開演
草木も寝静まったこの時間帯、動くものの気配は私以外にはいなかった。こんな時間に外をうろついているのは大体見回りの人間か、もしくはろくでもない人間と相場が決まっている。
だが、それにも例外はある。たった今、麗しく儚い宝石が保管されているその場所が幾人もの怒号で埋め尽くされた。その中心では恐らく、喜劇的な怪盗が美しくも豪胆に舞うような舞台演技を繰り広げているのだろう。ちょっとだけ見たい気もするがそんなことを気にしている余裕は私にはない。
私にとっての大舞台がもうすぐここで始まるのだから。
「入れ」
校舎から少し離れた小屋の扉を軽めのノックをするとすぐに返事が返ってきた。ドアノブに手をかけ回すと扉の軋む音が悲鳴のように鳴る。まるで私の恐怖心を表しているようだった。
「ああ? なんだ? 誰だ貴様は」
目の前の男は扉の先の相手が予想していた人物ではなかったことが気に食わなかったらしい。早くも声色に怒気が含まれていた。だが私は引くわけにはいかない。敢えて臆することなく前に出る。
「貴方の企みはもうバレています。大人しく観念してください。ファウラー教頭」
震える足を悟られないように背筋を伸ばし、睨みつける。今私の目の前にいる男の名はファウラー。この学園の教頭であり、私の家からハーレクインの雫を、いや"アルルカンの涙"を奪った男だった。
吹き出すように笑い出すファウラー。何が可笑しい。わざとらしくご自慢の髭を撫でる仕草は余裕の表れか。背の低さに見合わない豪奢なスーツ姿の男は笑い声を止め私を見据える。その舐めるような視線が気持ち悪い。今にも逃げ出したくなる。
「お前は……ああ、エグマリヌのガキか。そういえばいたなぁ。この学園に入ってきたときは他人の空似かと思ったがまさか本物だったとは。それで? 何しに来た」
「……貴方の計画を阻止しに来ました。アルルカンの涙を貴方の自由にはさせません」
絵に描いたような悪人面を浮かべたファウラーは私を煽るようににたりと笑う。企みがバレているとわかっているはずなのに少しも動じた様子はない。
私も負けじと精一杯な不敵な笑みを作る。だが普段からそんな顔したことないためぎこちなさが拭えない。そしてそこから緊張の色が漏れ出す。
「ハハハッ! どうしたガキぃ! 威勢が良いのは口先だけじゃねぇか! 震えてるぞ!?」
「黙りなさいッ!」
私は懐から銃を取り出しファウラーへと向ける。威嚇のための偽物だが見た目にはわからない。ファウラーの目は一瞬驚きの色を見せるがすぐに余裕の物へと戻る。その変化の意味を理解する間もなく私は背後から何者かに両腕を抑えられ銃をはたき落とされた。
「きゃっ!」
「その綺麗な手はそんな物騒なものを持つための物じゃないだろう? お嬢さん」
私は背後の人物を確認できなかった。だがファウラーの一言によりその正体を教えられる。
「遅かったじゃないか怪盗α! 待ちくたびれてそこのガキと遊んでしまったよ」
「ああ、すまなかったファウラー殿。あなたの息のかかっていない警備を撒くのが少し手間でね」
「それはそれは、こちらこそすまない。本当は全ての警備を私の部下にするつもりだったのだが、どうも警察というものは面倒でね。無駄な正義感にあふれた木偶を払うことが出来なかったのだよ」
二人してクククッと笑う。私は首だけで後ろを見ると、見るからに"怪盗"といった衣装に身を包んだ人物が私を抑えていた。そしてその手には大粒のアクアマリンが握られていた。
「ご依頼の品は確かにこの手に」
「おお! 流石は世紀の大怪盗と名高いαさんだ。報酬は前伝えたとおりの金額で良いね?」
怪盗αとファウラー。二人はグルだったのだ。そして今の私は二人の悪党に捕まった一人のか弱い少女という図式だった。
「く、くそっ! 離しなさい!」
「こらこら、暴れてはいけないよ。淑女らしく大人しくしていなきゃ」
私は表情を恐怖に変える。まぎれもなく今の私はピンチだった。その顔を見たファウラーは汚らしく口を歪ませ笑う。
