて二次元の産物だ!と思っていた彼にとって、彼女のソレは衝撃的である。
前世、女だったハーシェリクならわかる。巨乳は決して大きいだけではだめなのだ。アンダーとトップとのバランス、そしてくびれ。その三点がそろわなければ、彼女のような美しい巨乳にはならないのだ。
もちろん涼子の勝手な巨乳理論であり、異論は認められる。
(うらやましすぎる!)
女性も同性のスタイルの良さは憧れの対象なのだ。かくいう前世は典型的な日本人の残念体形だった涼子。しかも日頃の不摂生のせいか、出なくてもいいところが出ていた。
「で、貴方が第七王子?」
あまりにも見事な胸にばかり目を奪われていたハーシェリクが、王子と呼ばれて視線を上げる。女性が妖艶に微笑んでいた。
「初めまして、私は情報屋と呼ばれている者よ。」
「ハーシェリクです。初めまして。」
(綺麗なお姉さんは好きですか……大好きです!)
ハーシェリクは心の中でガッツポーズを決める。前世から男女問わず美形が大好きなのだ、観賞用として。
「貴方が『影の牙』を手懐けた王子様……まるでお嬢ちゃんみたいな顔立ちね。」
しげしげと見つめる彼女にハーシェリクは居心地の悪い思いをする。彼女の瞳は純粋な興味からの視線だったが、観察するのはいいが観察されるのは苦手だ。
後ろでオランが「影の牙ってなに?」とクロに聞いていたが、クロは黙秘を続けている。
そして彼女の探るような瞳が一瞬見開き、その後面白いものを見つけたように細めた。
「なるほど、なるほど。お嬢ちゃんなわけね。これはとても面白い。すっごく面白いわ。」
その言葉にハーシェリクが首を捻る。
「あの、僕一応男だけど……」
「いいのいいの、お嬢ちゃん。」
ハーシェリクの反論も情報屋はケラケラと笑って手を振る。疑問を浮かべるハーシェリクに代わってクロが口を開いた。
「おい、情報屋。王子を連れて来たら情報を提供する約束だろう。」
今にも舌打ちをしそうな口調でクロが言った。ハーシェリクは事情を呑み込めず彼を見上げると、クロは少し宙に視線を彷徨い、そして諦めたようにため息を漏らす。
「薬についての情報があまりにもないから、情報屋から買おうと思ったんだ。そうしたらハーシェを連れてこいって言われた。」
情報屋は金で動く。だからダメ元で手掛かりになればと思い訪れたのだが、この情報屋は王子を連れて来いといったのだ。
クロの顔は本当に連れてきたくなかった、と書かれてあった。だが有用な情報を逃がしては、それこそハーシェリクの為にならないと思い連れて来たわけだ。
「だからとっとと情報を寄越せ、情報屋。」
「そうねぇ……」
彼女のしなやかな指が、自分の頬から顎にかけて輪郭をなぞる。爪にはマニキュアが塗られ、ラメが入りなのか室内の明かりにキラキラと反射した。
情報屋はたっぷりと間をおき、にやりと笑う。
「白銀貨百枚ってとこかしら?」
「「……はあ!?」」
クロとオランが声を揃える。
(白銀百枚……宝くじ一等前後賞つきかぁ……)
ハーシェリクは脳内で素早く日本円換算する。銅貨一枚が十円くらいとして、白銀貨一枚が一千万円、ということは白銀貨百枚で十億円……なんとも非現実的な数字だ。
「騙したのか?」
クロの声が低くなる。彼がこんなにも声が低く冷たくなるのは、本当に怒っている時だ。ハーシェリクがクロを制止するよりも先に、余裕に満ちた情報屋の声が響いた。
「あら? 私は王子を連れて来たら、交渉に乗ってあげるっていったはずだけど? 情報をあげるなんて一言も言ってないわ。情報は等価交換。私が持っている情報は一国を救う情報よ。値段が高く感じるのは、貴方達がその情報を重要視していないだけよ。」
情報屋はクロの鋭い眼光を、人の悪い笑みで悠々と受け止める。
「そんな、人の命がかかっているのに……」
オランの言葉に怒気が混じる。だがその言葉も情報屋は鼻で笑った。
「私には関係ないわ。私はこの国の者じゃないし、人間の命がいくら減ろうが関係ない。ここがだめになったら別に移るだけだから。」
