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暑い。
私はカーテンの間を縫って降り注ぐ日差しを感じながら、汗を吸って重くなったパジャマの気持ち悪さに辟易する。
穏やかな春はいつの間にか終わりを告げ、暦は容赦なく初夏へと移り変わっていた。
まだ雀が鳴く早朝だというのに日が高く、室内温度をジワジワと上げて私の眠りを妨げてくる。
暑い。
今日こそは予備校に行かなくてはならない。親からの仕送りが心なしか右肩下がりなのは私が予備校をサボりがちになっていることが薄々感づかれているからだ。合間の時間を使って精を出しているバイトのほうに身が入るようになり、それでなんとか生活水準は保たれている。
暑い。
それにしても、この茹だるような暑さはなんなのだ。
初夏といってもまだ梅雨も満足に訪れていないというのに、私の身体にまるで人肌程度に温い毛布が巻き付けられているような――
「……って、アンタ誰よッ!?」
「ふあ……?」
私は自分の隣に見知らぬ人間が寝ていた事に驚愕し、あまつさえ抱き枕よろしく全身ホールド状態だったことに恐慌をきたした。
間近で見る今起きたような顔をしている不審者は、まだ十代半ばに見える少女だった。鮮やかな栗色をした肩よりも少し長い髪の毛は、緩くカーブした毛先の先端が所々くるんとカールしており、絵本に出てくる天使を思わせた。寝ていたからか、白い肌は上気したようにピンク色で、幼い子供のような甘い香りさえ漂ってきそうな雰囲気だ。よく見ると整った顔立ちは今は漫然と私の方を見つめている。だが、ある一点において私はそんなことがどうでも良くなってしまった。
少女が何一つ身にまとっていないという異常な状況だったからだ。
「ああ、弥生さん、おはようございます!」
「わ、私の名前……っ、あ、あ、アンタ何なの!?」
全裸でいることがまるで自然の理のように少女は大きく伸びをして、私に満面の笑みを向けた。
私は昨晩この少女を家に連れ込んだ記憶は一切無く、この状況に対しての理解が追いつかないままとりあえず再び彼女に曖昧な疑問詞をぶつけることしか出来なかった。なぜ勝手にこの部屋にいるのかとか、なにをもって裸なのかなど、もっと言いたいことはあるけれどそこまで頭が回らないのだ。これが男の変態だったとしたら力の限り悲鳴をあげて誰かに助けを請うところだったが、自分よりも年下の少女となるとその気にもなれない。
「ひどいです、忘れたんですか? 昨日の晩のこと……」
「き、昨日の晩!?」
悲しげな顔で科を作る少女にまさしく記憶にないことを告げられ、私は混乱しながら改めて昨日の行動を辿る。
昨日は一日中バイトのシフトに入っていて、帰った時には夜も更けていた。疲れきった身体を休めるため簡単な食事の後はシャワーを浴びて早々に寝てしまったような気がする。どう考えても全裸の少女を招き入れている隙はない。
そう考えていると、少女はその柔肌を擦り付けるように私に密着した。パジャマ越しに感じるアレやソレの膨らみがなんとも肉感的で、私は妙にそわそわした。
「あんなに……強く、してくれたのに……」
「ちょおっ!?」
何故か頬を赤らめて俯く少女がとんでもないことを口にする。
私だって年頃の少女であるがゆえ、同じベッドに同衾した男女がすることくらいわかっている。目が覚めると隣に彼の寝顔がある、俗に言う朝チュンという都市伝説だ。この場合は少女になるわけだが、女同士でもそういうことはあると知識くらいは備えていた。
まさか私はこの見知らぬ少女になにか法を犯すようなことをしてしまったというのだろうか。いや待て、私は同性愛者ではないし、そもそもちゃんと服を着ているしやましいことをしたという記憶は神に誓って無いわけで、まだ未成年だからお酒に酔っていたわけでもないし……と思案していると少女は上目遣いに私を見上げてきた。見た目が可愛らしいだけに同性の私から見てもちょっとドキッとする仕草だ。
