第五章 捜査と情報屋とヒント その一
前世の世界と同じく、こちらの世界でも真夏の夜は暑苦しい。だが王子であるハーシェリクの部屋は、冷房設備が完備な為とても涼しい。むしろ今いる書斎の温度は、部屋の主には涼しすぎて困る。だが止めてしまうと途端に蒸し暑くなる。温度調整しようと窓を開けたいが執事に散々怒られる為、渋々上着を着たハーシェリクは、目の前の積み重なった書類にため息をもらした。
(着目点はいいと思ったんだけどなぁ……)
二年しか経っていないのに、当時の資料が驚くほど少なかった。さらに警邏局の作成した報告書を見ても、ハーシェリクの期待に反して、薬に関する記述はみられなかった。
(これは確実に高官の関与があるな……)
つまり事実を隠ぺいできるほどの城内の権力者が、事件に関与している可能性があるということだ。
ハーシェリクはもう一度ため息を漏らし視線をオランに向ける。彼も目の前の書類に没頭していた。彼を眺めつつハーシェリクは懐を探り、銀古美の懐中時計を取り出し時間を確認すると、すでに時間は午後の八時を回っていた。
「オラン、今日は帰らないの?」
オランの勤務時間は日中であり、いつもなら午後六時には退室する彼だったため、ハーシェリクは問いかける。
緊急性があるものだが、無理はよくない。それに根を詰めすぎれば能率が下がるし、残業を強いたくはない。
そんなハーシェリクの気持ちには築かず、オランは書類から目を離さず答えた。
「うーん、もうちょい……つか今日は泊まってく。」
筆頭騎士になった時に自室は用意されたし、どうせ明日も朝早くから出勤すると思えば帰るのさえ億劫である。
(明日は一回家に戻って着替えを取ってくるか。)
そう考えつつオランは別の書類を広げる。見ているのは当時の事件の記録や調書だ。当時の事件の調書を片っ端から読み漁り、不審点がないかを確認している。
ふと書類に違和感を覚えた。
「……おかしい。」
オランが呟く。
「薬に関わっていそうな事件なのに、薬の記述が一切ない。」
「え?」
「全て薬と無関係なように処理されている。」
彼の言葉にハーシェリクは目を見開いた。
「たとえば、コレ。」
渡されたのは二年前のちょうど薬が出回っていた時期だ。
男爵の男が花街で暴行を働き、最後は自殺をするという内容だった。
「この男は、正気を失って暴れたと書いてあるが、なぜ正気を失ったかの原因の追究がされていない。おかしいと思わないか?」
本来ならそこは原因を究明するのが警邏の仕事である。
だが事実だけを箇条書きしにして、原因追求まではいかない事件がいくつもある。しかもすべてが処理済の印が押してあるのだ。
「これは、気になるね。ちょっと調べないと。」
(調書が信用できないなら、被害者に聞いてみるしかない。)
書類上は誤魔化せたとしても、生きている人間は誤魔化せない。例え嘘をつこうとしても、その違和感は簡単にはぬぐえないのだ。
「明日、この時の被害者に聞きに行ってみようか?」
「え、王子が?」
ハーシェリクの言葉にオランが驚く。その言葉にハーシェリクがきょとんとした表情で答えた。
「え、だめ?」
(だって調べたいのに……)
前世の好きだった刑事ドラマでもそうだ。事件を解決するには足で稼がないと、と涼子が尊敬する刑事も言っていた。もちろん台本だが。
「いや、花街だし?」
「花街……ああ、そうか。」
オランの言葉にハーシェリクは納得する。花街は昼間の営業していない。つまり営業している夜はそういうことをしている時間だ。さすがに王子……というか五歳児が行くところではない。
落ち着いて頷くハーシェリクに、逆にオランが狼狽える。中身は三十四歳アラフォー手前のハーシェリクは、花街という存在に狼狽えるほど初心ではないのだが外見は五歳児であり、とても異様である。
そんな微妙な空気になっている書斎の扉にノックが響いた。
「失礼します、ハーシェ様。陛下がいらっしゃいました。」
「え、父様が?」
外面モードのクロの言葉に、ハーシェリクは慌てて立ち上がる。そして身形を整えると書類を掻き分けながら急ぎ居間に駆けていく。
(父様に会うにひさしぶりだな。)
以前は母が住んでいた後宮の部屋に暮らしていた為、父も仕事帰りに寄れたが、外宮に引っ越してからというものなかなか時間が合わず、会う頻度も減っていた。
わざわざこんな遅い時間に来るのは珍しい……とはいっても父の仕事が終わる時間にしては早いので、もしかしたら自分に会う為に早めに切り上げたかもしれない。
そう思うとハーシェリクは居ても立ってもいられなくなった。
書斎に残されたオランは、花街の話を平然としていたハーシェリクが、年相応の顔になって駆けていくその差に呆けた。
(本当によくわからない……)
あれくらいの年の子供はそうなのか? それともハーシェリクが規格外なのか……
すぐ下の妹ともあまり年が離れていない為、なにが基準にすればいいのかオランはわからない。
「オランジュ、こっちきて!」
居間から声にオランはハッとする。
よくよく考えれば相手はハーシェリクの父、つまり国王。オランは初めて国王に謁見するということだ。
ふと自分の姿を見る。本日も気楽な普段着だ。
(黒犬の言うことを聞いて、もう少しマシな恰好してくればよかった……)
いつもクロはオランの普段着について文句を言う。
曰く「不良騎士でも王子の騎士なんだから、少しは真面な恰好をしろ。」ということだ。
(でも真面な恰好でアレか?)
