美しき雫
どこかで聞いたことがある。
この学園のどこかに探偵がいて、頼めばどんな事件でも解決してくれるって。
でもその人がどこにいるのか誰も知らない。
何処からともなく現れて、颯爽と事件を解決してくれるんだ。
その人は、探偵"クラウン"というらしい。
校内は一つの話題で持ちきりだった。皆口を開けばあのことについて語りだす。
――聞いた!?今度の日曜日に怪盗"α"がこの学園に来るんだって!!――
――聞いた聞いた、ていうか皆その話してるし。あれ盗みにくるんでしょ?――
――そうそう! "ハーレクインの雫"! ほんとにうちの学園にあれがあって良かったー――
――"α"が見れるから?――
――もっちろん!!――
――宝石盗まれちゃっても良いの?――
――そっちはどうでもいいや、どうせ私たちの物じゃないし。あんなのあってもまともに見れないんじゃ意味ないもの――
いつもの様に登校し、自分の席に着くころには何度も聞こえていた話題。いつもより一回り程姦しい会話に耳を傾ける。現金なものだ、とそっと心の中で思う。
聞こえてきた話題を要約すると、今度の日曜日に怪盗"α"なる人物がうちの学園に厳重に保管されているハーレクインの雫という宝石を盗みに来るという予告状が届いたらしい。
なんて非現実的な話なんだろう、とぼんやりと思う。今時怪盗とか予告状とか、そんなの物語の世界の話じゃないのかな。
でも怪盗αって人は巷では有名な人らしい。私はそういうの疎いから全く知らなかった。正直そのαとかいうネーミングセンスはどうなんだろう、とかいう感想しか出てこない。この学園の近くにはまだ来たことが無いらしいけど、その鮮やかな手つきや犯行の成功率からある種のカリスマ性があるんだって。
そんな人がこの学園にねぇ……。
そして、盗むのがよりによってあの"ハーレクインの雫"かぁ。少し、複雑だな。
「メグ! 聞いた!?」
突然真横から聞こえてきた大声に身体を揺らされる。目線を向けると同じクラスのリリが額に汗を浮かべながらいい笑顔でこちらを見つめていた。長いポニテを揺らしてまるで大きなわんこのようだ、と感じてしまう。私の髪は短いからちょっとだけ羨ましい。
「……聞いたよ?」
「マジで!? まだ何をって言ってないのに!? メグってエスパーだったの!?」
そういえば怪盗がどうのなんてリリが一番好きそうな話題だな。リリは好奇心の塊みたいな女の子で、いつも何か話題を見つけては楽しそうに私に持ちかけてくる。その話題は愉快なことから面倒事まで様々だった。今回はどっちになるだろう。
リリは少し落ち着いたのか大仰に腕を組んで何故かどや顔を見せていた。
「いーや、メグ。私は騙されないよ? メグは今"知ったか"をしている。本当は私が何を言おうとしているのかわかってないでしょう。何故なら私はまだ何も言っていないからだ!!」
「怪盗が来るって話でしょ?」
「やっぱエスパーじゃん!!」
朝から凄まじいテンションだった。まぁリリってこういう子だから。周りもあまり気に留めていない。あまりにも表情が豊かなリリは百面相の後何かを悟ったかのような表情になる。こういう時は大体碌なことを言わない。
「メグ……。そういうことだったんだね……。怪盗αの正体……、それがメグだったんだ!」
「なんでそうなるのさ」
とんでもない結末だった。
私はなんとか興奮するリリをなだめる。朝からその話題で学園中持ちきりだったこと、リリが好きそうな話題だなって思ってたことを説明するとほんわかした笑顔で納得していたようだ。理解したかどうかは知らないけど。
気付くと朝の予鈴が鳴る時間が近付いていた。まぁいい時間潰しにはなったかな。リリがいると退屈しなくて済む。なんだかんだ言っていい友達だった。