「弥生さん、昨日の晩あんなに強くお願いしてくれたのに……だからワタシは今ここにいるんですよ?」
「え……お願い……?」
言われて私ははたと気がつく。
願い。
確かに私は昨夜眠る前、ベッドの中でくだらない願い事をした。
でも、それは、だって――叶うはずのない願い。
「ずっと、あなたに会いたかった。ワタシは、ハナコの生まれ変わりです」
*
私が住んでいた田舎は東京のような都会とは比べ物にならないほど長閑で、穏やかな場所だった。道を歩けば出会う人々は皆顔見知りか、知り合いの知り合いで、これといった観光はないが農業と役所勤めなどの職業に付けば一生をその村で静かに過ごすことが出来る。
だからだろう、村人同士の結束が強い割に外界に対してはどこか閉鎖的だった。
父は医者をやっており、無医村だったその村に派遣医として東京から家族一緒に越してきた。私が小学二年生の時だ。
幼い頃の私は非常に人付き合いが苦手で、新しい学校に馴染めずにいた。学校といっても全学年あわせて百人にも満たない児童しかおらず、きっと社交的な子供であれば大した苦労もなく友達を作れただろう。だが、医者の子供で東京生まれの田舎者にとっては羨む対象の私がどこか垢抜けない人見知りの暗い子供だと知ると密かな余所者いじめが自然発生的に起こり始めた。
最初は耐えていた私も子供独特の残酷なまでの無邪気な悪意に晒され続け、いつしか家に塞ぎこむようになった。父はこの村から医者を無くさないために留まり続けるしか無く、私が不登校となったことで近所の母への誹謗中傷が聞かれるようになっていった。
けれど転機が訪れる。八歳の誕生日に、父が毛並みの美しいゴールデンレトリバーを私にプレゼントしてくれたのだ。
子供の私にとっては随分大きな犬だったが齢にしてまだ二歳にも満たないことを知って驚いた。
父はもう既に名前を決めていたようで、この子はハナコだよと教えてくれた。そんな適当な名前、こんなに洋風で素敵な犬に失礼じゃないかと思ったが呼びやすさと相まってすぐに受け入れられた。何より、兄弟や友達のいなかった私はハナコと呼ぶたびに仲の良い友達と一緒に居るような気になって寂しい気持ちを感じなくなった。
その栗色の毛並みは柔らかく、抱くと生命の暖かさに溢れていた。人懐っこい笑ったような顔は、暗く塞ぎこんだ私の心を溶かし、癒していった。
ハナコといればいじめっ子も怖くはなかった。私に意地悪しようとする子はハナコがその大きな身体で吠えて追い払ってしまう。
昼はハナコと共に野山を駆け回り、夜は同じベッドで一緒に眠った。明るく気丈になった私は学校でいじめられることも無くなり、両親の心配はやがて私の頑なだった心が解けていくように消えていった。
やはり最初に溝を作ったせいでこれといった友達は出来ないままだったが、それでも私にはハナコがいてくれれば幸せだと胸を張って言えた。
私が高校へ上がり、初めての夏に二度目の転機がやってきた。
ハナコが、車に轢かれたのだ。
田舎らしく広い家の庭に殆ど放し飼い状態だったハナコは、ふとした拍子に敷地を抜け出してしまうことが度々あった。もうお婆ちゃんに近い年齢だから、徘徊癖でもついちゃったのかしらねと母は軽く笑っていたのを覚えている。私もハナコが抜け出したところでいつも近所の老人たちの遊び相手になっていることを知っていたからなんの危機感も抱いてはいなかったのだ。
だが、その日は違った。
いつもは家の近所を周回している程度だったのに、その時に限って村の側を走る県道へ続く道を辿ってしまったのだ。その日私は運悪く実行委員になったばかりに翌日の球技大会にむけて準備をしており、日が暮れるまで学校に居残っていた。普段なら帰宅してハナコと一緒に過ごしている時間だ。
ハナコは私の帰りが遅いのを心配したのではないか、と後から母が語った。ハナコが歩いていた県道はバス通りであり、私が通う高校へと続いている。
そこへ通りがかった長距離トラックに、ハナコは撥ねられたのだ。大型犬ゆえその頃には足腰がだいぶ弱っていたハナコは、トラックを避けることが出来なかった。
