シャネルより重い嘘
⸻
「このバッグ、160万。彼、3回目のデートでくれたの」
グラス越しに揺れるモエ・エ・シャンドンの泡。
港区・西麻布の会員制ラウンジ。薄暗い照明の下で、菜摘のシャネルのミニバッグがキラリと光った。
「へぇ、3回でそれって、だいぶ本命じゃん?」
愛梨が猫撫で声で言いながら、ストローで赤ワインをくるくる回す。ワインにストローを突っ込むなんて下品。でも彼女はそれすら“あざとさ”として演出する。
「本命っていうか……まあ、他にも女いるっぽいけどね。金融の人ってそういうもんじゃん?」
「まあね。でもさ、それ、まだ“港区レース”のスタート地点ってとこでしょ?」
二人は笑った。だが、その笑いは本音ではなかった。
本音を言えば──お互いが、相手の男を狙っている。
⸻
愛梨は知っている。
その「金融の彼」、翔太──彼は一週間前、愛梨と西麻布で一夜を共にした。
菜摘が「まだ体の関係はない」と笑っていた時、愛梨はベッドの中で、翔太の癖をすべて知っていた。
だが、言わない。言うわけがない。
港区のルールは“バレなければ裏切りではない”。
「翔太くん、愛梨のことも気に入ってるみたいだったよ?」
ふと、菜摘が言った。
「え?」
「この前、翔太とごはん行ったときに聞かれた。“愛梨ちゃんって、彼氏いないの?”って」
真っ赤なグラスの中で、愛梨の手が止まる。
言葉は甘くても、瞳の奥が笑っていない。
「ふーん、菜摘、やっぱ抜け目ないよね」
笑顔のまま、言い返す。
「お互い様でしょ?」
ドロリとした空気がテーブルの上に流れる。
⸻
その夜。翔太からLINEが届いた。
──《会いたい。今日、来れる?》
送り主は「翔太」。
けれど、本文の最後にはこう書かれていた。
「今日は菜摘には言ってない」
愛梨はスマホを見つめたまま、しばらく考えた。
“港区女子”というゲームで勝つには、時に友情も踏み台にする。
愛梨は指先で、ハートのスタンプを送った。
──《行く♡》
⸻
翌朝。菜摘のインスタが更新された。
モノトーンのベッド。見覚えのあるルイヴィトンの毛布。
そして、横顔だけ写った男性。
《#港区の朝 #幸せ #本命ってこういうこと》
男の輪郭はぼやけている。でも、愛梨にはわかっていた。
──それは、翔太だった。
⸻
愛梨はスマホを伏せ、コーヒーを口に運ぶ。
ビターな味が、昨夜のキスを思い出させる。
この街では、愛も友情も、いつかブランド品のように誰かに奪われる。
だから愛梨は、笑うのをやめない。
たとえその笑顔が、嘘でも。
⸻