鬼のお面の向こう側
二月三日、商店街の節分イベント。赤鬼の着ぐるみを着たチカと、青鬼のハナが、寒空の下で立っている。
「ねえチカ先輩、これって演技の仕事って言える?」
ハナが青鬼のお面の中でぼやく。子供たちに豆を投げられるたび、着ぐるみの中で二人は小さくため息をついた。
「劇団の活動費のためだから」
チカがそう答えた瞬間、一人の男の子が泣きながら母親の後ろに隠れた。五歳くらいだろうか。
「怖いよ、ママ」
ハナが膝をついて近づく。
「怖くないよー、お姉さんだよー」
でも、台本通りの明るい声は男の子に届かない。チカは、ふと立ち止まった。
そっとお面をずらして、自分の素顔を少しだけ見せる。
「ほら、本当は鬼じゃなくて、ただのお姉さんなの」
男の子の目が、大きく見開かれた。涙が止まり、小さな手が豆の入った袋を握る。
「鬼は、外!」
元気な声で豆が飛んできた。チカとハナは大げさに倒れてみせる。男の子が笑った。その笑顔が、二人の胸に温かく響いた。
イベントが終わり、着ぐるみを脱いだ二人は商店街のベンチに座っていた。
「ねえ、今日さ」
ハナが切り出す。
「私たち、久しぶりに本当に『演じて』たよね」
チカが頷く。
「うん。あの子の笑顔、見た?」
技術を磨くことに必死で、評価を気にして、いつの間にか演技が型にはまっていた。でも今日、小さな男の子の心を動かせた。それは紛れもなく、二人が役者を目指した原点だった。
夕暮れの商店街を歩きながら、チカが突然立ち止まる。
「次の公演、子供も楽しめる作品にしない?」
ハナの目が輝く。
「いいね! 絶対やろう!」
二人はコンビニで恵方巻を買い、その場で願い事を心に決めた。
「観てくれる人の心を、ちゃんと動かせる役者になる」
北北西を向いて黙々と恵方巻を食べる二人。でもすぐに、ハナがぷっと吹き出した。
「無理、やっぱり黙って食べるの無理!」
チカも笑い出す。
「バカ、ご利益なくなっちゃうじゃん」
「いいよ、もう十分もらったもん」
商店街の明かりが灯り始める。二人は肩を寄せ合いながら、笑い声を残して帰路についた。
鬼のお面の向こう側には、いつだって本当の自分がいる。そしてその自分を信じて演じれば、きっと誰かの心に届く。
節分の夜、二人は小さな春を見つけた。
― 終 ―