私は父に縋り付き泣きながら頼んだ。だが父は人間の医者だったのでハナコを診てやることが叶わず、父以外に医者のいない村に獣医など常駐してはいなかった。隣町の動物病院に連れて行った時には既にハナコは亡くなっていた。
それからの私はただ無気力に日々を過ごした。田舎の環境を嫌って東京の大学へ進学することは決めていたため成績を落とすような事はしなかったが、私はもとの幼い頃のように人を寄せ付けない内向的な性格に戻っていった。ただ一度は明るく振舞っていた影響だろう、培った社交性は最低限保たれるが周りからはキツくて冷たい雰囲気の人、という印象を与えるようになっていた。
以降過ごした高校生活に、私にはこれといって思い出がない。恐らくクラスメイトでさえはっきりと顔や名前を覚えているものは少ないだろう。
やがて迎えた受験の日、私は受験生にとって重大な過ちを犯した。
ハナコが亡くなってから肌身離さず持っていたハナコの首輪を、降りる駅で失くしてしまったのだ。正確には、首輪を入れていた旅行バッグ一式が置き引きの被害にあってしまったのだった。幸い、携帯や財布、受験票など重要なものを入れたバッグは手元にあったため最悪の事態は免れたが、もう私にとってはその時受験のことなど頭になかった。
滑り止めで受けるはずだった私立大学の試験を蹴り、私は旅行バッグを探して回った。だが結局見つからないままで、その後受けた本命の試験さえ首輪のことが私の頭から離れずろくな解答一つ書き込むことが出来なかった。
結果全ての試験に落ち、私は予備校に通う浪人生となった。
両親は私の心情は少なからず理解しているものの、決して良い顔はしなかった。許可を得て東京で一人暮らすことになっても私がきちんと次の受験へ向けて勉学に励んでいるのか懐疑的だったのだ。事実、今は殆ど予備校に行っていない。
私の輝いていた人生は、常にハナコという友達と共にあった。
ハナコが亡くなった今、私は抜け殻のような残りの人生を生きているに過ぎないのだ。
*
「……アンタ、なに言ってるの」
私は全裸の少女をキッと睨めつけた。とんでもない状況に陥っているにも関わらず、不思議と頭が冷静になっていった。それは目の前の少女が不用意に発した最愛だった友達の名前のせいであり、それを口にされることにひどく嫌悪感が湧いた。どうやって私が飼っていた犬の名前を知ったのか分からないが、ハナコとの思い出に土足で上がり込まれているような気がしたのだ。
「そのままの意味なんですが……ワタシはかつてあなたに飼われていたゴールデンレトリバーのハナコの生まれ変わり――」
「ふざけないで!」
急に声を荒げた私にハナコと名乗る少女はビクッと身を竦めた。私にしがみついていた腕を解き、ベッドの上で少しだけ距離を取るようにする。
「生まれ変わり? はっ、今時子供でも信じないわ、そんなこと。そもそもハナコが死んだのは三年前で、アンタはどう見ても十歳は超えてるじゃない。馬鹿な冗談はよしてよ、アンタ何者なのよ。どうして勝手に人の家に上がり込んでるのよ」
私は溜め込んだ感情をマシンガンのように吐き出した。
すると少女は困ったように曖昧な笑みを浮かべる。その顔に余計に怒りが湧いた。
「時期は関係ありません。現に、弥生さんが昨日願ってくれたことでワタシは生まれました。生まれた時このような身体に既に成長していたのはワタシにもわかりません。
でも、信じてください、ワタシはハナコなんです」
やはり無茶苦茶な事を言う。流石に少女と同年代の中学生でももっといい嘘をつけるはずだ。これはもう精神異常の一種ではないか。
「……警察、呼ぶわ。アンタが何者だろうと、もうどうでもいい。裸で人のベッドに潜り込む異常性癖がある不法侵入者ってことで充分よ」
「夜、ベッドで弥生さんが一緒に寝てくれたとき――」
少女は懐かしむように目を瞑り、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「ワタシはよく弥生さんの耳を舐めて、くすぐっていました。お返しにとワタシの耳もコチョコチョしたんですがワタシは犬なのでくすぐったさは無く、」
