クラウン
女子校の部室棟なんて正直来たくなかった。とりあえず落ちているものをあまり見ないように指定された場所へと向かう。どっちが南なのかわからないが、この棟は横長になっているのでどちらかの端が南だろう。行けばわかるさ。多分。
私は棟の三階の廊下を往復二週したところで足を止める。
どこだろ……。
南の奥まで来てくれとメモには書いてあるが両端の奥には何もなかった。やはり担がれていたのだろうか。あと調べてないところと言えば、部室ではない古びた用具室しかない。
まさかここか? 扉からして汚くて入りたくないのだけど。
少し様子を見てみると用具室の扉はドアノブだけは錆がなく綺麗だった。これはここへ入れということか?
私は意を決して数回ノックしてから扉を開ける。中は予想通り部活用の道具が散乱して小汚かった。私は少し顔をしかめながらそこへ足を踏み入れる。
うーん? と顎に手を当て考える。やっぱここじゃないのかな。当然ながら誰もいない。あるのは使い古されたボールやら何に使うのかもわからないような道具たちだけ。
もう諦めて帰ろうかな。何事も諦めが肝心だし。
数秒の間思案し自分を諦めで納得させたとき、室内に妙な空白があることに気付く。物だらけの床が一部だけ露出しているのだ。少し気になり近付いてみるとそこには床底収納のような扉が付いていた。
……ここを開けろってこと?
口がへの字になる。正直もう帰りたい。だけど、あのメモの一文が気になる。このまま帰っても気持ちが悪い。
私はハンカチを取り出し扉の取っ手の部分に手をかける。思い切って開けると、ぎぃっという音と共に思ったよりも簡単に開いた。
やはり中は収納スペースのように縦の長さが私の腕の長さと同じくらいの狭い空間があった。そして開いた扉の裏に"ここで待て"と書かれていた。どうやら当たっていてしまったらしい。あんまり嬉しくない。
指示を無視して帰ろうかと考える暇もなく床下から物音が聞こえてくる。すると唐突に床下の一部から光がこぼれ、そこが私が開けた扉のようにもう一段階開いたのだ。
「わわっ」
いきなりの出来事に思わず飛びのいてしまう。恐る恐る開いた扉を覗くとそこには……。
「やぁ、お嬢さん。ようこそ私の探偵事務所へ」
胡散臭い笑顔を浮かべた胡散臭い女の子が顔を覗かせていた。
「あ、あのぅ……」
「ああ、気にしないで寛いでくれたまえ。飲み物は紅茶とコーヒーとミルク、どれがいいかな?」
床下についた扉の奥には梯子が掛けられており、なし崩しにその下へと招かれてしまった。
どうやらここはこの棟の二階部分に当たる様だ。こんな風に三階と二階が繋がっていただなんて。普通に入ってこれないのだろうか。
「この部屋は扉が無いからね。前はあったんだけど必要ないから潰してしまったんだ」
扉が必要ないってどういうことだ。あと勝手に心を読まないでほしい。
部屋には天井にある小さな扉を除いては入り口はおろか窓すらない。至る所に配置してある明かりが無ければ昼間でも真っ暗だろう。普段私たちが使う教室の半分ほどの面積のこの部屋には所狭しと本や書類が積まれその隙間を埋めるように高級そうな絨毯が敷かれている。中央奥に鎮座する大きな机には先程の胡散臭い少女がやんわりと笑みを浮かべていた。そして一番気になるのは……。
「えっと……」
「ああ、彼女かい? 彼女はヴィオラ。私の大切な相棒さ」
女性にしては身長が高めで紳士のような衣服に身を包み、まるで宮廷に飾られる鎧のようにピシッとした姿勢で微動だにしていなかった女性は、少女に紹介されると私へぺこりと会釈をする。私も思わずつられて頭を下げてしまう。
この部屋には現在三名。私と胡散臭い少女と、ヴィオラと呼ばれた蝙蝠のような目と鼻を覆う仮面をつけた女性だけだった。
「彼女の仮面が気になるかい? 彼女は昔顔に怪我をしてしまってね……。おおっとそうだ、まだ私のことを紹介していなかったね。私としたことが礼儀を欠いていた。では失礼して」
他にもツッコミどころがありすぎるような気がするがそんなことは彼女は気にしていなかった。そして彼女は私の前まで来て劇のような大仰な素振りでこう言った。
「私の名は"クラウン"この学園の探偵さ」
私は瞬時に納得する。この人がこの学園で七不思議の如く噂されていた探偵クラウンで、私は今とてつもなく面倒なことに巻き込まれているのだと。
「まぁまずは落ち着いて座り給え。飲み物でもどうぞ、お嬢さん」
私が呆気に取られているとクラウンと名乗る少女は笑顔で目の前のソファに座るように促し、自らも席を立ちその向かいのソファへ向かう。言われるがままちょこんと座ると、すかさずヴィオラと呼ばれた女性が私の目の前のテーブルにカップに入った暖かそうな紅茶を音もなく置いた。
「ど、どうも……」
それしか言えなかった。絵に描いた物語みたいな光景に言葉を失っていた。
クラウンとヴィオラ。さっきすれ違った時は制服を着ていたが、今は二人とも制服を着ていない。どちらもスーツのような上品な正装に身を包み、クラウンは長めの黒髪と鋭さと柔らかさを併せ持った目をしていた。仕草や口調からは感じられないが、顔かたちを見るにもしかしたら私と同年代くらいなのかもしれない。
一方ヴィオラの方は、控えめに装飾の施されたテーブルを挟んで私の正面のソファに座るクラウンの真横で無表情のまま腕を後ろで組み微動だにしていなかった。派手ではないものの目立つ仮面に気を取られていたが、彼女もまた美しい黒髪で、長い髪を頭の後ろで結んでいる。顔まではよく見えなかった。
毒など入ってはいないよ、と言いながら私の目の前にあるものと同じカップを口元に当て傾けるクラウン。別にそういうことを疑っていたわけではないが、そう言われては飲まない訳にはいかない。
私もカップを手に取り置いてあった角砂糖を一つ入れ紅茶を一口飲む。苦味や渋みなど無く飲みやすい上品な味わいだった。これは間違いなく良いところの物だろう。
「さて、君に来てもらった理由を説明する前に一つだけ。君のことはなんて呼べばいいかな?」
試すような口調だった。やはりこの人、私のことを知っている。こんな言い方をするということは隠してもしょうがないということだろうか。
「……メグ。友達からはメグと呼ばれています」
「わかった、有難う。では私もメグと呼ばせてもらおうかな」
嬉しそうに笑うクラウンだがその表情の奥に潜むものは私には見えなかった。ただ、これからする話はただの悪戯や冷やかしなどではないのだろうとだけがわかる。
「ではメグ。本題に入らせてもらうよ。今日君を呼んだのは他でもない。ハーレクインの雫についてだ」
やはりそうか、と心の中で一人ごちる。まぁそれ以外ないだろうな。だとしたら答えは一つしかない。
「お断りします」
カップを置き、ただ端的にそう答えた。
クラウンは一瞬目を丸くし、その後破顔しカラカラと笑い出す。
「はははっ! 痛快だねぇ。だが答えを急いではいけないよ。お互いがわかっているつもりでも実は通じ合えていない、なんてこともあるものさ」
間違ったことは言っていない。だが私には素直に肯定できなかった。
クラウンは気を取り直すようにはっきりと私の目を見てこう付け加える。
「私はハーレクインの雫を守りたいと思っている。怪盗αからも、そしてこの学園からも、ね」
その為に、君の力を貸してほしい。
私はその時差し伸べられた手を素直に取ることは出来なかった。