アルルカンの涙
「た、探偵クラウン……だと? 馬鹿な、そんなの噂だけの存在だろう!」
先程までの余裕の表情はどこへやら、ファウラーは焦りの表情で満ちていた。地面に這いつくばり、上にはヴィオラが乗っている。身動き一つとれない状況だった。
「おや、教頭先生にまで知られていたなんて、光栄だね。噂だけだと思うならそれもまた一興。だが事実、私はここにいるよ」
クラウンは落ちていたファウラーの銃をしゃがんで拾いその持ち手の部分でファウラーの頭を軽く突く。
「確かに本物のようだ。こんなものを麗しいレディーに向けるだなんてこの国の紳士にあるまじき行為だと思わないかい?」
「ふ、ふざけるな!」
必死にもがくファウラーだが全く動けずにいた。ヴィオラは仮面越しにもわかるほど表情一つ変えずにファウラーをドブネズミを見るかのような目で見下している。正直味方だとわかっていても恐ろしい。
「お、おいっ! 何をしている! 早く誰かこないか!」
ファウラーが誰かに向けて助けを乞うように空を仰ぐ。まるで誰か近くに味方がいるような行動だった。だが当然誰も出てこなかった。
「どうかしたのかい? ああ、もしかして呼んでいるのはこの人達かな?」
クラウンは徐に立ち上がり手を二回たたく。すると扉の向こうからぞろぞろと警備の服を着た屈強な男たちがやってきてファウラーの周りを取り囲む。その数おおよそ十人以上。小屋に入りきらない分は外に待機しているようだった。そして男たちが左右にわかれ、同じ警備の服を着た男たちが両手を縛られ連れてこられる。
「お、お前たち……っ!」
「この人たちはファウラー殿のお友達かな? この小屋の近くで張っていたようだったから全員捕まえておいたよ」
ファウラーの余裕はこういった仲間が側にいたからだったのか。だがそれも今は全員捕まってしまっている。つまり、ファウラーの仲間はもう誰もいなかった。
「この警察官たちはみな私の仲間でね。そうじゃない人間など一瞬で割り出せるさ」
「く、くっそがあああああああああっ!!!」
勝負は始まる前からついていた。最初から、ファウラーの負けは決まっていたのだ。
ファウラーの断末魔に似た叫びは深夜の闇へと溶けていった。
後日、ファウラーは逮捕された。
ファウラーには多くの余罪があり、それが明るみに出た波紋は大きかった。それだけ多くの人が奴に苦しめられてきたのだろうと思うと、胸が苦しくなる。
学園への影響も大きかったが、多くは教頭が不正行為を行ったから解任、逮捕となったと伝えられている。細かいことや不都合なことは揉み消すのがこの世の常だ。少なくとも今の時代はそういうのが正義となる。幸い全てファウラーとその仲間の犯行とされ、学園がどうこうなるといった具合にはならなかったのだけが救いか。私はあの男は虫唾が走るほど嫌いだがこの学園が嫌いなわけではない。この学園にはリリもいるしそれに……。
「やぁ、メグ。ご機嫌麗しゅう」
いろんなごたごたが一段落ついたあと、私はこうしてまたクラウンの事務所に訪れていた。三回目ともなるともうここへ入るのも少しは慣れ……てはないかな、うん。
いつもの様に促されるままにソファに座りすぐさまヴィオラが紅茶をテーブルに置く。少しの無駄もない洗練された動きだった。
私とクラウンはまたテーブルを挟んで向かい合う形に座る。ヴィオラはクラウンの左後ろに綺麗な形で佇んでいた。全く、紅茶を楽しむクラウンと相まって絵になる二人だこと。
私も例に倣い紅茶を一口飲んで一息つく。
「学園の方は平和かい?」
「まぁ……、おかげさまで」
「それは重畳。私も平和が大好きさ」
年寄臭い世間話を挟む。だがそんなことどうだっていい。この人には聞きたいことがいくつもある。
「今日はどのことについて聞きに来たんだい?」
いつかと同じ問いだった。クラウンは悪戯めいた目で私を見る。不思議とその目からは嫌な気はしない。まるで好奇心旺盛な少年のようで、穢れのない無垢な瞳だった。
「先日の事件の全貌と、あなたの正体について、です」
喜んで、マドモアゼル。
そう言うとクラウンは語りだす。それは一つの物語だった。
そう遠くない昔、とある王国で多くの財宝が盗まれるという事件が起きました。大多数の財宝は戻ってきましたが、それでも一部の財宝は戻ってくることはありませんでした。