瞑ったときと同様にゆっくりと瞼を開く。少女は思い出し笑いを堪えるように、「どちらかと言うと触れられたことでまた遊んでくれるんじゃないかと勘違いして弥生さんを困らせてしまいましたね」と言って目を細めた。
「え……」
「弥生さんをいじめる悪いお子さんにワタシはいつも吠え立ててたのですが、お子さんが居なくなるとワタシの頭をヨシヨシしてから、少しだけ怒りましたね。
いじめっ子は怖いけど、ハナコもやり過ぎちゃ駄目だよって言ってくれました」
どういうことなんだろうか。
見ず知らずの少女が、ハナコの名前を知ってるだけでなく、ハナコと二人だけ――この場合は一人と一頭だが――にしか分からない思い出を語っている。
「弥生さんはワタシが死んでしまう時、泣きじゃくりながらお父さんにお願いしてくれましたね。あなたがずっと抱いていてくれたから、ワタシは傷の痛みも忘れて安らかに眠ることが出来ました」
頬に何かが伝った。
ハナコが亡くなった時に枯れてしまったと思った、涙だった。
少女――ハナコは優しく微笑みながら頷く。開けた距離を詰めてそっと指で私の涙を拭いながら言った。
「弥生さん、悲しまないで。ワタシは、あなたの願いを叶えに来ました」
彼女がやってきてから数日が経った。
少女がハナコの生まれ変わりだということを信じると、妙に納得のいくところが多かった。ハナコは最初に全裸という破廉恥極まりない格好で現れたが、どうも服を着るのを好まなかったようなのだ。とりあえず替えのパジャマを着させると布の繊維がチクチクして痛いと訴えた。しかし部屋の中にいるとはいえ裸のままで居てもらうのも困るのでなるべく肌への刺激が少ない絹地のゆったりしたシャツを着てもらうことにした。
「弥生さんの服を着られるのは嬉しいのに、どうしても慣れなくて……ご迷惑おかけしてごめんなさい」
「勘違いしないでよ。たまたま押入漁ったら出てきたって言うか、サイズを間違えたのをとって置いただけだし!」
それでも身に付けたのはシャツとショーツのみで、上は何も履いてくれなかった。見ようによってはフェティシズム全開の犯罪的な臭いがする。
何かの間違いで彼女が宅配便などの来客対応することになってしまったら、私は何一つ言い訳できないのだがハナコ的にはこれくらいの着衣で限界なのだそうだ。
外見だけは年頃の少女と変わらず、その格好で室内をうろつくハナコに私がどうにも戸惑う場面も少なくはなかった。
けれど栗色の髪の毛は犬のハナコを思わせるように柔らかく触り心地が良かった。何故かお風呂を嫌がるのも犬っぽくて面白い。
献身的に家事をやってくれるのは犬の頃に出来なかった私の世話を一生懸命してくれているようで嬉しかった。私がバイトや予備校から帰ると必ず夕食が用意されていて、その腕は母が作るものに負けず劣らずなのだ。
ひとつ気になるのが私が帰ると既にハナコはご飯を済ませていて、私と一緒に食卓を囲むことがない点だった。
「ワタシは弥生さんの犬なので、ご主人とは食事を一緒に摂りません」
誰かが聞いていたら思わず耳を疑うような台詞だが、彼女にとっては当たり前のようだった。確かに、犬の頃は別の食事をしていたのだが、今は転生して人間となったのだ。少し寂しく感じる。
私はこの一種の超常現象を、ゆっくりと受け止めると共に今後どうするかを考えていた。
犬の生まれ変わりとはいえ、ハナコは人間として生を受けている。このまま私の部屋で篭りきりの生活なんて続けることは出来ない。それに、両親にはどう説明すればいいのだろうか。
三年前に亡くなった愛犬が、人間の女の子になって私と暮らしています。
駄目だ。精神を疑われる。田舎へ強制送還の未来が垣間見えた。それならただの友達として一緒にルームシェアしていると伝えたほうが問題が少ない気もする。そういえば、ハナコに戸籍は存在するのだろうか。ますます私の思案は深い泥沼にはまっていく。
「ひゃっ!?」
