第2話 羽田
飛行機が高度を落とす頃には大分日が翳り、成田空港と思しき光の塊が目に入る頃にはほとんど日が落ちていた。房総半島の先でターンをして羽田への最終アプローチをするハズだ。
「腹減った。バッグの中に土産代わりにもらってきたバターサンドが入っていたハズ。」
取り出そうか逡巡していると、アラームと共にシートベルトサインが出て結局食べそこねた。
「まあ羽田に着いたらゆっくり食おう」
*
ターミナルビルのシートに座り搭乗時刻を待ちながら、忙しなく行き交う人の列と、明るい光を放ちながら行き交う飛行機の列を交互に眺める。
眼鏡はオフにしてあるが、キズナには僅かな魔の集積も目に取れる。アプリをオフにし忘れたり、小銭を掴み損ねたり。まあ特に害は無さそうだ。
すると左奥にやや大きな影が見えた。
「これは、誰かがケガをしてしまうくらいかも。近くに子どもか、身体の不自由な人が居ないかしら?」
周囲を見渡して、それらしき人が居ないか確認してみる。
わからない。
眼鏡を入れようと目元に手を触れようとした瞬間、突然眼鏡が震えた。
「え、まだ触ってない」と思った瞬間には、あらゆる情報が目に飛び込んでくる。
「危険度=SSR+〜」
「ターゲットレンジ=1500m±50m」
「方角=南東」
「予測時間=+00.03.00±02.50s」
慌ててアイポインターを頼りに南東に目をやる。1500m先は…滑走路だ。ここは空港。危険度=SSR+。
スマホの詳細表示を見るまでもない、航空機事故だ。
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千葉の製鉄所や製油所の明かりが右手から遠ざかると、東京湾を眺めながら機体は徐々に降下していく。
「今度の面接先上手く行くかな。あ〜それより一度バターサンド気になると余計に腹減るよなぁ」
そんな事を考えていると、今度こそ東京の明かりが目に入ってきた。
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「お願い。何かの間違いであって…」祈るような気持ちでポケットのスマホを取り出すと、希望も虚しく独特なアラームを鳴らしながら、マナーモードを無視して協会のアプリでアラート画面が立ち上がっている。
「えっ!地震?」近くにいたオジサンが声を上げたが、誰のスマホも鳴っていない。眼鏡に連動したアプリしか起動しないんだから、それはそうだろう。少なくともこの近くに他の師匠は居ない。アタシが一番近いのも間違い無いだろう。
「すいませんっ」何となくオジサンに謝りながら、反射的にガラス窓までダッシュするが、ほとんど意味が無い。
スマホに目を落として、眼鏡に表示しきれていない使える情報が無いか探してみる。
「種別=宇宙・航空機事故」
「わかっているわよ!そんな事!」叫びたい気持ちを押さえながら先に目を進める。
「直接攻撃レンジ①=1m±30cm」そんなもんだろう。走って3分で1500mは無理だし、何より滑走路に出る方法すらわからない。
「何でこんな大きな魔が直前までわからなかったの!」今度は思わず口に出してしまいながら、再度窓の外に目をやる。遠くの滑走路に、今や眼鏡越しのキズナの目にハッキリと兆しが映っている。
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「この時間に羽田に着くのは初めてだな」何度か地元と東京を往復したが、もっと朝早い便か、夜最終で着くぐらいの便が多かったので、日が落ちて行くのを見ながら飛んだのも初めてだ。
「何時か余裕が出来たら、九州にでも夕陽が落ちるのを追い掛けながら飛んだら楽しいかも」
どんどん明かりが大きくなりながら、機体は何事も無くスムーズに着陸していく。
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「直接攻撃レンジ②=3m±20cm」
「間接攻撃レンジ①=40m±5cm」
「間接攻撃レンジ②=200m±2cm」
近接出来ない以上意味の無い数字が羅列される。
「直接射撃レンジ①=20m±」
「直接射撃レンジ②=400m±」
「直接射撃レンジ③=1500m±」
「直接射撃レンジ④=4000m±」
ようやく意味の有る数字が出て来た。ギリギリだがレンジ③で攻撃出来るハズ。④や間接射撃よりマシだろう。
ワタシがモニタリングしていれば、何処か近くの師匠が間接射撃でも支援してくれるかも知れないし。
直接射撃レンジ③での狙撃。キズナの得意分野では無いが、やるしかない。
これだけ強大な魔にはストックした汎用兵器では役に立たないだろう。
「創作しかない」
荷物の中にしまい込んだタブレットを取りに、シートまで駆け戻る。既に眼鏡の予測時間表示は2分を切った。
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ギュンと大きく音を立てて、車輪が地面に接地した。
「ふぅ〜着いた」俺はこれからの事を思案しながら、リバースに入れたエンジンとキュルキュルとブレーキを掛けたタイヤの鳴る音を聞いていた。
「まずはバターサンドだ」
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「狙撃銃」イメージを画面に落とし込んでみる。
美的か?本当に創作性はあるか?機能的に成り立つか?確かめてみるべきだが時間が無い。自分のセンスだけを頼りにタブレットにペンを走らせる。
納得出来る線は描けなかったが、形になった。
表示は30秒を切った。ターゲッティングを考えればこの辺が限界だ。
「一応周辺ガードもかけて」データをペンに転送する。
「お願い当たって!」眼鏡の照準点越しに闇に向かってペン(狙撃銃)を撃つ。
