77.見てくれる人と受け取れた言葉
ゼツはあれから暫く泣いた後、ミランの腕の中で崩れるように眠りに落ちた。最初、眠ることがなかったはずのゼツに皆慌てたが、ロウが自分も眠ることがあると言った事で、落ち着きを取り戻した。
そして、今はスイに運ばれ、城の一室のベッドでゼツは眠っている。起きる気配のないゼツの隣で、離れることなくミランは傍にいた。
と、部屋の扉が開く音がした。ミランが顔を上げると、食事を持ったロウが様子を見に来ていた。
「まだ、ゼツは起きない?」
「ええ。なかなか起きないかもとあなたに言われてはいたけれども、やっぱり起きないのは不安ね」
実際、ゼツは3日以上眠っていた。同じ体質のロウがいうには、一度眠ると酷い時には一週間ほど眠ることもあるらしい。ゼツは穏やかな寝息を立てているから安心するが、息が止まっていないかと何度もミランは確認した。
「今まで一切寝なかったのがおかしかったんだよ。確かに僕も寝なくてもいいけどさ、嫌な事があっても寝たらスッキリ、とかあるじゃん? そういうのもなく全部ため込んでたんだろうねえ」
「無理矢理にでも寝せれば良かったかしら。ずっと見張りを任せちゃってたから」
「ゼツの性格を考えると、これだけ寝ちゃうなら迷惑かけるって、全力で拒否してただろうねえ」
「そうね。想像できるわ」
ミランは少しだけ笑って、そしてゼツの頭を撫でた。ずっと、ゼツの誰かのための行動は、ゼツが優しいからだと思っていた。けれどもきっと、違ったのだろう。迷惑をかければ、駄目な自分は見捨てられるかもしれないと、常に怯えていたのだろう。
「もっと我儘に生きていいぐらい、ゼツは凄いのにねえ。ミラン、知ってる? ゼツがここに来てすぐは、魔族の子達は皆ゼツに怯えてたんだ。でも、今は初めて見る人間にも怯えてない。ゼツのおかげだ」
実際、3日経ってシュウやケアラは魔族の人たちと馴染んで生活していた。最初、魔族が暮らすこの場所に驚いてはいたが、ロウから魔族の成り立ちを聞いて納得し、今では普通にお互い接している。ミランはずっとこの部屋にいたが、定期的に魔族の誰かがゼツの様子を見に来ていて、ゼツは魔族からも愛されているのだとミランは知った。
「まっ、僕はそろそろ行くから。ミランもご飯はちゃんと食べなよ。ゼツが目を覚ました時にミランがやつれてたら、それこそゼツは責任を感じちゃうよ」
「そうね。そうするわ」
そう言って、ミランはロウの持ってきたスープに口を付けた。温かい、野菜と肉の出汁が出た具沢山のスープは確かに美味しかった。けれどもずっと寝ていて起きないゼツを見ていると、なんだか味気なく感じた。
と、ゼツの体が少しピクリと動いた。食事をしていたミランも、それは見逃さなかった。食べかけのスープを置いて、ミランはゼツの元へ駆け寄る。
「ゼツ……!」
「ん……。あれ……? ここは……?」
ゼツは目を開けると、ミランを見つけてすぐに体を起こす。そんなゼツに、思わずミランは抱きついた。
「良かった……! ゼツが目を覚まして……!」
「えっと、俺……」
「あの後泣き疲れて眠っていたのよ。3日以上よ? ロウさんが言うには、体質の問題らしいけど……」
ミランに言われて、徐々にゼツは記憶を取り戻していく。ミランに抱きしめられながら沢山泣いた。そしてミランの温もりが心地よくなってきて、それに身を任せて眠ってしまいたくなったのだ。
『愛してる』
ミランにそう言われた記憶が、そしてキスをされた記憶が、ゼツの頭から全身に駆け巡る。そして、顔が一気に熱くなる。恥ずかしくて、ミランの顔を見ることができずに咄嗟に目を逸らした。
「ゼツ……?」
