第9話 皇子の帰還と、最強の商談
「人の資産を勝手に持ち帰るなんて、失礼だと思いませんか?」
わたくしは、執務室に並んだ黒ずくめの騎士たちを前に、扇を広げました。
彼らは隣国、レヴァン帝国の精鋭捜索隊。
その中心には、以前リュカの持ち物の中に見出した、あの「双頭の鷲」の紋章を胸に掲げた特使が立っています。
「アステリア令嬢。我らは我が国の正当な後継者、リュカ・レヴァン皇子殿下を迎えに来たのだ。これは国家間の重要事項である」
特使の言葉は重く、冷徹です。
ですが、わたくしは眉ひとつ動かしません。
(国家資産だろうが何だろうが、わたくしの『有能な社員』をタダで渡すわけないっすよ)
わたくしは、リュカを一瞥しました。
彼はわたくしの斜め後ろで、複雑な表情を浮かべています。
彼の指には、あのミスリルの指輪が光っていました。
それは彼個人の「所有物」であり、彼が皇子である証明そのものです。
「残念ながら、リュカ様は現在、わたくしと有効な労働契約を結んでおります。期間内の勝手な離職は、損害賠償の対象になりますわ」
「賠償だと? まさか貴殿の領地を丸ごと買えるだけの額を払えというのか」
「いいえ。お金ではなく、『契約』を求めます」
わたくしは、あらかじめ用意しておいた新たな契約書をテーブルに滑らせました。
「レヴァン帝国とアステリア商会の間での、宝石『ダイヤモンド』の独占供給契約です。帝国がわたくしの宝石を独占的に輸入する権利。その代わり、取引の窓口となる『駐在外交官』として、リュカ様をこの地に留めていただきたいのです」
特使が目を見開きました。
ダイヤモンドは今や、大陸中の貴族が喉から手が出るほど欲しがる「新時代の価値」です。
その独占権という巨大な利益を前に、特使の計算機が回るのが分かります。
(感情で引き止めるのは素人。プロは『利害』で縛るものよ)
「……皇子殿下を、商人との窓口にせよと?」
「ええ。リュカ様の『魔力無効化』という特質は、宝石の品質管理において唯一無二の価値を持ちます。彼を連れ戻して幽閉するより、帝国の国益を最大化する『外交の要』として扱う方が、はるかに合理的ではありませんか?」
わたくしが問いかけると、それまで沈黙していたリュカが、わたくしの肩に手を置きました。
大きな、熱い掌です。
「……俺からも頼む。俺は、この女性のそばで、帝国の力になりたい。これ以上の『適材適所』はないはずだ」
リュカの言葉に、特使はついに深々と頭を下げました。
「……承知いたしました。これより、本件を国家間の公式な特権契約として持ち帰ります。リュカ殿下、貴殿を帝国駐在外交官――兼、アステリア商会の専属監査官に任命するよう上奏しましょう」
「ええ。あと、将来的な『夫』としての席も、予約しておきますわ」
わたくしの言葉に、リュカが顔を真っ赤にして絶句しました。
特使たちが去った後、彼はわたくしを後ろから抱きしめました。
「オリビア……あんたって人は。俺まで『契約』で縛るつもりか?」
「当然ですわ。わたくしの手に入れた最高級の資産を、手放すはずがないでしょう?」
リュカの腕に込められた力が強まります。
もはや、逃げる気も、離れる気もない。
最強の外交権と、一途な皇子の愛。
わたくしは、自分の人生を完全に掌握したことを確信しました。




