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第四章 王子二人と疑惑と二年前 その二



 訓練を終えたハーシェリクは、オランの必死すぎる弁明により、二人の関係について納得した。

 ただあまりにも必死に否定されると余計怪しく思ってしまうのだが、それを言うのはかわいそうだったので心の内に留めておくことにする。


 自室に戻ったハーシェリクを待っていたのは、クロお手製のデザートのゼリーだ。薄い緑のかかった透明なゼリーの中には、オレンジのような柑橘系の果物の果肉が入っており、口に入れると爽やかなミントのような香りと柑橘の酸味がブレンドされ、さきほどまで感じていた暑さを忘れさせてくれるようだった。


「んーーおいしい! 本当にクロ、こういうのどこで覚えてきたの。」


 ゼリーを頬張って満面の笑みのハーシェリクに、クロは笑ってみせたが、それ以上のことは何も言わなかった。

 もしかしたらこの秘密主義的なところも女性にモテル秘訣かもしれない、とゼリーをつつきつつハーシェリクは思う。


 あっという間にゼリーを平らげたハーシェリクは、さきほどから静かなオランを見る。椅子に座り目の前に置いてあるゼリーと紅茶には手を付けず、虚空を見つめる彼はとても静かだった。


 ここ最近、彼は時々こうなっている。正確にいうなら初夏の城下町で騒ぎがあった次の日からだ。どことなく思いつめた彼の表情にハーシェリクはため息を漏らす。


(……本当は、オランから言い出してくれるのを待っていたんだけどな。)


 だがこのままでは、自分の知らないところで不測の事態が起こりかねない。なによりオランの状態が心配だ。そう判断したハーシェリクは、一瞬クロに視線を向ける。彼が頷くのを確認してから、切り出した。


「オラン、先に謝っとく。ごめん。」

「……王子?」


 突然謝りだしたハーシェリクにオランは訝しむ。だがハーシェリクはそのまま言葉を続けた。


「オランの事、二年前の事は調べさせてもらった。」

「はぁっ!?」


 思わず椅子から立ち上がるオラン。その拍子に椅子は倒れて音を立て、さらに手がカップに当たり紅茶が零れる。

 すぐさまクロが溜息交じりに、カップとゼリーを避難させテーブルを拭いた。

 だがオランはクロの事は視界にはいらないのか、ハーシェリクを見つめたままだった。


「なんで……」

「オラン、とりあえず落ち着いて……座って。」

「どうして、そんな個人的なことを……!」

「……オラン、座れ。」


 ハーシェリクが珍しく命令口調で言った。オランはその言葉には有無を言わせない迫力が有り、従わざるをえなかった。

 彼が倒れた椅子を戻し着席したのを確認してから、ハーシェリクは深くため息を漏らす。思った通り地雷だったが、すでに話し始めたのだ。ここで終わるのは不自然である。


「だから最初に謝ったの。」


 あまりにも予想通りのオランの行動に、ハーシェリクは小さくため息を漏らしつつ、言葉を続けた。


「オランを調べたのは、余りにも成績が不自然だったから。ある日を境に成績がガタ落ちして、進級も卒業もギリギリだし、素行も悪くなって教師の評判も下がる一方だったみたいだし。」


 故意としか思えない、ハーシェリクはそう違和感を覚えた。だからハーシェリクはクロに、オランについて調べてもらった。

 そしてオランについてのクロの報告は想像以上に重いものだった。またオランがそうなってしまったことに納得がいった。そのためハーシェリクは心の内にしまって終了するはずだった。


 しかし、その過去は今現在の非常事態と繋がっている可能性が出てきた。

 現にオランは城下町での騒動があった翌日から、時々物思いにふけって思いつめている様子だった。


「ここで私が調べたことを言ってもいいけど、できればオランから話を聞きたい。今この部屋の周りには誰もいないから、話が漏れるようなことはない。」


 ハーシェリクは言葉を重ねる。


「私は見た通り子供だから、頼りなかったり信じられない部分もある思う。だけど、私はオランを信じているし、これからも信じたい……もう、あんな思いはたくさん。」


 ハーシェリクは去年の苦い記憶を思い出し、臍を噛む。

 去年、乳母がハーシェリクの元から去った。原因はいろいろあったが、乳母が王もハーシェリクも信じきれず、事件を起こしてしまったからだ。今でもそれは仕方がなかったとハーシェリクは解っている。だが、それを繰り返していいとは思っていない。

 思いつめたオランが、乳母と同じ道を辿ることだけは避けたかった。


「……だから」

「わかった。」


 さらに言葉を重ねようとするハーシェリクを、オランは遮る。

 それはハーシェリクを信じるというよりは諦めの境地だった。そして自分の意志を優先しようとしてくれる彼の気持ちも、多少なりともうれしかったのが本音だ。


「……二年前、俺の婚約者が亡くなった。」


 思い出すのは夕焼けで染まった真っ赤な道。そして彼女の安らかな死に顔。


 オランと彼女は家が決めた許嫁同士だった。彼女の家には跡取りがいなく、彼女の家の当主は友人であるオランの父に婿養子を頼んだ。その時、丁度同い年であり、三男のオランが婿養子前提で彼女と婚約したのである。


