54.わかることとわからないこと
その後は、ミランの家で皆思い思いに過ごしていた。ミランは、やることがあると自分の部屋にこもっていた。ゼツも、何となく剣の練習をする気にもなれず、ぼんやりと庭を眺めていた。
そんなゼツに声をかけてきたのは、ミランの母親だった。
「ありがとうね。いつもミランを守ってくれて」
その言葉に、ゼツは首を傾げた。昨日の事だろうかとも思ったが、それならば“いつも”と言う事に違和感があった。
「いや、俺はそんな……」
「これはあくまで昔話よ。シット君のこと、ゼツ君も色々と知っちゃっただろうから。子供の頃のミランはね、自分は騎士団長の息子だーって威張るシット君が強く見えて憧れちゃったんだろうね。そんな相手を自分が怪我を負わせただけじゃなく、その後に憧れていた人から自分の事をけなすような言葉を聞いちゃったから。それから、ミランは自分の中に閉じこもっちゃって。私たちは、何もできなかった。本当は今すぐ文句を言いたかったけれども、相手はアリストに住む中では身分も高くて、しかもミランが怪我を負わせた相手。ミランの悪い噂も広まったのに、大人の事情で何もできなかった」
「そんな……! 俺はミランから、ご家族に助けられた話を聞いていて……」
だからこそ、ミランは一歩踏み出せたのだろうとゼツは思っていた。どういう理由であれ、ミランの父親が言う通り、どうにかしたいと一歩踏み出したのだ。そう言うゼツに、ミランの母親は優しくゼツに微笑む。
「昨日もシット君に会ったと言っていたから、きっと酷い事を言われたのでしょう? けれども、ミランは変わらず前を向いていた。きっと、ゼツ君がミランを守ってくれたおかげね」
「いや、それは……! ただ、ミランが強くなっただけだから、俺は何も……」
実際、言われるほど何もしていないとゼツは思っていた。寧ろずっと救われてきたのは自分の方だと思っていた。昨日に限っては、変な事を言って困らせてしまったとも思っていた。
「本当に、夫の言う通りね。ゼツ君は、少し臆病。でも、だからこそ優しくもなれるのかしら」
ミランの母親の言葉に、ゼツは理解ができず首を傾げた。そんなゼツを横目に、ミランの母親はミランの部屋がある2階の方を見つめた。
「子供の事だから、なんでもわかるのよ。今、辛いのか、幸せなのか。ミラン、ゼツ君の前だととても安心した顔をするの。そして、そんなミランを見せてくれたことに、私たちはゼツ君に感謝してもしきれないのよ」
そういえば、ミランの父親も同じような事を言っていた。そして確かに、昨日ミランは自分に対して安心するのだと言っていた。昨日の会話を聞いていないはずなのに、あまりにも自信をもって言うミランの母親の言葉に、ゼツは一つの疑問が沸き起こる。
「……どうして、わかるんですか?」
「そうね。どうしてかしら。赤ん坊の時からずっと見ているから、かしらね。だって、私たちの大切な大切な娘なんですもの」
「そう、ですか」
ミランの母親の言葉に、ゼツは思わずミランの母親から目を逸らして、庭を見た。ミランの家の庭は、避難前だというのに綺麗に手入れされていて、色とりどりの花が咲いていて、ゼツにとってはそれが美しすぎて、眩しく感じた。
自分の気持ちを、親に理解してもらえることなんてなかった。自分がちゃんと伝えてなかったからと思う事もあった。でも、言葉にして伝えたとしても、届かなかった。
ああ、やっぱり自分は親に愛されていなかったのだろうと、ゼツは思う。どうでもいい、いらない子。生まれた時からいらない子。だからきっと、どれだけ伝えても自分の気持ちなんてどうでも良いのだろう。
「ゼツ君」
そんなゼツの心の中に気付いたのか、ミランの母親はゼツに優しく言った。
「世の中には、色んな人がいるわ。でもね、ゼツ君の事を大切に思って見てくれる人は絶対にいる。それだけは忘れないで」
ミランの母親の言葉に、ゼツは何も言えなかった。何かを口に出してしまえば、色んな感情が溢れ出してしまいそうで怖かった。そんなゼツを見守るように、ミランの母親は何も言わず、ゼツを優しく見つめた。
その日の午後、ミランの両親は避難のために屋敷を出ることとなった。準備はほとんど済ませていたらしく、慌ただしさはなかった。そして屋敷はミラン達の拠点として貸し出してくれることとなった。
「4人とも、また無事な姿で会えることを祈っている」
「ありがとうございます。必ず、全員生きて帰って来ます」
ミランの父親の言葉に、シュウはそう言って返した。
「ミラン」
と、ミランの父親がミランを手招きした。きっと最後に家族だけで話したいだろうと、三人は下がる。
「何……?」
「ミラン。ああは言ったが、私達はミランの親だ。ミランの無事を一番に願っていることを、わかっていてくれ。そのためには、誰に何と言われようと逃げ帰っていい。何を言われても、私達が守ろう」
「ありがとう。必ず生きて帰るわ」
「それと」
ミランの父親は、ミランを優しく見つめた。
「これは、少し長く生きてしまった大人からのアドバイスだ。大切な人だからこそ、ちゃんと言葉にして伝えないと、わからないこともある。それも、伝えておきたい」
ミランの父親の言葉に、ミランも何か思うことがあったのか、コクリと頷いた。そんなミランに、隣で聞いていたミランの母親も優しく微笑んだ。
「大切な人だからこそ、守ってもらうことに、甘え過ぎちゃだめよ」
「あ、あたしだって守れるもん。ちゃんと強くなったわ」
「守るって、それだけじゃないわ」
そう言って、ミランの母親は、ミランを優しく撫でた。
「ミランはどう感じていたかかわからないけれど、私達は、ミランに何があっても帰ってこれるように、守っていたつもり」
ミランはその言葉にハッとして顔を上げた。けれども、ゼツの作ったような笑顔が浮かんで、ミランは俯いた。
「守りたい人がいるの。だけど、時折壁を感じて、どうしたらいいかわからなくなるの」
「それは難しい問題だな。その壁を無理やり壊さなければいけない時もあるし、壁の前で返事がなくてもただひたすら待っていなくてはいけないこともある」
「でも、不安になるの。あたしじゃ迷惑なんじゃないかって。本当はそんな事望んでいないんじゃないかって」
ゼツに踏み込もうとする度に、いつも手を振り払われるような感覚に陥った。ずっとずっと、不安だった。本当はゼツは、そんな事を望んでいないのではないかと。
「それは、本人にしかわからないことね。それでも、もしその人が寂しそうな顔をしているなら。あなたを見ているということだけは伝えてあげなさい。選んだものが、失敗の選択かもしれない。傷つくことを言われるかもしれない。けれども、それでも、あなたがその人を大切だと思っているのなら、愛しているという事だけは、伝えてあげて」
ミランの母親の言葉に、ミランは強く頷いた。