68.嘘と笑顔
それから、四人はミランの屋敷に戻った。ゼツ自身、動く気力も無かったが、ミランに手を引かれれば付いて行くしかなかった。
ミランだけはゼツに何も言わなかった。ただずっと、手だけを握っていてくれた。それがどうしようもなく、ゼツは安心した。
ずっと、静かな時間が続いていた。ミランの屋敷に戻っても、支度を終えてアリストを出ても、誰も最低限のことしか話さなかった。ただ、ゼツの隣にはいつも誰かがいた。夜眠るときですら、誰かが起きてゼツの隣にいて、そうさせてしまう状況にゼツは申し訳なくなっていく。
もし、あの時感情に任せて飛び出さなければ作戦は上手くいっていたのだろうか。魔法で色んなとこ場所を見れると言っていたロウは、この状況を知っているのだろうか。誰の役にも立てない自分という存在を、今すぐ消したくて仕方なかった。
誰もが、一日がいつも以上に長かった。けれども、歩けばいつかは目的地にたどり着く。見慣れた景色は、またあの重苦しい時間が戻ってくる気がして、ゼツは上手く息が出来なくなっていく。
「あれ? ゼツ君じゃないかい?」
と、聞いたことのある女性の声にゼツは顔を上げた。ああ、暗い顔を見せてはいけないと、ゼツは無理矢理笑顔を作る。ゼツに声をかけてきたのは、近所の店を営むゼツも知っている女性だった。
「お久しぶりです! お元気でしたか?」
ゼツは咄嗟にそう答えた。ああ、良かった、普通に話せると、ゼツは安堵した。今の暗くて重い感情を、これ以上他の人に見せるのは怖かった。
「元気さ! ゼツ君はどうだい? 聞いたよ! 勇者様たちと旅に出てるんだって? なんでまた戻って来たんだい?」
「あはは。近くまで来たのでせっかくならと……」
「そうかい! ゼツ君のご両親もゼツ君のこと心配してたよ! 後で顔を見せに行ってやんな!」
「はい!」
そう答えながら、本当にそうなのかもと期待してしまう自分がいた。けれども、そんなの嘘だと別の自分が否定する。きっと、話のネタとしてそれらしく言っているだけだろう。本当に愛されるとはどういうことか、ミランの両親を見て知ってしまった。だからこそ、自分は本当にいらない子なのだと思い知らされた。
「それにしても、このまま本当に魔王討伐に行くのかい?」
と、女性がゼツにそう言った。
「えっと、それは……」
「いやあ、イエルバの件が噂で流れて来てねえ。イエルバの人たちが、勝手に魔族のいる所に移り住んで荒らしちゃって、大切な物を守るために攻撃しただけなんだって? そんなの魔族が可哀そうだという人と、それでも魔族は倒すべきだって人に分かれててねえ……」
「あはは。難しい話なので、シュウ……、勇者も国と相談するって言ってました」
「そうかい! まあ、無事上手くいくといいねえ! 私としちゃあ、勇者が魔王を倒すっていうのも物語みたいでかっこいいし、和解するっていうのも平和で素敵な話だし、どっちでもいいけどねえ!」
勇者と魔族が和解する。もし自分がロウの気持ちを知らなかったら、そうなれるように動いていただろうとゼツは思った。けれどもロウもまた、ずっと死にたいと思っていた。しかも、こんなに苦しい感情を、100年以上も抱えて生きていた。
初めて、ロウは自分の死にたいという気持ちを理解してくれた人だった。同じ感情を持っていて、同じ地獄を知っている人。そんなロウの願いを、ゼツはなんとしても叶えてあげたかった。そして一緒に死にたかった。
女性と話すゼツを、シュウ達は少し離れた所で見ていた。久しぶりに見たゼツの笑顔だった。
「……やはり、故郷は安心するものなのだろうな。笑顔のゼツは久々に見た気がする」
シュウはぽつりと呟いた。
「旅に連れ出してしまったのが間違いだったのかもしれませんね。この街にいた方が……」
「そうかしら」
ケアラの言葉に、ミランは不安そうにゼツを見つめながら言った。
「だって、あたし達と旅に出た理由も、死ぬため、だったでしょう? この街が幸せだったとは限らないわ。それに……」
ミランはゼツからもらったイヤリングに触れる。このイヤリングのようにキラキラとした、まるで宝石のようなゼツの目が好きだった。けれどもその目は、作り物のように冷たく変わるときがある。
「あの笑顔は、ゼツの心からの笑顔じゃないわ。何かをごまかしている時の、作り物の笑顔」
「そう、なのですか……? 私にはさっぱり……」
そんな会話をケアラとしていると、ゼツは女性と別れて戻って来た。
「あっ、えっと、ごめん……」
ゼツはぎこちない笑顔で、三人と目を合わせずに言った。そんなゼツに、ミランは自分が持っていたフード付きのマントを取り出し、ゼツにかぶせる。
「この街、ゼツのこと知ってる人が多いから目立っちゃうわよね。今はあまり人と話したくないでしょ? これ被ってると、気付かれにくいわ」
「あっ、ありが、と……」
そう言いながら、ゼツはフードを深く被る。そんなゼツを見て、シュウはくるりと背を向けた。
「早く、ゼツの家に行こう」
「待って!」
歩き出そうとするシュウを、ゼツは呼び止めた。
「やっぱり、行くのは……」
「そういえばゼツ、親と折り合いが悪いって言ってたわよね。行きたくない?」
ミランが、少し心配そうにゼツを見ながら言った。ビスカーサでゼツがそう言った事を、ミランは覚えていた。初めてゼツに線を引かれたことに気が付いた時だったから、深く印象に残っていた。
「えっと……」
「喧嘩でもしていたのですか? 大丈夫ですよ! ゼツさんをここまで大切に育てて来たご両親なのですから! 実際、お見送りのときもゼツさんのこと心配されていたじゃないですか!」
「きっと、俺達よりも上手くゼツに寄り添ってくれると思う。俺達よりもずっと……」
そう言ったシュウとケアラに、ゼツは何も言わなかった。そんなゼツに、少しだけミランは、このままゼツをゼツの両親に会わせて良いのか不安になる。それほどまでにゼツの顔は怯えていた。
けれども、ミランにとって自分の両親は、ただ逃げたいだけの我儘で家を飛び出しても、戻って来た時に温かく迎えてくれるような人だった。無条件に変わらない愛情をくれる人だった。だから、ゼツの両親もきっとそうなのだと、そして自分達では何もわからないゼツを救うための解決策を示してくれるのだと、信じるしかなかった。