アクアマリン
「ねーメグー、ねー、ねーったらねー」
教室の自分の席で物憂げに窓の外を眺めていたら大きなわんこが相手をして欲しそうに私の周りをぐるぐると回っていた。
「なに? リリ」
「なにじゃないよー。かまってよーさみしーよーおなかすいたよー」
最後のは知らないけど。
昨日の放課後、怪しいメモに従い怪しい自称探偵の元へと赴いた。そしてその探偵からハーレクインの雫を守るのを手伝ってほしいと頼まれた。けど、私は断った。
本当はいろいろ聞きたいことがたくさんある。貴方は何を知っているの? どうして私なの? 貴方は何故あれを守りたいの? でも、私にはもう関係のないことだから。だから断った。
このままハーレクインの雫が学園に残ろうと、怪盗が盗もうと、私にはもう関係ない。どちらにせよもう私の元へと帰っては来ないのだから。
はぁ、とため息が漏れる。考えていても仕方ないか。その怪盗は予告した時刻以前に犯行に出ることは絶対にないらしい。それが人気の理由でもあるという。だとしたら日曜日までは安全だということだ。
今日は水曜日だからあと四日。それだけあるならもっと安全なところに避難させればいいものを、学園側がここが一番安全だと言って聞かないんだとさ。いつも避難させては盗まれているから金庫やら保管庫の信用がガタ落ちだそうだ。迷惑な怪盗だな。
何にしても、私には関係ない。
「ねー、メーグーちゃーんー」
癇癪を起したリリが私の肩を揺らす。もう放課後だから帰ろうということだろうけど少しは一人で考えさせてほしいものだ。まぁリリには何も話してないからしょうがないんだけど。
「わかったわかった、ホットドッグでいい?」
「うわーい! メグのおごりー!?」
「自分の分は自分で出せ」
「へーい」
時々リリの明るさが羨ましくなる。そして、笑顔にはいろんな意味があるんだなって、改めて思うよ。
帰り道によく開いているホットドッグの屋台でミルクとポテトを買い、近くの公園のベンチに座る。夕食前にお腹いっぱいにするわけにはいかないのだが、リリは元気に大きなホットドッグにかぶりついていた。この子の場合これを食べても夕食も大盛りで食べるんだろうなぁと容易に想像がつく。頬にケチャップを付け幸せそうな顔をしているリリを見ると悩みなどどこかに飛んで行ってしまいそうだ。
「放課後に買い食いとは、見かけによらずアクティブなお嬢さんだね」
不意に背後から話しかけられ咄嗟に振り向く。そこには昨日見た怪しさ満点の探偵とその相棒の姿があった。
突然の登場にリリが咽てしまった。私が飲み物を差し出そうとするよりも早くヴィオラが水筒からコップに飲み物を注ぎリリに手渡していた。それを受け取り一呼吸置き落ち着いた様子のリリは時間差で二人の姿を見て驚いた表情をしていた。
「やぁ、すまなかったね。そこまで驚かれるとは思っていなかったよ。お詫びにそこのカフェでお茶でもいかがかな? 勿論私が出そう」
これはまずい。私としては今すぐにでも逃げ出したいのだがそんな提案をされると……。
「え!? おごり!? いくいく! メグいこ!?」
この駄犬、疑うという心を持っていないのだ。
リリに肩をゆらゆら揺らされながら考える。もし私一人だったら絶対に話に乗っていない。だが不幸にも今はリリがいる。リリには一人の時には知らない人には絶対ついていかないようにと言い聞かせてあるが、私がいる以上提示された条件を蹴った後の欲求は私に来る。今も駄々っ子のように私に縋るリリをなだめるのは容易ではない。
そして何より、この人は"私"を知っている。再び近付いてきたということは逃がすつもりはない、ということだ。ならば穏便に済ませる他ない。
「……少しだけですよ」
不承不承ながら誘いに乗る。本当に、厄介なのに目を付けられてしまった。
カフェに入ると脇目も振らず奥の席へと直行するクラウン。まるで最初からその席を予約していたかのようだ。一方ヴィオラはお先にどうぞ、と言った様子で先に席へと向かうクラウンの方へ手を向け私達を誘導する。未だにこの二人の関係などわからないことだらけだった。
促されるままに席に座る私とリリ。案の定リリは全く警戒などしていない様子で、何頼もっかなぁなどとうきうきと屈託のない笑顔を浮かべている。いつかこの子変な人に騙されないかと心配でならない。
「……どういうつもりですか?」
私は単刀直入に聞いた。長いこといると相手のペースに乗せられそうな気がして、少し焦ったようにクラウンへ目を向ける。だがクラウンは自分の唇へ指を当て"静かに"のジェスチャーとともにメニューを手渡してくる。
「まずは落ち着いて。ここのおすすめはローズティーかな。美しい君たちにはぴったりだよ」
妖艶な笑みを浮かべクラウンは歯の浮くようなセリフをこぼす。別に同性に美しいと言われても嬉しくない。何か頼まないと話を進めないつもりなのだろうか。隣のリリはぽかんとした表情をしていた。
「では、いただこうか」
並べられた紅茶を手に取り音もなく飲むクラウン。その仕草はどこか貴族を彷彿とさせるような気品に溢れていた。隣で時間差で自分のカップを手に取るヴィオラも同様だ。というかヴィオラもクラウンの隣に座っているということはヴィオラはクラウンの従者というわけではないのだろうか。
ヴィオラの仮面が目立つことを除けばこの二人、見た目もさることながら所作もやはりとても上品だ。もっと言えば浮世離れしている。若い家主とその執事。それがぴったりイメージに当てはまる。どちらも女性だが。
ちなみに私の隣にはアフタヌーンティーのセットとしてきたケーキスタンドのマカロンをハムハムと頬張っている何かがいる。正直私が恥ずかしい。
「お気に召さなかったかな?」
「いえ……」
私の苦い表情を見たクラウンが微笑みかけてくる。どうも私はこの人が少し苦手なようだ。何かを見据えたかのような目、全てお見通しだと言わんばかりの口調。あまり一緒に居たくはない。早く話を済ませて帰ろう。
「さて、挨拶がまだだったね。こんばんはメグ。初めましてリリ」
私が切り出すよりも先にクラウンは口を開いた。この人、リリのことも知っているのか? リリもマフィンを口に含みながら驚いた表情を浮かべていた。早く飲み込んでそれ。
「あれ、私のこと知ってるの?」
「ああ、私はあの学園のことなら何でも知ってるよ。何故なら私は"探偵クラウン"だからね」
その一言がリリの好奇心に火をつけた。
「え!? クラウンってあのクラウン!? 頼めば何でも事件を解決してくれるっていうあの!?」
テーブルに手をつき身を乗り出すリリ。もししっぽが生えていたらぶんぶんと振られていたに違いない。
私はリリをどうどうとなだめながらクラウンを見つめる。昨日は一人で来いって言ったくせに今日は随分と簡単に正体を明かすものだ。何か違いがあるのか?