「はっは。その表情で完全に思い出したぞ。貴様、エグマリヌの奴からハーレクインの雫を受け取るときに私を泥棒呼ばわりしたんだったな?あの時は正式な手順であれを貰い受けたはずだが?」
その言葉を聞き頭に血が上る。この男、あれを正式だというのか。
「ふざけるな! 貴様が何をしたと思っている! 私の家を滅茶苦茶にした挙句、家宝のアルルカンの涙を奪っていったくせに!」
ファウラーは私の言葉に耳を貸さないかのように黄ばんだ歯をむき出しにしていた。何も、何も痛まないのかこの男は。私は悔しさに唇を噛み、血を滲ませる。
「おやおや、人聞きの悪いお子さんだ。私とエグマリヌは笑顔で握手した仲だというのになぁ」
大仰に肩をすくめるファウラー。一つ一つの仕草が私を苛立たせる。
するとここまで静観していたαが突然口を開いた。
「ファウラー殿。この宝石にはどんな物語が刻まれているのか、お聞かせ願えますか?」
「ああα君、あなたには大変お世話になった。そのお礼にお教えいたしましょうか」
上機嫌なファウラーは雄弁に語りだす。それは紛れもなく私の家の物語だった。
私の家、エグマリヌ家は母国"エトワル"の中でも名家として名高かった。だが、ある時隣国の"アダマス"の貴族と諍いが生じてしまう。原因がわからぬまま険悪になる両家。その時その仲を取り持つと言い出したのがアダマスで力を持つファウラーだったのだ。
ファウラーは両家の仲を取り持つ代わりにエグマリヌ家の家宝であるアルルカンの涙という大きなアクアマリンを差し出せと要求してきた。最初はとんでもないと突っぱねていた父だったが、そうこうしているうちに両家の中はどんどん悪くなっていった。
元々エトワルとアダマスの仲は良くなく、父はどうにかして良好な関係になりたいと思案していた矢先の出来事だったため、泣く泣く父はファウラーを頼ったのである。
「だが! それもこれも全部お前が仕組んだことだったじゃないか!」
全てはファウラーの計画の内だった。アダマスの中でエトワルを毛嫌いし、尚且つ力を持った貴族を唆し、高価な宝石を巻き上げる。それが奴の仕組んだ罠だったのだ。
気付いた時にはもう遅い。友好の証として渡されたアルルカンの涙はもう戻ってこない。そしてその宝石はハーレクインの雫と名を変えて実質ファウラーが仕切るこの学園へと収められたのだ。
「だがねぇ、たとえこの学園にあったとしてもそれは私の物じゃあない。だからα君、君に盗まれたことにして私の物にしようとした、というわけだよ」
ご理解いただけたかな? と首を傾けるファウラー。それと同時にαの笑う声が聞こえだす。
「ファウラー殿、あなたは相当な悪役だ。私など霞んでしまうほどに」
「そうかい? 君も泥棒なのだからわかってくれると思っていたんだがね」
一息ついた様子のファウラーは潮時だと言わんばかりに腰に忍ばせていた銃を取り出す。
「こいつは本物だぜお嬢ちゃん。お嬢ちゃんは大人の世界に首を突っ込み過ぎたんだ。だからここで消えてもらう」
ゆっくりと私に向けられる銃口。そしてファウラーは嬉々として目を見開いた。
「学園のお友達には不幸な事故で死んだと伝えておくよ……。そこの怪盗と共になッ!!」
銃口は私にではなくαの方へと向けられた。そして引き金に指をかけようとしたその時、ファウラーの背後から黒い影が伸び、銃を取り上げファウラーを床に抑えつけた。
「なっ!!?」
何が起きたのか理解できていない様子のファウラー。その上には獲物を捕らえた猟師のような冷徹な目をしたヴィオラが鎮座していた。
「な、なんだ貴様! ど、どこから……ッ!!」
私を抑えていた手から力が抜ける。と言っても抑えていた、というよりは支えていたと言ったほうが近いかもしれないが。
怪盗αは私の前に出ると床に伏すファウラーの目の前まで歩く。そして大仰に舞台劇のようなポーズを取りファウラーに告げる。
「私の名は怪盗α。またの名を探偵クラウン。以後お見知りおきを」
怪盗α、いや、クラウンはファウラーを見下すように不敵な笑みを見せていた。