時が経ち、その国の一室でひっそりと一人の女の子が生まれました。女の子は国王とその愛人の間に生まれた、言わば隠し子でした。
その女の子は秘かに国王の寵愛を受け育ちました。母親からもとても愛されて、目立たないながらも概ね幸せな生活をしていました。
しかし、ある時女の子の母は病に倒れ、そして帰らぬ人になりました。女の子は悲しみました。何度も、何度も泣きました。そして、あることを思い出したのです。
母親がよく話してくれた、一つのオルゴール。父と母の思い出が詰まったものだと聞かされたそれは、財宝と一緒にどこかへ盗まれてしまったそうなのです。
母はもう一度でいいからその音色が聞きたいとこぼしていました。いつしかそれは母親だけではなく、女の子の夢にもなっていました。
月日が流れ、女の子は決心しました。もう一度、オルゴールの音色を母に聞かせてあげたい。もうこの世にはいないけれど、母が愛した音色を取り戻したい、と。
「そうして少女は怪盗と探偵、二つの名を名乗り、その国に散らばった財宝を取り返すことにしたのでした」
「その少女の名は"ロクサーヌ・アダマツェイン"という」
一人の少女の物語、それを語るクラウンはとても穏やかな顔をしていた。その少女が一体誰かなんて、そんなことを聞くほど私は野暮じゃなかった。
アダマツェインはこの国、アダマスの王族の名だ。だがロクサーヌなんて名前の王族は聞いたことがない。つまりクラウンが嘘を吐いているのか、それか本当に隠し子なのだろう。少なくとも私には嘘を吐いているようには見えなかった。
考えて見れば、いくら探偵とはいえ独断で多くの警官を動かすことなどできない。一学園の棟にこんな一室を作るなんてことも普通の人間には不可能だ。だがそこにあの国王が、厳王と呼ばれるほどに厳しく強い現国王の息がかかっているとなったら話は別だ。まさかそこまで規模の大きい話だっただなんて。
しかし、そんな権力の濫用のようなこと世間にバレたら大変な騒ぎになるのに、クラウンは何の躊躇いもなく私に告げた。まぁ仮に私がそんなことを言っても誰も信じてはくれないだろうが。
「私は私のしていることが"正しい"とは思っていない。どこまでも我儘で、自己中心的な考えだ。その上で私は君を、メグを信頼に足る人物だと感じた。だから話したんだよ」
クラウン……いや、ロクサーヌは私の考えを読んだかのように優しげな目を向けて言う。
「……どうして」
「うん?」
「どうして私が信頼できると……?」
聞かずにはいられなかった。私は自分に自信など全くない。なのに、会ってたった数日の人間に信頼できるなんて言われても実感が湧かない。要は証拠がほしかったのだ。
ロクサーヌは手に持っていたカップを静かにソーサーに置く。
「君と私は似ている。私も君も一つの物を追い求めて、そのために努力を尽くしてきた。それだけで人となりがわかるものさ」
私はアルルカンの涙を、ロクサーヌは思い出のオルゴールを求めていた。そこに共感したのだろうか。
「君のことは前から知っていたよメグ。そしてアルルカンの涙のことも。一応他国を含む貴族同士で正当な手続きを踏んで手渡されたものだから王族といえどもが口を出すことは出来ない。だから正々堂々とではなく裏から取り戻すことにしたんだ」
ロクサーヌは懐から大きな宝石を取り出す。まぎれもなく、アルルカンの涙だった。
「本来ならこの国の物ではないものを取り返すのは怪盗αの本分ではないのだが、今回は特別だ。なんたって"アルルカンの涙"だからね」
アルルカンはこの国ではハーレクインと呼ばれている。いずれも同じ"クラウン"と呼ばれる道化師の名だ。
「ピエロとクラウンの違いを知っているかい? その違いは単純。メイクに涙があるかどうかさ。クラウンは客を弄って笑わせることもあるがピエロはそれがない。ただひたすらに、がむしゃらに自分だけが馬鹿をして笑われる。だからピエロは影で泣くのさ。私はそんな人生ごめんだね」
ロクサーヌは席を立ち私の側まで来る。そして膝を立てて王に平伏する兵士のように私へ跪く。
「アルルカンの涙。それは悲しみの涙ではない。涙は悲しい時だけに流れるものではないだろう?」
半ば諦めていた。何とかして取り戻したかった。私達の大切な宝物。それが今、目の前にある。
「涙は嬉しい時にも流れるものさ。それ故に、美しい」
ほら、君のように。