お昼休み、いつもの様にリリと一緒に学食へと向かう。その道中も話題は怪盗のことでいっぱいだった。
「やっぱこーゆーときってあの人動くのかなぁ」
「あの人?」
席につきお弁当を広げているとリリが首を傾げながら呟く。いきなりあの人と言われ首を傾げたいのはこちらの方だ。
リリが言うにはあの人とはこの学園でまことしやかに囁かれている探偵のことだった。
いるにはいるらしいが誰も正体を知らない。正直眉唾物の存在。確かに本当に居るのだとしたらこういうとき一番に出てきそうだな、と私も思う。
「でも誰も見たことないんでしょ?」
「そーらしいんだけどねぇ。噂では正体を知った人はいろんな方法で口止めされてるとかって聞いたなぁ」
いろんな方法ってところが怪しすぎる。本当にそんな人がいたら是非近付きたくない。
その後もリリの話に適当に相槌を打ちながらお弁当をつつく。途中何故か私のリンゴが一切れリリの口に運ばれていったが気にしないことにした。
「わっ」
「おっと」
食事を終え教室に戻ろうと廊下を歩いていた時、不意に曲がり角から現れた生徒と危うくぶつかりそうになる。その生徒は手に本を持ってそれに集中していたみたいだった。本を読みながら歩くのはちょっと危険だろう。
「すまない、怪我はないかい?」
「は、はい……。大丈夫です」
ぶつかってはないから怪我もあるはずないのだが、と言ってもあまり意味はないので無事であることだけを告げる。
生徒はそうか、と言うとそのまま持っていた本で顔を隠すように歩いていった。
「今のだれー? あんな子いたっけ?」
「さぁ……」
リリと二人で首をかしげる。恐らく上級生だろう。どことなく大人びたような印象だった。よく見えなかったけど少し長身で長くストレートな髪。そして姿勢もすっとしていてとにかく"綺麗だ"という感想しか出てこなかった。少しの間その後ろ姿に目を奪われる。
「メグー? メグちゃーん。おーい、マーちゃーん?」
「……え? なに?」
意識を戻すとリリが私の側で体を左右に揺らして存在をアピールしていた。その動きは何か意味があるのだろうか。リリのことだから間違いなく無いと思うけど。
「ああ、ごめんね。ちょっと気になっちゃって」
「さっきの人? ……あー、確かにちょっとかっこいい雰囲気だったもんねー。でもメグ、いくら女子校だからって女の人は……」
「なんでそうなるのさ」
リリの妄想力は逞しかった。
適当にリリを窘めながら教室へと戻る。でもどこかさっきの人のことが気がかりでならなかった。
授業も終わり帰ろうかと席を立とうとしたとき、胸元のポケットに違和感を覚える。気になって中を調べると一枚のメモが入っていた。
いつの間に……? と訝しみながらも中身を確認すると中には"放課後、部室棟3階の南側の奥まで来てくれ"とあった。
はて、全く身に覚えがない。眉をひそめながらもよく見ると、ひとりで来るようにと追伸があった。
怪しい。朝にはこんなものなかったはずなのに。今日は上着を脱いでいないから置いておいたときに入れられたというわけでもない。少し考えて昼間のことを思い出す。
すまない、怪我はないかい?
あれか。あの時ぶつかりそうになった時に入れられたのか。あの時すれ違った女の子の顔を思い出す。あれは偶然ではなかったのか。少しだけ苦々しい顔になる。
はっきり言って行きたくない。あんな怪しいのに関わって良いことなんてないはずだ。無視してしまおうか、と思案していると折りたたまれたメモがもう一段階開けるようになっていることに気が付く。そしてそれを開くと書かれていたことは……。
美しき雫の名を持つ者よ
……眉間のしわがより深くなる。これは無視が出来なくなってしまった。
私はメモを再び折りたたむとリリに一言用があると告げ、一度も行ったことがない部室棟へと足を運ぶのだった。