67.死にたい気持ちと駄目なこと
恐らく、薬の副作用か何かなのだろう。ゼツの頭はまだぼんやりとしていた。だから、ゼツを押さえつけていたシュウの手が離れても、逃げるという思考にはならなかった。
そのまま、近くにあった岩にもたれかかるように、ゼツの体は動かされた。ゼツは、ただされるがままになっていた。
それでも、まずゼツの目に入ったのは伝説の剣だった。ぼんやりと自分を殺せる伝説の剣を見ていたら、それに気づいたシュウがゾッとした顔をしてゼツを見た。そして慌て剣を鞘にしまわれ、シュウの背中に隠された。
次にゼツが目に入ったのは、ミランだった。ミランは、どうしてか泣いていた。その表情の理由を理解できるほど、ゼツの頭は動いていなかった。
「ミラ……、ン……?」
「……っ。何……?」
「どうして、泣いてるの……?」
そう言って、ゼツはミランに手を伸ばす。そんなゼツの手を、ミランは震えながら取った。
「ゼツの気持ちに、気付いてあげられなくてごめんなさい……」
「ミランが泣いてるの、俺のせい……?」
「違う、違うわ……。あたしがゼツに甘え過ぎていたことが、悔しいの……」
『大切な人だからこそ、守ってもらうことに、甘え過ぎちゃだめよ』
そうミランの母親が言った言葉の本当の意味を、ミランはようやく理解した。きっと母親は見抜いていたのだろう。ゼツが何かを抱えていることも、そして自分が安心できるこの居場所を壊したくなくて、何もせずに甘えていたことも。
何かを隠しているような違和感にだけは気付いていた。ゼツの感情が少しだけ見えたこともあったはずだった。けれども、ゼツに嫌われたくなくて、踏み込むことを恐れた。いや、本当は、自分がありのままで安心して過ごせる居場所が壊れるのを、恐れていただけなのかもしれない。
そんなミランの頭を、ゼツは撫でる。
「甘え、過ぎてない……。もっと甘えて? 俺、皆と出会って沢山救われて、だから、皆に何か返したくって……」
「そんなものはいらない! 俺はゼツに死んで欲しいなんて望んだことは一度もない!」
ゼツの言葉に、そう叫んだのはシュウだった。
「救われたって言うなら、俺だってゼツに沢山救われてきた! ビスカーサでパニックになった俺にかけてくれた言葉が、どれだけ救われたか! それだけじゃない! イエルバでも、話を聞いてくれた時、どれだけ気持ちが楽になったか! なのにおまえは、何も言わず一人で抱え込んで! そして勝手に死にたくなって死のうとして! 命をなんだと思ってるんだ!」
シュウの言葉に、ゼツの思考は徐々に鮮明になっていく。そして、ようやく、全部バレてしまったのだと頭で理解する。そして、ミランの泣いている顔を見て、シュウの責めるような顔を見て、ああ自分はやらかしてしまったのだと悟った。
わかっていた。命を粗末にしようとするこの感情は、悪いことなんだって。けれども、どうにもならなかった。死にたい気持ちは消えなくて、それでまた迷惑かけるなら、もういっそのこと早く死ぬべきだと思うのだ。
「ごめん……、なさい……」
シュウの言葉に、ゼツはそれだけを何とか言えた。申し訳なかった。自分が心が弱いせいで、そんな顔をさせて、迷惑かけてしまったことが。
「そうじゃない!」
シュウは泣きながら、ゼツに詰め寄った。
「謝るぐらいなら、おまえの気持ちを教えてくれ! おまえのごめんは聞き飽きた! 俺はおまえのことを迷惑だなんて思ったことはない! 出来損ないなんて思ったことはない! どうして何も言ってくれない! どうして俺達を信用してくれない! 俺達だって、ゼツをもっと救いたい……! 救いたいのに……!」
シュウは、縋るようにゼツの腕を掴む。
「頼む。何が辛いのか、何がそんなに死にたいのか、教えてくれ……」
シュウの言葉に、ゼツは何か言おうと口を開く。けれども、言葉は何一つ出てこなかった。辛い記憶だって些細な事ばかりで、なんでそんなに死にたくなるのか自分でもわからなかった。
『しつこい』
そう母親に言われた記憶が、何かを言おうとするたびにぐるぐると頭の中を回る。そして、ビスカーサでシュウやケアラに否定された記憶が、母親の記憶と重なって、声すら出せなくなる。
「なんで、言ってくれないんだ……。なんで……」
「シュウさん、落ち着いてください! さっきの事を考えると、ゼツさん自身わかっていない可能性もあるので……」
ゼツに怒りをぶつけるシュウを落ち着かせようと、ケアラはそう言った。実際、自白剤を飲んで言った言葉に嘘はないはずだった。シュウ自身も、それは理解していた。けれども、それでもその事実を、シュウは飲み込めずにいた。
「そんなわけあるか!」
シュウを諭そうとしたケアラに、シュウは怒鳴る。
「ゼツは死のうとしたんだ! そんなのおかしいだろう!? ゼツは異常なんだ! だから、それだけの事があったはずなんだ! だから……!」
シュウの言葉が、ぐさりぐさりとゼツに突き刺さっていく。やっぱり、自分はおかしくて、異常で、しかもシュウの言うそれだけの事なんて何も無いのに、死にたくなってしまう。異常な自分は、生きているだけで迷惑がかかるのだと、シュウの言葉で証明された気がした。
何も言わないゼツを見て、シュウも諦めたように手に込めていた力を抜く。
「俺達じゃ、駄目なのか……」
シュウは悲しそうに、ゼツを見つめた。
「……ここからなら、ゼツの住んでいた街にも近かったよな。ゼツのご両親に頼ろう。ご両親なら、何かわかるかもしれない」
シュウの言葉に、ゼツは慌てて顔を上げ、シュウの手首を掴んだ。
「それは……、駄目……」
「どうしてだ」
「嫌だ……。お願い……。行きたくない……」
ゼツは震える声でそう言った。けれども、それを聞いた誰もが、ゼツは両親に心配をかけたくないから隠そうとしているのだと思った。3人とも、親に愛されて生きていた。だからゼツの状況を自分と重ねれば重ねるほど、親に心配をかけたくなくて隠しているのだと疑わなかった。
またゼツは誰かに隠そうとしている。そう思うと、シュウは苛立った。
「おまえの今の状況は普通じゃないって言ってるだろ! おまえのためだから!」
おまえのためだと言われてしまえば、ゼツはもう何も言えなくなってしまった。おまえのためという言葉は、ずっと両親から言われてきた言葉だった。だからこそ、思考が止まって、何も言い返せなくなるのだ。
「……いったん、ミランさんの家に戻りませんか? ここでずっとこうしていても、仕方ないですし」
ケアラが、優しい声でそう言った。シュウも、そうだなとだけ言ってゼツに背を向ける。ケアラは、立ち上がれないゼツと目線を合わせるように、かがんだ。
「私は、ゼツさんに生きていて欲しいです。何がゼツさんをそうさせたのかはわかりません。でも、死にたいなんて思っちゃだめです。生きてたら、きっと良いことありますから」
きっとその通りで、ケアラの言うことは正しくて、けれどもゼツは何も言えなかった。死にたいなんて思ったらダメなのに、死にたいが止まらない。
死にたいって思ってごめんなさい。生きたいと思えなくてごめんなさい。ゼツは心の中で、そう繰り返した。