70.言いたいことと言えなかったこと
どうしてゼツが死にたい理由をわからないと言ったのか、どうしてゼツがいつから死にたくなったのかを覚えていないと言ったのか、ようやくミランは理解できた。当たり前だ。ゼツが本当に辛い時にすら、あんな言葉を浴びせる人たちとずっと一緒にいたのだから。あれがゼツの日常だったのだから。
ミランはゼツの手を引きながら、まっすぐ街を出た。ゼツをあんなに怯えさせていた街なんて、作り物の笑顔をさせていた街なんて、今すぐ離れたかった。
「ゼツ、ごめんね。もう二度と、ここには連れて来ないから」
人目に付かない街の外で、ミランは目立たないようにと隠していたゼツのフードを取る。ゼツは何かを考えるような、ぼんやりとした顔をしていた。
「ゼツ! ミラン! 待ってくれ!」
と、後ろから追いかけて来たシュウが、二人を呼んだ。ゼツはシュウの方も見ようとはしない。当たり前だ。ここに連れて来た、張本人なのだから。
そんなゼツの様子に気付きもせず、シュウはゼツに詰め寄る。
「おまえが死にたい理由は、おまえの親が原因、だったのか……? ごめん、でも、ちゃんと言ってくれれば……」
「言ってたわよ」
何も言わないであろうゼツの代わりに、ミランは冷たい声でシュウに言う。
「ゼツはちゃんと言ってたわ! 行きたくないって! ここに来た時も、怯えたような目をしてた! それを無視したのはあたし達! 聞かなかったのはあたし達!」
「いや、でも、そんな、もっとちゃんと、なんで行きたくないのかとか言ってくれなきゃ、わかんなくて……」
言い訳をひたすら連ねるシュウの言葉に、ゼツの体がピクリと震える。きっとゼツのことだ。また自分の行動に責任を感じているのだろう。もっと怒ってもいいのに、怒る方法すら知らないのだろう。
「シュウは覚えてる? ビスカーサで皆で家族の話をしてた時、ゼツが親と折り合いが悪いって言った時の事。シュウはゼツの話を聞きもせず、ちゃんと家族に自分の気持ちを話せって説教を始めたわよね。ケアラも」
シュウの後ろで俯きながら聞いていたケアラは、ミランが名前を呼ぶとピクリと震えた。
「家族だから聞いてくれるって、だから大丈夫だって、無責任に言ってたわ。そして、ゼツは何も言わなくなった。ゼツは言おうとしてたの。ちゃんとあたし達に伝えようとしてたの!」
「……すいません、覚えてない、です」
「俺も……」
シュウとケアラにとって、深く考えずに言った言葉だった。だから覚えているはずもなく、そんな言葉が自分達に何も言ってくれない理由を作っていたなんて、思いもしなかった。
『なんで! 誰も! 俺の話を聞いてくれないの!』
アリストの森でゼツが訴えた言葉が蘇る。それは、アリストでの話だけではない。ゼツが旅に出てからずっと自分達に思っていたことなのだと、誰もがようやく気が付いた。ゼツは何も話してくれないと文句を言いながら、実際は自分達が聞いていなかったのだ。
「あたしは覚えてた。ゼツがあたし達に初めて壁を作ったと、気付いたときだったから……。あれ、でも、あたし……」
シュウとケアラを責めながら、ミランは一つの事に気が付いた。自分だけは気付いていた。ちゃんと、気付いていたのだ。
「ちゃんと気付いてたのに、止められなかった……! 覚えてたのに、何もできなかった……! そんなの、あたしが、一番ゼツを……」
「違うよ」
ずっと隣で聞いていたゼツが、静かにそう言った。
「違う。皆は悪くない。寧ろ俺は皆に感謝してるんだ。だって、皆と出会えて、本当に幸せだったから。皆優しくて、皆と話してると、一瞬でも嫌な事全部忘れられた。命をかけてる皆には申し訳ないけど、ずっとこの時間が続けばいいって思ってた」
ゼツはどうしてか、穏やかな笑顔を見せていた。作り物でもない、穏やかで、憑き物が取れたような笑顔。
「ミラン。さっきは俺のために怒ってくれてありがとう。嬉しかった。いつも俺の事、気にしてくれてありがとう。そんなミランに、ずっと救われてた。ミランと出会えて、本当に良かった」
「……ゼツ?」
「シュウもケアラも、俺のためを思って言ってくれてたのはわかってるよ。二人の方が大変なのに、俺の事まで気にしてくれて。騙してたのに、俺の事まだ仲間だって思ってくれてたの、嬉しかった。ずっと、一緒に居たかった」
「ねえ、何を言って……」
まるで遺言のような言葉を紡ぎながら、ゼツは、一歩、一歩とミラン達から下がっていく。
「でも、駄目なんだ。皆とはずっと一緒にいられない。ロウさんに聞いたんだ。俺は成長すら止まるんだって。だから、皆は俺を置いていなくなっていく。きっと俺は耐えられない」
気付けば、ゼツの手には赤いペンダントが握られていた。どうしてそれの存在を忘れていたのだろうか。後悔しても、もう遅かった。
「それにさ。こんなに皆沢山のものをくれたのに、やっぱり俺は変われなかった。今もずっと、死にたい。だから、俺は皆の望む俺になれない。そして、俺も皆に、何も望んでない。だから、もういいよ」
「待って!」
ミランは、慌ててゼツの手を掴む。
まだあなたに伝えていない事がある。まだあなたがわかっていないことがある。
『大切な人だからこそ、ちゃんと言葉にして伝えないと、わからないこともある』
あたしはまだ、あなたに愛してるって伝えてない。
「エナジードレイン」
そんな声が後ろから聞こえた。同時に、ミランは立っていられなくなって、地面にしゃがみ込む。唯一繋がっている手を離したらいけないのに、どんどん自分の力が無くなっていく。
「ごめんね」
そんな声と共に、ゼツはミランの手を離した。