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突然大きな音と衝撃が走った。
「えっ⁉」何だろう。明らかに違和感があったが機体はそのまま何事も無かったように進んでいく。
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「当てた」手応えはあった。闇に向かって向けたペン先からの一撃は魔に当たったハズだった。
しかし目線を向けた先の滑走路では、火のような光を発した塊が走っていた。
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「火だ!火がでているぞ!」左手側の乗客の窓を見てみると確かに火のようなオレンジ色の明かりが窓越しに見える。
「マジかよ」俺はなすすべもなく呆然とその光景を眺めていた。
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「あ〜当てたのに当たったハズなのに」
線が足りずに美的にならなかったのか、知らずに誰かの模倣になっていたのか、そもそもアタシにそんな才能は無かったのか。
瞬時に色々な事が脳裏をよぎり、悄然としていると
「キズナ諦めるなっ!」
眼鏡の耳かけから師匠の怒鳴り声が聞こえた。
「そのままモニタリングをしながら二撃目を放て!ボクが間接支援をかける!」
アラートを見てワタシの位置情報が羽田に有る事に気付き、連絡してきてくれたのだろう。
我に返り、滑走路に目をやる。そうだ状況はまだ終わっていない。火を吹いた飛行機がようやく止まったが、あの魔と周辺に有象無象の小魔が林立している。
二撃目の攻撃の威力は理論的に一撃目の十分一以下なハズ。しかし師匠の支援が有れば、魔にトドメを刺し、周辺の小魔も一掃出来るかも知れない。
「まだやれる事はあるっ!」まだ誰も気付いていないターミナルビルで、ワタシはさっきより明るくなった滑走路に向かって再びペン先を向けた。
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「皆さますぐに誘導いたしますので、お座席でそのままお待ちください」
緊張感を孕みながらも、落ち着いた声で客室乗務員のアナウンスが流れる。とはいえ左の窓から見える炎は既にハッキリ機体を包もうとしていた。
「は〜や〜く〜だ〜し〜て〜く〜だ〜さ〜い」
親に言われたのか、辿たどしくも演技ががった口調で子供が叫んでいる。
ふと魔が差して、俺はバターサンドの事を思い出し、ベルトをハズして立ち上がり、ラゲッジボックスのバッグを取り出そうとした。大した荷物では無いが、創作用のタブレットくらいは入っている。手元において置いた方が良いだろう。
「かまわず逃げてっ!」突然誰かの声が響いた気がした。
そう言えば、さっき客室乗務員がラゲッジボックスから荷物を取り出さず、そのまま座席でお待ちをって言ってたよな。
俺は出しかけた手を戻し、恐怖に震えながらも座席でそのまま待った。
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二撃目を当てると幸い最初の魔は消失した。一撃目もそれなりに有効だったのだろう。
手元のスマホで、汎用兵器の直接連射射撃に切り替えて、付近の小魔を狙う。大した威力は出ないが師匠の支援が有れば小魔の制圧くらいは出来るかも知れない。
「かまわず逃げてっ!」突然そう叫びたくなった。
そう既にターミナルビルの誰もが気付くくらいの勢いで、火の手が上がっている。アソコには何百人という人が居るのだ。
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ようやく俺の順番が回ってきた。客室乗務員に促され前部のドアに歩み寄る。何十分と待っていたような気がするが、後で振り返るとそこまで時間は経っていなかったらしい。
「両手を前でクロスさせて、胸部を保護して。下に降りても立ち止まらないで、すぐに機体から離れて!」
ドアを出ると一瞬冷たい風を感じたが、黄色いシューターに脚を踏み入れたと思った瞬間、身体が落ち込む感覚を覚え、慌てて腕をクロスする。フワッとなったと思ったら次の瞬間には地面に到着していた。コケそうになりながらも必死に脚を前に進める。
「一度体験したいと思っていたけどこんなタイミングで経験するとは」
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「ふぅ、終わった」視野に入る魔は消え、眼鏡の表示も消えた。
思わず眼鏡をハズして、あらためて窓の外を見てみる。火の手はまだ見えているが、消防車と思しき車が何台も着いて、消火剤を振りまいている。
「支援を…」人が居るなら魔が発生するリスクはある。何か出来ないかとタブレットを手にとろうとしたが、身体が動かない。どうやら気力というやつを使い果たしたらしい。
師匠や他の師匠が駆け付けてくれるだろう。本当に東京で良かった。
ワタシはふとマブタを落とすと瞬時に眠りに落ちた。
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「事故機に乗っていた乗客の方ですか?」無遠慮な口調で見知らぬオジサンが声を掛けスマホを突き付けてくる。
「いいえ…」荷物も持たずに脱出してきた乗客達の列から離れて来たので、そんな訳無いのは一目瞭然だが、いいえと言ったらいいえだ。
「そいつぁ…大変失礼いたしました」
口調は丁寧に変わったが、目元に非難の色が残る(ように見ええる)
まだ何か言い足りなそうではあったが、視線の先に別の乗客の姿が入るとそのまま去って行った。
「丸焦げのバターサンドはどんな味するだろう?」
下らない事を考えながら、交通手段を求めて出口に脚を進めていった。