考えていると突然、左耳に生暖かくて濡れたものが触れた。驚いて触れた先に顔を向けるといたずらっ子のような表情を浮かべるハナコがいた。
「弥生さん、勉強する手が止まっていますよ」
「もう、いたずらしないでよ!」
怒ったように言うも、私は頬が赤くなっていないか内心心配していた。
ハナコにとってはあの頃のイタズラのつもりでも、今の見かけは中学生ほどのあどけない少女なのだ。
耳に残る感触がますます私を恥ずかしい気持ちにさせる。
ハナコのスキンシップは、人嫌いの私にとってはかなりハードルの高い触れ合いだと言うことに今更ながら気づかされてしまった。
「弥生さん、いいですそんな、ワタシなんかに」
「いつも家事をやってもらってるんだから、これくらいはご馳走させてよ」
私は遠慮して縮こまっているハナコに笑いかけた。驚くべきことに私はこの数日で笑顔の仕方さえ思い出していた。
その起因となった主は萎縮しながらテーブルの前にちょこんと座っている。戸惑ったように右往左往する視線に私はまたもクスリと笑った。
「はい、桐生家特製ミートソーススパゲティ! これだけは、母さんからちゃんと作り方を教えてもらったのよ」
「わ、いい匂いです……!」
「匂いだけじゃないわよ、食べてみて」
密かにハナコと同じ食卓を囲むことを計画していた私は予備校もバイトも無い日に、早速それを実行に移した。私が振舞った料理は私の母が昔よく作ってくれたスパゲティで、私はこれが大好きだった。当時犬だったハナコは当然その味を知らず今に至る。
「すごく、美味しいですっ!」
一口二口と口に運んでから神妙に食べていたものの、我慢ならずというようにハナコは喜びを露わにした。もし尻尾が生えていたら回転する勢いで振られていただろうと思う。ハナコはとても幸せそうに息付く間もなくスパゲティを平らげた。
「喜んでくれたようで、なによりよ」
「ワタシ、こんなに美味しいもの初めて食べました! 人間の皆さんはホントに素敵です!」
興奮気味に語るハナコに私は思わず苦笑する。
「なに言ってるの、ハナコも人間でしょ」
すると目をキラキラさせていたハナコが一瞬だけ、悲しそうな表情をした。ほんの一瞬だったから私は気にも留めなかったが、ハナコは今までの喜びが嘘のように平静さを取り戻して、ぽつりと呟いた。
「なんだか、夢みたいで、ワタシはしゃぎ過ぎました……」
「なに、どうしたの急に――」
「もしかしたら、幸せな夢を見ている夢を見てるのかも」
ハナコは己の両手を見つめて閉じたり開いたりした。自分がここにいるのが信じられなくなったような顔をして、途方に暮れた子供のように目を伏せる。
「そんなこと、言わないでよ」
私はフォークを置いて、ハナコの隣に座り直す。ふと顔を上げたハナコの眼差しがどこか不安そうで私の胸を締め付けた。
「あなたは私の大切な友達のハナコで、人間になって、私に会いに来てくれた。それは夢じゃないし、現実なの」
少女の小さな手をとって、自分の両手で包む。私の体温とハナコの体温は等しく暖かく、そこに存在している。私の腕の中で冷たくなっていったハナコは、私のために生まれ変わってくれたのだ。
ハナコは泣きそうな顔をしたかと思うと、私の両掌に包まれた手を自らの額にあて目を閉じる。しばらくそうしてから静かに手を下げ、私に微笑みかけた。
「ありがとう。ワタシは、人間になったんですよね」
「でなきゃ、私がまだ夢を見てることになっちゃうもの」
「それは違います! 弥生さんの願いがきっとこういった夢みたいな現実を叶えてくれたんですよ!」
途端に勢い込んで否定するハナコに私は思わず吹き出してしまった。一生懸命な姿が年頃の少女のそれと同じで実に可愛らしく思える。
私は犬の頃にそうしていたように、彼女の頭を撫でた。ふわふわの髪の毛がくしゃくしゃと形を変える。気持ちよさそうに目を細めるハナコを見て、やっぱり人間になってもくすぐりには強いんだろうかと考えた。
今度、イタズラしてみよう。
私は密かに新たな計画を心中にしたためた。