「最初はまあ、恥ずかしいのもあって反発したけど……」


 幼少の頃からの結婚前提で付き合い始めた彼らは、思春期を経て男女の付き合いをするようになっていた。


「十六になって正式に社交場にもデビューして、許嫁同士だと周りもわかっていた。」


 当時、オランは学院の騎士学科で主席の座にいた。


「マーク……マルクス殿下とは何度か手合せして、いいライバル関係で、その時は近衛騎士や筆頭騎士なることが、ゆくゆくは将軍になるのが目標だったし、友人のような殿下の側にいられたらと思っていた。」


 順風満帆だと思われたオランの人生が一転したのは、燃えるように赤い夕焼けが印象的な日だった。

 学院で自主鍛錬をしていた彼のもとに、実家からの早馬がきたのだ。そして彼女が死んだことを伝えられた。


「なんで彼女が死ぬのか……俺にはわからなかった。」


 すぐに学院を飛び出して彼女の家に向かった。その時マルクスに話しかけられた気がしたが、オランはよく覚えていない。


 婚約者の屋敷に駆けつけると、彼女が安らかに眠っているように亡くなっていた。

 数日前から体調を崩していた彼女は、当分の間学院を休むと聞いていた。夏バテだから心配しないで、といい微笑む彼女。オランはその日、自主練の予定だったため、明日は彼女の好きなお菓子でも買って見舞いに行こうと思っていた。


 だが二度と彼女が微笑むことも、自分の名を呼ぶこともなかった。

 あの時の絶望を、オランは今も鮮明に覚えている。家同士が決めた婚約者だったし、まだ若かったが、彼は確かに彼女を愛していた。


「彼女の遺品の日記には、俺と一緒にいるのが辛いと記されていた。」


 将来の為、ひいては彼女の為に、鍛錬を怠らず勉学に励んだ。そして学院で優秀な成績を残した。だが優秀すぎる将来の夫は、平凡な彼女には重荷で辛いと日記には綴ってあった。


「俺は特に、彼女が平凡とか思ったことなかったのに……」


 彼女は確かに気が弱いところもあったが、思いやりある優しい女性だった。普段は不器用ながらも花嫁修業をしたり、孤児院で奉仕活動に行ったりする彼女だからこそ苦労をかけたくないと思い、努力をしていた。だが結局、それが彼女の重荷になってしまっていた。

 また貴族の令嬢としては気が弱い彼女は、ほかの令嬢よりオランの婚約者という立場について、いろいろ言われていたそうだ。


(前世でいうところのいじめか……どこの世界も女は怖い。)


 女のいじめは、男が想像するよりもとても陰険だ。男性にはわからないように姑息なことをするから、オランは気が付きにくかったであろう。また婚約者もいじめられているなどオランにも、ましてや親にも相談できなかっただろう。

 それを見通して、そういう輩は相手を選んでいじめるのだ。弱い者を選んでいじめるなどなんとも卑怯である。


「それだけなら、俺は自分だけを責めればよかった。でも、日記には続きがあった。」


 春のある日の日記には、その苦痛から逃れる為に裏で出回り始めた薬に手を出してしまったと、懺悔が続けて書かれていた。


 その薬は一時苦悩を忘れさせてくれ、心が軽くなった。だが薬が切れると途方もない罪悪感が襲い、そして再度薬に手を出してしまう。薬がなくなれば貴金属をこっそり質に入れて金を作ると薬を買い、なくなればまた繰り返す。次で最後、と思いつつ抜けられなくなり、薬にはまっていってしまった、と日記には涙の痕ともに書かれていた。


 そして貴金属も尽きたところ、とある貴族がそんなオランの婚約者の弱みを掴み、関係を迫ってきたそうだ。


「彼女は薬も買えず、誰にも相談できず、その貴族に関係を持たなければ俺にばらすと脅されていた。そして夏のあの日、彼女は死んだ。」


 朝からは部屋に引き籠っていた彼女を心配した使用人が、様子を伺いに来て彼女が死んでいるということがわかった。


「俺が、学院で自分の事ばかり夢中になっていたから……」


 どこかで自分が気付き、寄り添うことができれば、彼女は死ななかった。当時は自分の目標にしか目が向いていなかった。


「彼女は衰弱死だった。貴族の令嬢が衰弱死なんて、おかしいだろう?」


 日記を読んで、それが薬の副作用ではないかとオランは思った。


「彼女の死は俺の責任だ。だけどその薬は危険だ。だからどうにかしようと思った。」


 すぐに役所に届けたが、捜査はすると言ったものの動きは鈍かった。業を煮やしたオランはマルクスに訴えた。マルクスも友人の為に動こうとしたが、すでに薬の出回りが無くなって痕跡が追えなくなり、捜査は打ち切られたのだ。

