62.欠片と脆い心
「ゼツ! ゼツ……!」
その言葉と全身に感じる温もりに、思考が鮮明になっていく。そうして、また幻覚魔法にかかっていたのだとゼツは理解する。
「ごめん、俺、また……」
「ううん。あたしこそ、気付いてあげられなくてごめんね」
「わ、私のせいです! その、歩いている間は大丈夫だと言ったのは私なので! まさか幻覚魔法に深くかかりながらも歩ける方がいるとは思わず……」
そんな声を聞きながら、ゼツは目の前で燃える茨を見て、ああ無事着いたのだと理解する。今度は冷静でいないとと、ゼツは深呼吸した。
「連れて来てくれてありがとう。これ、俺じゃないと取れないよね」
そう言って、ゼツは燃え盛る炎の中から欠片を取り出して、シュウに渡す。シュウはその欠片を懐に入れ、自分たちが歩いてきた方を見た。
「急いで森から出よう。もしあいつらが襲ってきたら、ミランは何が何でもゼツを連れて逃げてくれ。俺がなんとしてでも時間を稼ぐ」
「わかったわ」
そんな会話をさせてしまうのも、心が弱くて幻覚魔法にすぐかかってしまう自分のせい。そんなことを思いながらも、また先ほどのように感情的に発言すれば、余計困らせてしまうだけなのだとゼツはわかっていた。またぼんやりとしてくる頭で、何が一番迷惑をかけない行動なのか、ゼツは必死に考える。
「もし俺が幻覚魔法にかかっても、ちゃんと歩けてるなら気にせずそのまま進んで。きっと、それよりも早くこの森を出た方がいいと思うから」
「わかったわ。あたしがゼツを絶対に外に連れて行ってあげるから、安心して身を任せて」
結局、思いついたのはミランに頼りきりの内容。それでも、ミランは嫌な顔一つせず頷いてくれた。
「俺とケアラは前方を歩く。ミランは可能な限り後方を意識していてくれ」
「任せて」
それから、4人は再び歩き始めた。歩きながら、シュウはケアラとミランに問いかける。
「二人は、幻覚は大丈夫か?」
「はいです。今の所、すぐ戻ってこれているです」
「あたしも」
ミランは、ゼツの手をぎゅっと握りながら言った。
「あたしが守らなきゃって思ったら、幻覚なんて見ている暇はないわ」
そんな会話を聞きながら、ゼツはなんて自分は弱いのだろうと思った。守らなきゃいけないのに、弱いせいで守られてばかりだ。本当に自分は出来損ないだとゼツは思う。
けれども、やっと欠片は集まった。ゼツはぼんやりと、シュウの背中に背負われた剣を見つめる。その剣の黒い柄の真ん中には、欠けた紫色の神珠がはまっていた。これも、今回取った欠片でやっと完成するだろう。
やっと終わる。やっと皆を守れる。やっと皆に迷惑かけないで済む。やっと苦しみから解放される。
けれども同時に、隣で真剣な顔で歩くミランの顔が目に入る。
『父の事もまだ、許していない』
そう辛そうな顔で言うスイの言葉が蘇る。ミランもまた、自分が死んだらそんな風に思うのだろうか。それとも、泣いてくれるのだろうか。散々ミランに迷惑かけてきた出来損ないの癖に、ミランが自分の事を思ってくれているという希望だけは捨てられなかった。
『そんなわけないじゃん。おまえはやっぱり馬鹿だね』
と、今まで聞いたことない声が、ゼツの頭に響いた。
『彼女がおまえのために怒る? 泣く? おまえがそこまで価値のある人間だと思っているの? まだそんな事期待しているの?』
その声が言った言葉に、ゼツの心臓は煩く鳴った。
『そんなわけないじゃん。ああ、騙してた事には怒るかもしれないけどね。けれどもすぐにおまえのことなんか忘れ去られる。だってそうだろう? 誰もおまえのことなんてどうでもいい』
声の言う通りだ。言う通りなはずなのに、ゼツの心の底にある期待はどうしても消えてくれなかった。
そんなゼツに、声は続ける。
『それとも、おまえは彼女に泣いて欲しいの? 苦しんで欲しいの? 大切なくせに苦しんで欲しいなんて』
声は、ゼツをあざ笑うように言った。
『おまえは化物だね』
その通りだ。大切なのに、そんな相手の涙を願うなんて、苦しむことを願うなんて、本当に自分は化物だ。本当に大切なら、そんな事を思ったらいけないのに。
それならどうしたらいい? どうしたらミランを苦しませない?
あれ? でも、ミランは俺のことなんてどうでもよくて、俺が死んでも悲しまなくて、あれ? じゃあもう死んだっていいじゃん。死んだ方がいいじゃん。
でも、どうして心が痛いの? どうしてミランの苦しみを望んでしまうの? 俺は化け物だから? わからない。わからない。何もわからない。
「ゼツ……!」
本日何度目かわからないこの感覚と、目に入ったアリストの街の光景に、ゼツは無事森の外に出たのだと理解する。まだゼツの心臓は煩く鳴って、頭の中は混乱していた。
「ごめん。俺……」
「とりあえずミランさんの家にいって休みましょう」
ケアラはゼツの様子を見ながらそう言った。目に入る3人の心配そうな顔に、ああまた迷惑をかけているのだとゼツは思う。これ以上迷惑なんてかけたくないのに、まだ頭はぐちゃぐちゃして、また迷惑をかけてしまいそうで、今すぐゼツは3人から離れたかった。
「ごめん、ちょっと、一人にさせて」
「それは駄目!」
どこかに行こうとしたゼツに、慌ててミランは引き留めた。
「今の状態で、一人の時に狙われたら危険よ!」
「それは大丈夫だから。だからお願い、一人にさせて……」
「それなら、せめてあたしの家に行きましょう? そこなら……」
「一人になりたい……」
そう言ったゼツの手を握ろうと手を伸ばした。きっと安心させようとしてくれたのだろう。けれども、一人にすらさせてくれないこの状況に、ゼツは苛立った。
ゼツは思わず、ミランの手を振りほどいた。
「なんで! 誰も! 俺の話を聞いてくれないの! 俺は……!」
そう叫んだ瞬間、ミランの傷ついたような顔にゼツは我に返る。
「あっ、ごめっ……、違っ……」
自分は何を言っているのだろうか。ミランも、皆も、いつも自分の話を聞いてくれるのに。勝手に我儘言って、勝手に怒鳴って。
早く“いつも笑顔で元気をくれるゼツ”に戻らなきゃ。ミランの望むゼツでいなくちゃ。なのにどうして上手くいかない。自分で自分を制御できない。
ああ、早く死んでしまいたい。これ以上迷惑かける前に、死んでしまいたい。
「ミランの家に、行くんだよね……? 俺も行く、行くから……」
ゼツの言葉に、誰も何も言わなかった。ただ何も言わず、ミランの家に向かって歩き始めた。