「なッ!」
言葉を失うオラン。そして情報屋はハーシェリクに視線を移した。
「さあどうする、お嬢ちゃん? 白銀貨百枚から値下げる気はないわ。もちろん一括払いよ。あ、命令しても無駄よ。さっきも言った通り、私はこの国の者じゃないから聞く義務も義理もないしね。」
ハーシェリクは瞳を閉じ考える。たが、どう知恵を絞ってもそんな大金を用意する方法は出てこない。
「……どう考えてもお金を用意することは難しいので、情報を買うことはできません。」
「王子!」
オランの声が室内に木霊した。詰め寄ろうとする彼を視線で制し、ハーシェリクは言葉を続ける。
「でも貴女は、私達に対価を支払うべきだと思う。」
「対価?」
今まで余裕な笑みを浮かべていた彼女が、初めて表情を崩し眉を潜めた。
「情報屋さん、クロは貴女に依頼されて私を連れて来たんです。そして私も一刻一秒争う時にわざわざ足を運んだ。私たちの貴重な時間に対して、その対価が情報の値段を教えるだけじゃちょっと安くないですか? 等価交換とは言えないと思います。」
にこりと笑うハーシェリク。その表情に情報屋は黙り込み、数拍を置いてお腹を抱えて笑い出した。
目の前のテーブルをばしばし叩き、壊れないかと心配になるくらいだ。ちなみにその間もたわわに実った果実も一緒に震えている。まったく羨ましい限りである。
「いい! 本当にいいわ、お嬢ちゃん! こんな気持ちすっかり忘れていたわ!」
オッドアイに涙を浮かべて笑う情報屋。彼女は息を整え言葉を続けた。
「そうね、お嬢ちゃんの言うとおり、このままじゃ等価交換といえないわね。じゃあヒントをあげる。」
居住まいを正し情報は瞳を閉じる。一瞬の沈黙のあと、薄く瞳を開けた情報屋は言葉を紡ぐ。
「……始まりと終わり、そして全と一。それがヒント。」
まるでなぞなぞのような言葉にハーシェリクは首を捻る。そんな彼にさらに情報屋は言葉を続けた。
「後は自分で考えなさいね。」
それくらいはできるでしょう、と言外にいう情報屋。これが彼女の対価だった。
「わかりました、ありがとう情報屋さん。」
さあ帰ったとばかりに手を振る情報屋に、皆が彼女に背を向けてでてこうとした時だった。
「あ、お嬢ちゃんだけ残って。男どもは外で待っていて頂戴。」
その言葉にクロが再度鋭い眼光を向けたが、ハーシェリクが宥め外で待つように言う。そして室内は二人だけになった。
「あんまり、人間に助言したりしないんだけどね。」
そう前置きした上で彼女は続ける。ふとオッドアイの左が光った気がしたが、暗くて気のせいだとハーシェリクは思った。
「貴方は光、多くの人間は貴方の光を希望のように思うことでしょう。」
彼女の言葉はさきほどと打って変わって厳かなものだった。その変化にハーシェリクは動揺したが、情報屋は気にせずに続ける。
「だけど貴方はこれから先、その道を進もうとすれば、重要な選択に立たされることが何度もある。その選択を間違えれば、貴方は大切なものと失う。貴方は大切なものを失ってまで、今の道を進む?」
その言葉にハーシェリクは一度、瞳を閉じる。
(彼女がいう失う大切なものがなにか、わからない。でも私は決めたんだ。)
目を開きまっすぐと彼女を見る。
そして言葉にする。情報屋はその言葉を聞き一瞬目を見開いたが、すぐに妖艶に笑った。それは先ほどよりも意味深なかんじがした。
「本当に面白いわ、お嬢ちゃん。」
彼女は天を仰ぎみる。そこには天井しかないのだが、彼女は一考する。
「これはおまけ。お嬢ちゃんが持っている懐中時計、それを無くさないようにしなさい。それは貴方を助けてくれる唯一無二の物だから」
そう情報屋は言うとハーシェリクを追い出すように手を振る。ハーシェリクは再度お礼を言って部屋を後にし、外に出ると心配していたクロとオランが出迎えた。
ふと、先ほど情報屋の言った言葉を思い出す。
(……私、彼女に懐中時計いつみせたっけ?)
だがその些細な疑問は、次の目的地に着く頃には彼の中から消えてしまうのだった。