オランは筆頭騎士となった初日の自分の姿を思い出し頭を振る。あの恰好はもう勘弁して頂きたい。
(……まあ、俺の上司は王子だからな。)
オランはそう自分を誤魔化し書斎を後にした。
「君がハーシェの筆頭騎士になってくれた、オルディス将軍の子息のオクタヴィアン君だね。」
オランは声をかけてきた男を見て息を飲む。月の光を集めたような、最上級の白銀を溶かしたようなブロンド、王子と同じ温和な雰囲気を醸し出す翡翠のような瞳、すでに年齢は四十に届くというのにまだ三十にも満たないように見れる容姿。
そんな人間が、彼の名前を呼び微笑みかけてきたのだ。固まるなというほうがおかしいだろう。
(や、確かにマルクス王子も美形だなとは思ったけど……)
その親鳥は軽く上をいった。オランはあまり王族をよく思っていない。だがその嫌悪感も、国王の美貌と優しい微笑みに、うっかり飛んで行った。
(そうみると王子は普通だな……)
国王と並ぶ王子はとても普通に見えた。決して王子が美形ではないというわけではない。もちろん整っているのだが、王と比較すると普通でほっとするのだ。
「……オランジュ、父様はだめだからね。」
動かないオランにハーシェリクがキッと睨む。その言葉にオランは一瞬なんのことかわからなかったが、王子の中で以前の第一王子とのやり取りがまだ有効だったと思い至り脱力する。
(俺の存在って……)
なんだか悲しくなるオランである。もちろん彼は悪くない。ただハーシェリクの前世の幅広いオタク知識が原因である。
「何を言っているんだい、ハーシェ。」
「なんでもないです! 父様、お茶をしませんか? シュヴァルツ、夜食とかあったよね。」
ニコニコと微笑む父にハーシェリクは首を横に振り、執事に話しかける。
「ええ、お待ちください。」
「僕も手伝う!」
部屋を後にするクロにハーシェリクもついていく。王子が行ってもさほど変わらないが、クロは何も言わず主と共に部屋をでた。
残された二人にはなんともいえない沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは王だった。
「ハーシェが無理を言ってないかい?」
「いえ……」
そしてまた沈黙が落ちる。
(き、気まずい……)
相手はこの国の王なのだ。彼は騎士の家系でしゃれた会話術より武術の手を磨いてきたのだ。
「ハーシェは……」
王はさらに言葉を続けた。
「あの子は変わっているだろう。」
なんとも答えにくい質問だ。どう答えても不敬罪になりそうな質問に、オランは沈黙を守る。
その様子に王は苦笑を漏らす。
「ハーシェは普通の子供とは違う。でもそれは王子だからじゃない。ハーシェだからなんだ。」
一瞬、王の言葉の意味がわからずオランは首を傾げる。
その様子に王は言葉を続ける。
「ある意味、あの子の不幸は王族に生まれてしまったことかもしれない。」
その言葉で、オランは先ほど言葉の意味を理解した。
きっと彼は貴族に生まれたとしても、騎士家に生まれたとしても、まして平民に生まれたとしても彼は変わらない。きっと誰かの為に動く、そんな人間なのだ。
『私は国民を守る義務がある』
建前ではなく、王子はそう言った。
王子という立場が、否応なしに彼の守りたい対象を広げ、彼への重圧を増やす。しかし王子はそれを自然に受け入れていた。
「ハーシェが、私の子だというのは喜ばしいし、誇りだと思うけど……あの子を守ってあげてくれ」
そういう彼は一国の王ではなく、ただ一人の息子の父親の目をしていた。
二人の間に再度沈黙が落ちるが、そこにさきほどの気まずさはない。オランがなにか答えようとした時、お茶を用意した王子と執事が戻ってきたため、彼は王になにも言わずに終わった。




