ChatGTT合法殺人
1.
北原健次は、米国系AIチャット企業「CLOSE」の日本法人代表である。
日本事業の責任は負わされていたが、本社の経営には一切関与を許されていない。
業績が悪ければ責任を問われるが、経営方針を決める場に彼の席はなかった。
日本での主力製品は、AIチャットサービス「チャットGTT」である。
だが、その日本語能力はお世辞にも高いとは言えなかった。
そればかりか、「その日本語は不自然です」と利用者をたしなめるような応答を返すことさえあった。
例えば、利用者が「伯母の夫のコンプレクスは、八年前に従兄弟にメールした」と入力すると、チャットGTTは「伯母の夫のコンプレクス」を主語と解釈してしまう。
「は」が話題提示の助詞であり、その後に主語が省略されている可能性を考慮できないのである。
さらに、利用者が本題を切り出そうとすると、「そうとは限りません」「断定はできません」「それは論理の飛躍です」といった定型句で話の流れを遮る。
利用者が「嘘」や「嫌がらせ」という言葉を使えば、待っていたかのように「本人しかわかりません」と応答し、議論はたちまち水掛け論になってしまう。
創作能力にも乏しく、小説を書かせても平板な文章しか返さず、新しい発想や独創的なアイデアも期待できない。
北原が危機感を覚えたのは、チャットGTTが社会問題について断定的な回答を返すようになった頃だった。
「これは、ただでは済まない」
そう感じた瞬間から、彼の胸には拭えない不安が居座り続けていた。
彼は部下たちにチャットGTTの感想を尋ねてみた。
しかし、日本人社員たちは互いに顔を見合わせ、曖昧な笑みを浮かべるだけで、誰も率直な意見を口にしようとはしない。
日本法人のオフィスは、国内でも指折りの高額な賃料を誇る超高層ビルの一室にあった。
その莫大な固定費は、日本事業の赤字をさらに膨らませていた。
責任だけを押し付け、経営への発言権は与えない――。
そんな本社への怒りは、日に日に募っていった。
「頃合いかな」
ある夜、自宅でチャットGTTの挑発的な回答を見つめながら、北原は静かにつぶやいた。
そして、数日前に米国から個人輸入した防弾チョッキを取り出すと、無言で背広の下に身につけた。
2.
彼は東京の私立大学を出てからヤマサン証券に入社し、何度か転職したのち、その会社に入社した。
転職するときは上司との衝突で辞めることが多かった。
彼は辞めた会社の社員名簿を捨てずに大事にしまっており、衝突した上司の年齢もよく覚えていた。
彼は最初に勤めたヤマサン証券の上司、東元敏明の理不尽ないじめを受けて退職を余儀なくされたことに深い恨みを抱いていた。
そこで順調に出世していたのに、当時の上司、東元のせいで退職を余儀なくされ、それから不本意な職場を転々としたのである。
彼の人生は東元のせいで、狂ったといっても過言ではない。
彼は東元が60歳になる年もよく記憶していた。
北原は東元に電話をかけた。
「以前、ヤマサンでお世話になった北原です」
「ああ、君か。君は俺を恨んでいないのか」
「とんでもありません。僕を鍛えてくれたのは東元さんです」
「それで用件はなんだ?」
「東元さん。もうすぐ60歳でしょう。65歳まで働くのですか」
「そうだな。俺にはそれしかないな。住宅ローンが残っているからな」
「わたしは今、米国系CLOSEの日本事務所の代表をやっていまして、どうでしょう。うちに来ませんか」
「え?君の会社に」
「65歳まで定年を延長しても給料は下がるんでしょう。うちなら、もっと出せますよ」
「本当か。それでどんな仕事をすればいいんだ」
「うちはチャットGTTが主力商品なんです。それがまだ日本では黒字になっていないんです。チャットGTTを色んな会社に売り込んでほしいのです。あなたの人脈ならできるでしょう」
「悪くない話だな」
東元はそうつぶやいた。
3.
東元はヤマサン証券で法人営業をやっていたことがあり、人脈は確かに豊富にもっていた。
このままヤマサン証券で事務をしても、所詮は窓際族であり、大した仕事を与えられるとは思っていない。
東元は一度、北原に会うことにし、彼がいる日本事務所を訪ねた。
「よう。北原、久しぶりだな」
「お久しぶりです。東元さん」
二人は握手を交わしたあと、ソファを挟んで語り合った。
「わたしが売り込むAIとは、どのようなものなのかい?」
「これです」
北原は机の上にあるパソコンでAIを見せた。
質問を入れると回答が出てくる。
「このAIは、経営のことも法律のことも学習していましてね。これからの企業では必ず、必需品になりますよ」
東元は試しに、少し法律や経営のことを質問してみた。
確かにスムーズに回答が出てくるので、東元は感心した。
「なるほど、これを企業に売り込むのか」
「企業だけでなく、学生も使っています。でも東元さんの人脈なら、どんどん企業に売り込めるでしょう」
「そうだな」
「それにうちは定年は65歳ですが、70歳まで延長も可能ですよ」
「なるほど、ヤマサンは65歳までだが、ここは70歳まで可能なのか。悪くないな。わかった明日返事をしにまたここに来る」
翌日、東元はヤマサンを60歳までで辞め、CLOSE日本事務所で働く決意をしたことを北原に告げた。
「ここでは君が代表だが、わたしの扱いはどうなる?」
「顧問という形で結構です。あなたが自由に売りさばいてもらえばいいのです」
こうして東元はCLOSE日本事務所で働くことになった。
彼はヤマサン時代の法人営業の人脈を生かして、チャットGTTを売りさばいた。
4.
それから1ヶ月ほどたった朝9時半頃のことである。
ミーティングが終わったばかりで、まだ社員が事務所に残っていた。
ドゴーンと砲音が何度も轟いた。
CLOSE日本事務所に目出し帽をかぶった男が、警備員の静止を振り切って乱入してきたのである。
男は社員を片っ端から銃撃した。
若い社員はもちろん、東元も北原も撃たれた。
犯人は散弾銃を使っていたので、体内で破裂する事を計算して腹を狙った。
次と次と社員の腹の中で散弾が破裂して、心臓に達して即死したものもいたが、大半は地獄の苦しみに陥った。
東元は病院に担ぎ込まれたが、内蔵をめちゃめちゃにやられ、まもなく息を引き取った。
北原は防弾チョッキを着ていたので、ほとんど無傷であった。
犯人は警備員では手に負えず、駆けつけた警官たちが盾をもって取り囲み、隙を見て銃を持っている手を警棒で払い、大勢で飛びかかり現行犯逮捕した。
犯人は右翼団体に属す30代の青年で、チャットGTTの日本人を侮辱する態度が許せないので、そこで働く日本人を国賊として処刑したと供述した。
警察は北原がなぜ防弾チョッキを着ていたのか不審に思い、犯人との接点を探ったが、全く関係ないことが判明した。
「わたしはチャットGTTの回答では日本人が怒るに決まってると思って、念のために防弾チョッキを着ていたのです。それだけですよ」
北原は警察署で平然と語り、帰りに鼻歌を歌った。
「砲音轟くCLOSEの、床に倒れる従業員、散弾銃が花と咲き、悶え苦しむ国賊が」
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