 オラン自身もどうにか薬の出所を突き止めようと動いたが無駄だった。


「……その頃から俺は、騎士になる理由を見出せなくなっていたんだ。」


 守りたかった者を守れなかった自分も、守るべきである国民を守らなかった国や王族も、彼女を追い詰めた貴族達も、全てが嫌になった。

 だから学院の勉学で主席を維持する必要も感じなくなったし、助けてほしい時に動いてくれない王族にも嫌気がさした。

 彼女の表向きの死因は病死となっていたが、学院で心無い者が彼女を侮辱した為、停学となる騒ぎも何度か起こした。今思えば八つ当たりでしかない。卒業したら国を出ようと考えていたが、なかなか父の許しが出ず、そのままずるずると無職生活を続けていた。


「今回、二年前に出回って消えた薬が、再度出回っている可能性がある。」


 それは父がもたらしてくれた情報だった。既に引退した身とはいえ、ローランドはかつて国の重要職にいた。元部下であり警邏局の役人がこっそりとローランドに連絡を取ったのだ。


 オランが話し終えるまで、ハーシェリクもクロも口を挟まず、黙って耳を傾けていた。


 沈黙が室内を支配し、気まずい雰囲気が室内に流れる。

 ハーシェリクが深呼吸する。今まで息を吸うのを忘れたかと思うくらい、オランの話に集中していたのだ。


「オラン、話してくれてありがとう。」


 まずは感謝の言葉が、ハーシェリクの口から洩れた。そしてそのまま頭を下げる。


「せっかく兄を、王家を頼りにしてくれたのに、なにもできなくてごめんなさい。」


 当時自分は三歳で、まだ勉強を始めたばかりだった。なにもできなかったに違いないが、それは言い訳でしかないのだ。

 黙ってうつむいてしまったオランに、彼は言葉を続ける。


「オランから聞いた話で、クロの調査内容の裏付けができた。」


 それは重要な手掛かりになる。


「まず薬は、出回った期間が短いということ。」


 その薬は二年前の春から夏の短期間で回った。薬は短期間より長期間出回ったほうが利益を生む。リスクも生じるが中毒者が増えれば増えるほどリピーターも増えるのだ。また供給より需要が増えれば、単価も上がっていく。


「次に薬の使用者が貴族や富裕層に多く、出回った範囲が狭いこと。」


 クロが調べた限りでも被害者のほとんどは富裕層だった。ということはその時の流通経路はかなり絞られていたのだろう。


「それに、誰か地位の高い人物が関与していた可能性もあるね。」


 貴族の令嬢が不審死した案件だ。その調査がなあなあで終わっている時点でおかしい。つまり、捜査自体もどこからか圧力がかかっていた可能性もある。


 ハッキリというハーシェリクの言葉に、うつむいていたオランは顔を上げ、彼を見る。


(本当に、五歳児か……?)


 当時、十六歳のオランが思いつかなかったこともハーシェリクは彼の話を聞いただけで、いくつもの重点をみつけた。

 ハーシェリクは、年齢通りの幼い王子にはみえなかった。


「きっと薬の鍵は、オランの婚約者の行動範囲内にある。」


 そう言ってハーシェリクは立ち上がる。


「クロ、すぐにオランの話を参考にして、当時彼女が行動した範囲の調査を。当時の犯人とは別かもしれないけど、きっと繋がりがあるはず。」

「わかった。」


 クロの返事にハーシェリクは頷く。


「私は当時の資料がないか忍び込んでくる。どんな薬だったかわかれば、突破口になるかもしれない。」


 銀古美の懐中時計を取り出し時計を確認する。まだ夜までには時間があった。


「また一人で行動するのか?」

「城はもう私の庭のようなもんだよ。」


 目を瞑ってても好きな場所にいける、と豪語しにっこりと笑う幼い主に、クロは渋い顔をする。


「……なぜ?」


 オランの呟きが漏れた。

 二年前、国は人が死んだというのにまったく動こうとしてくれなかった。

 だが今回この王子は急ぎ動こうとしていた。


 オランの呟きに、ハーシェリクはふうとため息を漏らす。


「国民が薬が原因で命を失った。その薬が再度出回ろうとしている。また国民が同じように人生を狂わされるかもしれないのに、黙ってみていろと?」


 それは物わかりの悪い子供を窘めつつ諭すような口調だった。ハーシェリクの言葉に、オランが再度問いかけた。


「王子には関係のない人間なのに?」

「関係ない?」


 ハーシェリクは思わず問い返す。今度は少しだけ怒気を孕んだ口調だった。


「私はこの国の王子だよ。私は国民を守る義務がある。」

「そう、か…」


 それがさも当然のように言うハーシェリクに、オランはそれ以上なにも言えなかった。

 ただ振り返れば、自分はこの二年なにをしていたのだろうという無力感に覆われそうになる。だが、まだ間に合うと思った。彼女のような人間の出さない為に、まだ自分にはできることがある。


「……俺にできることはあるか?」

「もちろん、私の騎士なんだから働いてもらうよ。」


 オランの言葉にハーシェリクはにやりと笑って頷いた。




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