ミランは心配そうにゼツの顔を覗き込んだ。そんなミランを見て、同時に自分の心の中を感情のままに吐き出してしまった記憶も蘇る。そして不安になるのだ。自分の弱い感情のために、ミランにあんなことを言わせたのではないのだろうか、と。
「ちなみに、あたしはゼツに死んで欲しくないためだけにあんなこと言ったんじゃないから。ずっと思ってたことだから」
「えっ……」
まるで自分の心を読んだようなミランの言葉に、ゼツは驚いてミランを見る。思っていたことを口には出していないはずだった。そんな驚いた顔をしたゼツを見て、少しだけ得意気にミランは続ける。
「どうせ、ゼツは自分が死にたいとか言ったから、あたしにあんなことを言わせた~、とか思ってるんでしょ?」
「なっ、なんで、その、わかるの……」
目が泳いているゼツの顔がよく見えるように、ミランはゼツの額に触れ、前髪を上げた。
「わかるわよ。だって、ずっとゼツを見てきたのだもの」
「えっ……、あっ……」
ふとゼツの頭に蘇ったのは、ミランの母親に言われた言葉。
『ゼツ君の事を大切に思って見てくれる人は、絶対にいる。それだけは、忘れないで』
ずっと、自分は愛されていないから、どうせ自分の話なんて聞いてくれないのだと諦めていた。だから自分の話をしても仕方ないし、したところで誰かに迷惑がかかるのだと。
けれども違った。自分もミランの事が好きだからわかる。ミランは自分の事を愛してくれているから、全てが知りたくて、そして全てを話して欲しいのだ。それを理解した瞬間、またゼツの中に温かいものが込み上げてきて泣きそうになる。
「……ねえ、ゼツはどうなの」
と、先程の勢いはどこにいったのか、ミランは顔を真っ赤にして俯きながら言った。
「えっと……」
「返事。あたしは、あなたへの思いを伝えたわ。流石に、あたしもあなたから言葉にしてもらわないと、不安よ」
「あっ……」
ミランは、ゼツに愛していると言って、キスをしてくれた。けれどもゼツは、何も伝えていなかった。
答えなんてもう決まっていた。考えることは沢山あったが、それでも、ミランがまっすぐ思いを伝えてくれたのであれば、答えなければいけないだろう。ゼツは覚悟を決めてミランを見る。
「俺は……、俺も……」
「待って!」
けれどもミランは、どうしてかゼツの口を手で塞いだ。
「やっぱり、駄目……! 聞いたら魔力が暴走しそう……!」
「えっ、えぇ……?」
ミランの家で、事故でアレが見えてしまった時、それは慣れて大丈夫だと言っていたはずだった。なのにこれは駄目なのかとゼツは少し困惑する。伝えたいのに伝えられないのは、少しもどかしかった。
「それなら、外にでも……」
「3日以上寝てたって言ってたでしょ! 皆心配してるの! 皆に会いに行くわよ! そうだ、食事の途中だったわ! ゼツ、これ食べて!」
そしてミランはゼツの口に、ロウの持ってきてくれたスープとその具材を、スプーンで無理矢理押し込んだ。そうされてしまえば、ゼツは何も話せなかった。
「ねっ! 美味しいでしょ!? って、ちょっと冷めちゃったわね。……でも、ゼツが目を覚ましてくれたから、さっきより美味しく感じるわ」
そんな行動も全部、ミランが自分を愛してくれているからなのだと、ゼツは理解できた。それは、ミランが愛してると言葉にして伝えてくれたから。だからこそ、ミランにも伝えたいのに。
口の中のものはすぐに無くなって、けれどもミランが嫌と言うのにここで伝えるわけにもいかなくて、ゼツはスープを飲み干すミランをただ眺めた。
「ミランはズルい……」
「何も聞こえない! ほら、食べ終わったから皆の所に行くわよ!」
そう言ってミランはゼツの手を引っ張って、部屋の外へと飛び出した。