いつしか私の視界はぼやけて、私は今泣いているのだと気付く。
私はこちらに来てから孤独だった。リリとか話しかけてくれる友達はいたけれど、それでも私のことを全ては知らない。当然だ、話していないのだから。だからこそ、一人だった。
だが今は違う。私をわかってくれる人が今ここにいる。私の痛みを理解してくれる人がここにいる。その涙は今まで流したどの涙よりも暖かかった。
「アルルカンの涙は私よりも君の方がずっと似合っているよ」
ロクサーヌは私の手をそっと取り、その手のひらの上にアルルカンの涙を乗せる。だが、私はそれを受け取ることはしなかった。
私は涙を拭うこともせず、ぼんやりとかすむ視界の奥の優しく暖かな顔を見つめる。
「この宝石は、貴方に預けておきます。そしていつか、エトワルとアダマスの仲が良くなったときに堂々と受け取りに来ます」
その時まで、どうか大切に持っておいてください。怪盗αさん。
αの表情は見えない。だが声だけはちゃんと私の耳に届いていた。
「ええ、かしこまりました。マドモアゼル」
その声からは一つの決意が伝わってくる。王につながるものとして、一人の探偵として、そして怪盗として。ロクサーヌには私の意思が届いていた。
「あーあ、つまんなーい。つまんないつまんないよー」
今日もまたリリが癇癪を起こしている。理由はもう何度も聞いている。
「なんで事件解決しちゃったかなぁ。私まだ何にもしてなかったのにー。ぶぅー」
あれから数日。アルルカンの涙……もといハーレクインの雫は再び学園に戻された。何でも探偵クラウンが怪盗αを追って取り返したんだとか。真相を知っている身としてはとんだマッチポンプだと思う。
そして帰ってきたハーレクインの雫は大々的に公表された。前は厳重に保管されていたのだが校長の意向で誰でも見れるようにしたらしい。ファウラーが居なくなった今それを邪魔する人間は誰もいなかった。
恐らくこの学園の校長も何らかの形で厳王、もしくはロクサーヌと関わっているのだろう。が、そんな闇が深そうなこと一市民である私には全く関係のないことだった。少なくともあの肥えた人がいいだけの校長は人畜無害だ。ロクサーヌがそう言ってたし間違いないだろう。
さて、そのロクサーヌはというと……。
「やぁ、おかえり。お疲れ様、メグ」
私は何故か再びこの事務所に来ていた。いらっしゃいじゃなくおかえりになっているのは私が今日ここに来るのは二回目だからだ。
「頼まれてたもの、これで合ってます?」
背負っていたリュックサックを降ろし中から一冊の本を取り出す。学園の図書室から持ち出した資料だった。
「ああ、それだよ。ありがとうメグ」
私はあの一件以降ロクサーヌ……というより探偵クラウンに無駄に気に入られたらしく、ちょくちょくこうしてお手伝いの真似事をしている。正直いいように使われているだけである。確かにロクサーヌには恩があるとはいえ人使いが荒い。こんなことヴィオラにでもやらせればいいのに。
「私とヴィオラはこの学園の生徒ではないからね。ここが隠れるのに都合がいいから居座っているだけだよ」
私の考えていることをさらに先読みしてきやがった。本来ならアルルカンの涙の一件が終わったのだからここから出ていけばいいのにと思う予定だったのは内緒だ。
ロクサーヌは派手なイメージがあるがやはり国王の隠し子ということもありあまり表には出れないのだという。お付の人もヴィオラという頼れる人物だけらしい。
因みにヴィオラは王国でも有数の騎士候補だったが女性であるためにいろいろと確執があり国王のススメでロクサーヌに付き従っているのだという。確かに仮面をしたヴィオラが学園内をうろついていたら目立つ。仮面をしている理由は怪我などではなく時折ロクサーヌと入れ替わって怪盗業と探偵業を両立しているためだとか。ほんともう、なんでもありだなこの人。
「さて、メグも来たことだし本日の"クラウン探偵団"のお仕事を開始するとしようか」
なんかわけわからない団体に私も入れられてないか?
そんなこんなで今日も始まる劇場のような一日。正直勘弁してもらいたいのだがそれがまた楽しいと思ってしまう自分もいるわけで、まったく、人生ってのは一秒先のこともわからないものだ。
「さぁ、始めよう。人生はいつでも喜劇的に、だ。その先にハッピーエンドは待っているのだから」