興奮冷めやらぬ様子のリリはふんすと鼻息を荒くしてクラウンへと問いかける。
「クラウン! いや、クラウンさん! 怪盗αの挑戦状受けるんですか!?」
事情を知らないリリは知らず知らずのうちに地雷を踏み抜きに行く。クラウンは紅茶を一口含むとゆっくりと喉を鳴らす。そして十分の溜めの後不敵な笑みでこう答えた。
「ああ、勿論。そしてそのために君たちに力を貸してほしいんだ」
ずるい。本当にそう思う。そんなこと言われたら好奇心と食欲の塊みたいなリリが乗らない訳がない。そしたらなし崩しに私まで巻き込まれる。この人は最初からそのつもりだったのだ。
目をこれでもかとキラキラと輝かせたリリを前にして私に逃げ場など無かった。
「ふふーん。ふっふふーん」
昨日とは違った雰囲気で私の席の周りをぐるぐる回るリリ。わかりやすすぎる。
「リリ、昨日のことなんだけどさ……」
「おっとメグ! それ以上は言っちゃあいけないよ。なんたって私達には守秘義務があるからね……」
リリは私に近付き耳元で囁くように言う。
「私達はもう……、探偵の仲間なんだからっ。きゃっ」
とことん調子に乗ってる。
昨日リリがクラウンに言われたことは、怪盗αを捕まえるために仲間が必要だから手伝ってほしい。詳しい内容は追って伝える。それだけだった。なのにリリときたらこのテンションである。本当は誰かに話したくてうずうずして仕方がないのだろう。さっきからにやにやが止まっていない。リリのテンションに反比例して私の気分は重く沈んでいた。
クラウンがリリに言ったのは、本当にそれだけ。だけどクラウンは私にはもう一言告げていた。
――ハーレクインの雫は、君にこそふさわしい――
……本当に、どこまで知っているんだか。
もしも、もしもハーレクインの雫が戻ってくるのなら、私は嬉しい。
だってあれは元々、私の家の物だったのだから。
「やぁ、いらっしゃい」
私は再びこの場所を訪れていた。
まるで探偵事務所のような一室は普通の方法では入ってこれない。部室棟の三階の南奥の部屋、そのさらに奥の床から入ってこなければならない。しかも中から開けてもらわないと入れないという。常に誰かいるというのだろうか。
「私とヴィオラは手先が器用でね。このくらいの鍵なら自在に開け閉めが出来るんだよ」
だから考えていることを読まないで。
恐らく私が天井の小さな扉を見つめていたからそう答えたのだろう。油断できない洞察力だ。さすが探偵を名乗るだけのことはある。
一昨日のように何も言わずともソファに座るよう促され紅茶が出てくる。ヴィオラに礼を言っている間にクラウンは正面のソファに座っていた。まるで要件がわかっているとでもいうように。
「今日はどのことについて聞きに来たんだい?」
指を組みその上に顎を乗せクラウンは私へ優しいまなざしを向ける。その仕草は女性である私でも美しいと思ってしまうほどにクラウンに似合っていた。
クラウンは中性的な容姿で、長く美しい髪が女性らしさを際立たせている。男性からだけではなく女性からもあらぬ声が上がりそうなほど彼女は美しかった。だが今はそんなことにかまけている場合ではない。大体私にそんな趣味ないし。
私はクラウンの流儀に乗っ取り紅茶を少し口にしてから話を切り出す。
「貴方の目的と、その全てについて、です」
クラウンの表情は変わらない。だが彼女は少しばかり嬉しそうに答えた。
「喜んで。Mademoiselle Aigue-marine」
エグマリヌ。その名前をこの学園で聞く日が来るとはつい先日までは夢にも思っていなかった。
私の名前はマルグリット・ド・エグマリヌ。この国の隣国出身で、訳あってこっちに来てからはマーガレットと名乗ることにしている。そしてリリからはメグと呼ばれている。
さぁ、ここまで来たからにはもう引き返せない。覚悟は決まったかどうかはわからないけれど。どうせチャンスなんて殆どないんだ。だったらその差し伸べられた手を取って"勇気"を振り絞るのもたまにはいいのかもしれない。
それがアクアマリンの名が持つ意味なのだから。